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捉われそうになったら

本当はそんなことはどうでもいいのに、何かに捉われてしまうことがある。

捉われそうになることって、たいてい形式的なもののような気がする。

たとえば1番を取りたい、評価されたい、昇格したい。

そういったものを手に入れるために、自分の人生があるわけじゃないけれど、そんなことに気を取られてしまうこともある。

どうしてだろうと考えてみると、人には誰かに認められたいという気持ちがあるから、評価に捉われてしまうのだと思う。

でもあまりにそれに捉われすぎると、自分の純粋な気持ちが分からなくなる。

どんな気持ちを持っているから、どんなことをしたいのか、どんなふうに生きていきたいのか。心が曇って分からなくなってしまう。

何かに捉われそうになることは、決して悪いことではない。

しかし大切だなと思うのは、捉われそうになった時に本来自分がどんな気持ちを持って過ごしていこうとしたのか、思い出すことだ。

何をしたくて今のことをやりはじめたんだろう。

どんな暮らしをしたくて、今自分はこれをやっているんだろう。

きっと「こうなったらいいな」という一番大きなお願いごとがあって、そのために毎日生きている。

そのお願いごとを思い出すと、分かりやすい何かに捉われてもまた少し、自分の軌道を修正できる。

「自分はこっちに向かいたいんだ」と。

一番のお願いごとを忘れずにいられたら、認められるかどうかよりも、すこしでも自分のお願いごとに近づけているかどうかを大事にできると思う。

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