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評価に疲れたら、自然に帰ること

人間世界で生きていると評価がつきものだ。

そもそも人間という生き物は、自分や自分以外の誰かを評価してしまう生き物だから、仕事なんて多くの場面で評価されるし、

趣味で好きなことをやっていたとしても、知らないうちにどこかで比較されたり自分を誰かと比較してしまったりする。

評価は悪いことばかりじゃないし、良いことだってたくさんある。

でも自分が安心して、自らの道を自分の速度で歩くには、評価をされず、ただ自分の存在を認めてもらえる体験が必要だと思う。

そんな体験は、自然に触れることでできると私は思っている。

高校生の頃、受験勉強で一杯一杯になっていた夏休みに、長野にある高原へ数日出かけたことがあった。

高原をトレッキングした時に、人工物がほどんど無い自然の中に立っていたら、無心になれた。

その経験は今でも忘れられない。

柔らかく涼しい風が肌をやさしく撫で、草花と木漏れ日の揺らぎが心地よくて、何か考えようとしても、むしろ何かを考えられる余地がなかった。

「無になる」ということは、人工的な生活から離れて自然に帰った時に果たせるのだと思う。

人間の社会に生きて疲れたとしても、自然はいつでも自分を受け入れ、何の評価もせずに自分を自然の一部として取り込んでくれる。

そもそも自然の中では評価なんて無いし、それぞれの生き物が自分の生を全うして生きているだけだ。

人間だって自然の一部なのだから、ひたすらに自分の命を全うすればいいだけなのだ。

そのことに気づいてから、自分の生きる社会がちっぽけなものに思えたし、その中で評価されることを気にして生きるよりも、自然の力を借りて生きていようと思うようになった。

人間である限り、人間社会で生きずに暮らすことはできない。

でも、キリのない評価に飲み込まれそうになった時には、空をゆっくりと見上げる時間をつくり、木の葉の揺れる音が聞こえる場所で過ごすことにしている。

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