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自分を満たして、必要な人に届ける

どんな時に幸せを感じるかとか、どんなふうにありたいかを考えてみると、自分の立ち位置がよく分かる。

今日はちょっと自分のことを書いてしまうけれど、気づいたことを書き留めておく。

最近は自分のブログを書く時間が増えたり、ものづくりをしてみたり、もちろんこのnoteを書いたりして、自分から何かをつくるといったことをしている。

これまでも仕事として文章を書くことは多かったし、デザインをつくることもちょっとだけあった。

そんな中で文章やデザインを考えてつくることは大好きだし、その時々でやっていることに大きな不満はないけれど、どこかで小さな違和感を感じてきた。

その違和感は何かなと考えた時に原因となっていたのは、

自分が届けたい人たちに向けて、何かをつくったり書いたりできていなかった、

ということ。

もちろん仕事をして収入を得るためには、ある程度自由があっても完全に自分の思い通りにならないことは当然だし、100%自分が納得できる仕事でなくても必要とされたり役に立てた時はうれしいと思う。

でも結局、何度か立ち止まるたびに気付かされるのは、「誰かに必要とされることをやるのと、自分が必要としていることをやるののどちらが大事かといえば、後者である」ということ。

人生において「自分が満たされていなければ、誰かを満たすことはできない」という真実があるように、仕事だって自分が満たされないことをしていても、結果的に誰かを満たすことはできないと感じる。

もちろん、これは私の場合だから、すべての人に同じことが当てはまるわけではないと思う。

どんなことをすると満たされるかは、人それぞれちがう。

ただ私は何がしたいのかといえば、「自分自身が満たされることをして、誰かの役に立つこと」がしたいのだと気づいた。

どちらかといえば自分の書いたものやつくったものを大勢の人にたくさん届けていくよりも、

「これを探していたんだ!この言葉が欲しかったんだ!」と感動してくれる人が少しでもいることのほうに、価値を感じる。

もちろん、自分がつくったものを必要としてくれている人がたくさんいればとても嬉しいけれど、「期待に応えなければ」と自分の心を忙しくすることは自分が求めていることではないな、とも思う。

分かりやすく例えると、誰もが知っていて全国展開しているカフェではなく、一部の人に刺さって愛されている小さな個人経営のカフェのような立ち位置でいたい。

「自分が満たされること」かつ「誰かも必要としてくれていること」。

それを見つけるのは時間がかかるし、そんな道を歩むにはたくさんの思考と工夫が必要だけれど、すこしずつ、それができるようにしていこうと思っている。


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