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”生きにくい”は、当たり前じゃないんだ。

「生きにくいなぁ」ってずっと思ってきました。

誰しも少なからず、「しんどいな、生きにくいな」って感じることがあると思います。

それが長く続いてしまうことだってあるはずです。

私は中学生くらいからずっと続いていました。

だから「生きにくさって当たり前なのかな?」と思っていました。

でもそうじゃなかったってことに、気が付いたんです。

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私は周りの人から「いつも笑っているよね、明るいね」って言われることが多かったです。

たしかに、もともとの性格上、そうかもしれません。

小学生くらいのときは本当に心配ごとや生きにくさも感じていなかった。

だから素のままでも、明るかったのかもしれません。

でも中学に上がってからは、明るさの種類が180度変わりました。

自分をうまく出せないもどかしさとか、周りの人に合わせてしまう生きにくさとか、そういったものを隠すための笑顔が増えました。

本来の自分がどこかに行ってしまったような、そんな気持ちになりました。

のびのびとした笑顔はどっかに行っちゃいました。

のどの奥に何か言いたいことが、いつも詰まっている感じがしました。

そんな生きにくさが13歳~24歳くらいまで続きました。

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10年以上もそんな感じで過ごしていたら、「生きにくさを抱えて過ごすのが普通だ」と思うようになります。

でも私はこのまま、生きにくいまま生きていくのは嫌だって、そう思った。

生きにくいままでもいい、と思えなかったんです。

我慢が限界だったのかもしれません。

心のどこかで「もっと心から笑って生きてたいんだ」と思っていたんです。

どうせいつか終わりがくるのなら、自分の人生をもっと好きでいたい。

私が尊敬する人たちは「人生は素晴らしい」って言ってる。

「自分たちはきれいごとを言う。けれど、それは本当にそう思っているからきれいごとだって言う」って言ってた。

自分もきれいごとを、本当に存在するよって言えるようになりたい。

そんなことを思い出して、自分もそんな人生にしよう、きれいごとだと言われてもいいから心の底からきれいごとを言い続けよう、と決めました。

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私にとって生きにくさは当たり前のことでした。

でも、そこから全力で逃げようと思いました。

今の私にとって、生きにくさは普通のことじゃありません。

自分はもっとのびのび生きていいし、心いっぱい笑顔でいていい。

そんな時間ができるだけたくさん増えるといい。

そんなふうに思って毎日過ごしています。

自分の信じたい言葉を信じて、それを本当のことにしてしまおうって思います。

だから、たとえ今いる世界が辛くて大変でも、そうじゃない世界がちゃんとあるんだよ。

そう思うんです。


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