養老天命反転地と死
2015年4月25日
養老天命反転地へ行きました。
言うまでもなく荒川修作+マドリン・ギンズのテーマパークです。二日かけてこのテーマパークをうろつき、私はたいへん傷つきました。一言でいうと人生と世界だった。
私は二日間で選択と挫折を迫られ、世界を理解したと意図的にぬかよろこびさせられ、不安になり、がっかりし、それから暴力的にパラダイム・シフトを経験させられ世界を見せられた。私はここで人生を完全に一度経験した。
(1)極限で似るものの家
最初に登場する施設「極限で似るものの家」では、地面、壁、天井といったあらゆる場所にベッドや机、風呂やトイレなどの家具が突き刺さっている。
入り口で貰えるパンフレットにはここでするべき行動がいくつか書かれている。「今ここに住んでいるつもりで」「自分の家との類似」を意識し、「家具を他の家具と比較して使え」。
どれも妙な生活感があり、そのくせどこか嘘っぽい。
私はこれをパラレル・ワールドだと思った。この家具はすべて私の家具だが、私が生きなかった(選択しなかった)暮らしにおける家具だ。ここには私のすべての選択肢、すべての生きなかった人生があり、それらは等しく死によって「似る」。
(2)道
「極限で似るものの家」からは、道が四本、てんでばらばらの方向へのびている。
四つの道はそれぞれ《消えない道》《しかしながらの道》《死なない為の道》《どんな道》と書かれている。
《消えない道》は人が通って作ったように窪んでいて普通の道路に通じている。
《しかしながらの道》《死なない為の道》《どんな道》は盛り上がった地面を伝って歩く。
しかしながら《しかしながらの道》はそのまま勾配が変わらず、一般道の方へ向っている。《しかしながらの道》は最後だけ急勾配のスロープで、その少し先に一般道がある。
《死なない為の道》のみが急勾配でその先の山に続いている。
《どんな道》は途中までは《死なない為の道》と同じ勾配で《しかしながらの道》の反対方向へ伸びていて、また三つの道の分岐点に戻ることができる。
《どんな道》の最後は低い断崖になっていて、足を上げると簡単に登ることができる。途中まで《死なない為の道》と同じだった勾配は途中から急激にゆるやかになる。
私はこれを見たとき、なんて最悪なんだろうと思った。クリエイティブと日常において頻繁に起きる挫折を軽やかにdisにして突きつけられたと思った。
すなわち、《消えない道》は消費のみを生業として幸せに暮らす選択肢、《しかしながらの道》はクリエイティブを選んだけど生活を犠牲にしきれなかった挫折、《どんな道》はこれから何を選択しても何度も回遊できる若さなのではないか。
一応断っておくと、消費をネガティブなものと考えているわけではない。各々の人生において何に重点的に取り組むかというだけの話である。ただし、それらは各々の自己責任において選択されるという点において、常に苦い。
私はわけもなく一般道の方へ降りられない自分に動揺し、ほうほうのていで《死なない為の道》を登った。
(3)精緻の棟
《死なない為の道》を出ると、右手にふいに小屋のような「屋根」が現れる。
これを目指して登ってきたというより、登ってみると思ったより大きなものが建っていたという風貌である。
屋根の下には狭い隙間のような入り口があり、暗く湿った内部空間に入ることができる。内部空間も坂道にになっていて、上るにつれ屋根が高く広がっていく。
この構造は(この坂の向こうには何があるのだろう)ということ以外に目を向けさせない。
壁に爪あとのようにあけられた隙間から、養老山地の山々が見える。山は青く美しい。少し霞がかかっている。ほんの少し襖を開けて宝物をチラ見せされたかのように気分は高揚する。
ここを登り切れば世界を理解できる。慌てて屋根から這い出て傾斜を登る。
(4)楕円形のフィールド
立ちはだかっていた傾斜を登るとぱっと視界が開く。坂を上りきると反対側はまた傾斜になっていて、その窪みは丸く区切られすり鉢のようになっている。頂上に立つと盆地状に広がる公園を一望できる。
私はここを世界だと思った。
向こうの方にミニマルな解釈で作られた人工の山が見える。すべてが視野の中に収まり、説明がつく。
私は世界を理解した。
全能感に酔い、すり鉢状のフィールドを駆け下りる。すれ違ったカップルが「ここまで登るだけでクタクタ」と座り込む。
(5)地霊
うきうきと「楕円形のフィールド」と名づけられた、完成された世界を散策する。
だが何かおかしい。なんだか、晴れやかでない。
私は、説明ができすぎると思った。公園はコンテクストに満ち、適度に鬱蒼と木が生い茂り、世界の真理に触れ人の暮らしから解き放たれるにはあまりに意図的だった。
パンフレットには「《白昼の混乱地帯》ではひとであるより肉体であるようつとめること」と書かれているが、荒川修作の用意したソファのオブジェがそれを思い切りじゃましてくる。文化に目くらましされている。
私は騙されているのではないか?
