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登山なんて大嫌い:備中松山編

現存12城を巡ってみようと思い立ち。行ったことのある城を指折り数えてみた。

松本城、姫路城、高知城、丸亀城、彦根城、松江城、松山城。

備中松山城には行っていない。ならば、と車を走らせいざ岡山へレッツラゴー

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高梁市に入ると、川の堤防がコンクリートの石垣風でできており、何とも城下町を思わせる演出。城好きにはたまらない街づくり。高校の土台も石垣でできているほどの秀逸っぷりに感心しながら城を目指した。

駐車場に入るとシャトルバスが止まっており、それに乗れと係りの人に言われた。

ちょっと嫌な予感が頭をよぎる。

シャトルバスにいい思い出がないからである。春日山城に行った時もシャトルバスに乗せられて、帰りは案の定歩きで下山させられた。

大山でもシャトルバスで登らされ、帰ろうと思いきや、衝突事故とやらで下山は徒歩でお願いしますときたもんだ。雪道を滑り落ちるようにして駐車場まで歩いたものだ。

海遊館ができた時もそうだった・・・

いやいや、シャトルバスの思い出を話していたら、きりがないのでこれぐらいにしておこう。

てなわけで、駐車場からふいご峠までシャトルバスに乗せられて、登って行った。

ふいご峠からは徒歩で登城との事だった。

峠茶屋には竹田城よろしく雲海に浮かぶ備中松山城の写真。その横に「日本で一番高いところにある城」と書かれてあった。

元来登山嫌いの私としては、完全に嫌な予感。

まぁ、そうはいってもお武家さまの通勤道。そんなに高いわけはあるまいて。登山じゃないんだから、楽勝楽勝。

と、登城口に一歩足を踏み入れたら、そこはまさしくけもの道。急峻で幅も狭く、整備されていない山道そのものだった。登城開始から約5分で家に帰りたくなったが、片道200Kmもかけてやってきたのだから、もう少し頑張ってみようとエンヤコラ足を進めてみた。石垣も何もないただの山道が延々と続く。登城と言うよりまさしく、登山!

お武家さまもこれじゃいやになってしまうんじゃないか。下の高校辺りに城を作ってくれってお殿様に頼んだらよかったのに。いや。殿様も1700年辺りだったら、戦も最近ないから、こんな山城止めようかな?って思わなかったのだろうか?などと、ぶつくさ文句を言いながら足を進めるも、うっそうとした森以外何も現れない。時折、猟師の鉄砲の音がこだまする以外これと言って変化なし。もう無理かな?下山か?と思っていたら

「ここら辺でちょうど半分じゃ、もう少し頑張られよ。城主」

というお殿さまからのありがた〜い看板に背中を押されて登っていくと、やっと石垣らしきものが見えてきた。

太鼓櫓。と杭に書かれてあった。

時太鼓の櫓のあった場所らしい。上を見上げたらまた山道が続いていた。

門も見えない。

いよいよ嫌になってきた。

しかし、ここまで来たらもう引き返せない。お武家さまの通勤苦を思えば、観光でちょっと登ったぐらいなんだ。頑張れ、と頭の中で誰かがつぶやく。

汗だくになりながら登っていくと巨大な岩壁が目の前に飛び込んできた。岩壁の周りには石垣。

やりました。きっとあそこが城なのですね。

喜び勇んで足を進めると、ただの山道だったところに巨大な建造物が現れた。

城に到着したのだ。白壁に鉄砲穴。追手門。石畳の階段を上り三の丸、二の丸跡が現れ天守が現れた。

・・・小さい。丸亀城も小さかったが一応三階建て。二階建てのお城って!!!

サラリーマンの夢の一戸建てか!!

まぁ、なにはともあれ天守閣に登ってみたが丸亀城さながらの狭〜い天守。善光寺の門の中の方が遥かに広いではないか。

場内の説明を熟読していると、江戸中期ではこの城は象徴的なのもとなっており、今の高校の場所が城の役割を担っていたとの事だった。

や、やっぱり。今も昔も人の考えることは一緒なのね〜。

帰りは案の定シャトルバスなし。徒歩でてくてく駐車場まで下山。シャトルバスにいい思い出なし。を確信。

やっぱり登山は鬼門だな。

あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪

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