完ぺきでない部分を綺麗だと言ってくれる場所
何でもまんべんなくこなせることや、すべてが整っていることは、本当に一番いいことなのだろうか。
これは私の好みなのかもしれないけれども、どちらかというと、ちょっとズレている部分があったり、バランスのとり切れていないものを綺麗だと感じる。
たとえば私は器が好きだけれども、大量に生産された左右対称の器よりも、手づくりの左右非対称の器のほうに魅力を感じる。
またファッションも、右と左で違う色のマニキュアをつけていたり、違うイヤリングをつけていたりすると綺麗だなぁと思う。
もちろんバランスが取れているものにも、それならではの魅力がある。
けれども、安らぎや愛着、そして独特の美しさを感じるのは何よりも完ぺきではないもの。
完ぺきではないもの1つ1つに、それぞれの速度や温度が宿っている。
それはものだけではなくて、人間にも当てはまると思う。
その人が持っている完ぺきではない部分は、なぜかとても光って見えることがある。内面にも外見にも、おなじことが言える。
もしかしたらこのnoteを読んでくれている方も、自分のことを「まだまだ足りない」とか、「もっと完ぺきだったら」と思って落ち込んでしまうことがあるかもしれない。
そう思う原因には「バランスの取れているもの・完ぺきなものっていいよね」という大きな声が目立つ世の中に生きているからなのかな、と私は思う。
大きな声は目立つから、それが正しいことのように思えてしまう。
でももし大きな声に自分自身が左右されそうな時には思い出していてほしい。
自分の欠けた部分や足りないところを褒めて魅力に感じてくれる人たちがいるということを。
自分がどうにもならない欠点だと思う部分を、どうしようもなく価値あるものだよと言ってくれる場所に、身を置いていよう。
完ぺきでない部分を綺麗だと、そう言ってくれる居場所をつくっていこう。
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