「心はこうして創られる」 ニック・チェイター

 人の行動にはすべて根拠があって、それは心で何を感じ考えているかによって決定される、とあなたは思っているでしょうが、本当にそうなの?実はその行動に確たる理由なんてないでしょ?てことは、心なんてないってことでしょう。

 というようなことを、心理実験の結果などを科学的根拠として、ずっとこの本は言うのだけれど、「心などない」とまで言われると、それは実感とはちょっと乖離している。
 摑みどころはないけれども、ないわけじゃないよなぁ。この嬉しさや苦しさを心と呼ぶなら、それは確かにここに感じている。
 それは心じゃなくて、その場その場の体の反応なんじゃないのというのも、それはまあそうだとも思っている。
 人の感情はその人の精神ではなく、それぞれに与えられた肉体の性質がもたらすものだ。つまりは、打たれ強いか弱いかみたいな反応は、性格ではなく体質から来るものなのだと、個人的には考えている。
 セロトニンやらアドレナリンやらの情報伝達物質の存在と、その働きについて知ったとき、些細なことで沈みがちな性質について、自分が性格的に弱いから駄目なのだと思うことがなくなった。たとえばセロトニン、いわゆる幸せホルモンが分泌されにくい、そのような体質だったのかと、そう思ったわけだ。
 心って体の反応なのかと思って、なんだか安心したのだ。
 気分が落ち込むときに、せめて自分を責めないでいられることは、心を少しだけ軽くした。
 それは不安で鼓動が激しくなったり、喉元が苦しくなったりする体が軽くなったということだった。
 ならばそのとき安心したのは、心なのか体なのか。

 どこにあるのかないのか、自分にとって『心』とは。
 どう定義付けるのかを考えているこの感覚は、心なのか何なのか。

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