縦横無尽に茂る枝葉の陰から、ふいに黄色く縁取られた四角い「入り口」が現れる。中に入ると、真っ暗で何も見えない。明るい色の「入り口」の奥には、山肌に掘られた、暗い通路が続いているらしい。
手探りで進んでいくと、今の今まで分かりきったものだと慢心していた世界が、にわかに収束していくのが分かる。視界を塞がれると、とたんに私は全能ではなくなった。
そこには絶望があった。
やはりだめだった。私では世界を理解することはできなかった。さっきまで全貌を見たと思っていたものは、何かは分からないけど、たぶんにせものだったのだ。きっと私はここで力尽きるのだ。
不安な気持ちを湛えながら、通路の奥の小部屋にたどり着く。
小部屋はとても狭く、通ってきた通路と比べるとほんのり明るい。狭さに対して高さだけがたっぷりと取られ、はるか上空の天井にガラスが嵌められている。ガラスに落ち葉が積もり、積もり損ねた隙間から空が見える。光が降ってくる。
光は長細い形をしている。
落ち葉がガラスの表面を埋め尽くしていなくてよかったな、と私は思った。世界を理解しきれないまま迎えた最期の時のように、走馬灯を見るようにガラスの隙間を眺める。
なんだか懐かしい。感傷的になっているのかと思ったが、センチメンタルではなくデジャヴだ。この形を私は見たことがある。見たことはあるが、何か違和感がある。私は光の形の正体に気づき、うち震え、すぐに引き返した。
ガラスは日本地図の形に光っていた。それも、左右に反転した日本の形だった。私は地図を通して、地面の裏側から世界を見ていたのだった。
外に出ると黄色い「入り口」の横に急な坂道に刻まれた獣道があった。勾配がきつく、狭い。無理やり登ると、すり鉢の縁に近い坂道から公園を見下ろせた。
そこで初めて、フィールドの反対側に、地面の隆起で作られた大きな大きな日本地図が作られていることに気づく。今自分が立っている場所から、盆地を挟んだ反対側の坂の表面だ。パンフレットには掲載されているが、木が生い茂り楕円形のフィールドの淵からは見ることができなかった。偶然生い茂ったのだろうか。それとも、意図的に隠されていたのだろうか。
日本地図は上下が逆さまの状態で、急斜面に張り付いていた。
(6)パラダイム・シフト
今までに経験したことがないほどきつい坂道で、スニーカーがずるずると滑る。子供が地面に張り付きながら「滑り降りた方が楽」とぼやくのを横目に、手を引いてもらってなんとか這い上がる。
上下逆さまの日本地図が張り付いた斜面の先は、開けた平地になっていた。意外と何もないな、と拍子抜けしながらふと顔を上げる。
「何もない」のは間違いだった。
山がある。
ほんものの山だ。「楕円形のフィールド」を取り囲んでいた壁が、私の登りついた場所辺りからにわかに崩壊しており、その向こうに養老山地の山があった。
「精緻の棟」の細長い隙間から美しく垣間見たのは、この山だった。ビリジヤン色の半球体として解釈された人工的なオブジェではなかった。
公園の外に山がある。
それは盆地状の「公園」が世界の全てではないということだ。風が吹いて私は振り返った。目下に岐阜の田んぼが果てなく広がっていた。
(7)新世界
公園の正体に気づくと無性に腹が立ってきた。
「世界が分かる」かのような仕掛けを作っておいて、その実「意図的に作られた箱庭へ閉じ込める」様なものではないか!と思ったのだ。
さらに、上下逆さまの日本地図の坂を登って始めて気づいたことがあった。ビリジヤン色の人口の山に、要塞のような、薄く高い壁が食い込んで突き刺さっている。その壁の上がくり抜かれ、細長い通路が作られている。通路は実は「楕円形のフィールド」の入り口(のように誘導される場所)からすぐのところに位置していたが、入り口(のように誘導される場所)からは壁の終わりも人工の山への入り口も見えないよう設計されていた。
私は新たな目標を見つけいきり立った。よし、私を騙した人工の山を暴いてやろう。
坂を駆け下り、壁の中の通路へと向かう。
うろうろしている私を見て、公園内を見張っている警備員の男性が声をかけてくれた。
「晴れていたら岐阜城や名古屋まで見えるのに残念だねえ、でもきれいだから景色を楽しんで帰るといいよ」
彼はそう言った。彼は公園を見ていなかった。
「霞がひくといいんだけど」
視界を覆い尽くし、人口の盆地を世界の全てだ思わせるために一役買っていた壁、その中を這う細い通路の表面は、つまらない金属の板に覆われていた。
通路は狭く、人とすれ違うのもやっとで、圧迫感があり、暑かった。ビリジヤン色の人工の山の中は暗く、無機質で、ただそこにある。山を三つ抜けたところで、唐突に通路が終わった。
目の前が明るくなり、展望台のような小さなスペースに放り出される。
そこからの眺望の中には、思いがけず地平線があった。
山が見える。田んぼが見える。はるか遠くに町と街とビルが見える。町と街とビルの終わりが見える。
展望台の周囲に丸く作られた壁がぶ厚く、公園はよく見下ろせない。楕円形のフィールドの隅の方が、かろうじて視界に入る。
さっき話しかけてくれた警備員の男性が遠くに立っていた。彼は仕事をしながら飛行機を眺めている。初老の髪はかすかに白かった。
私は今度こそ「世界」を見た。具体的には養老の土地を見た。それは世界と言って差し支えなかった。
私はこの日、人生の選択を後悔し、挫折し、かすかな光を見て、世界の少しの真理に触れた。
これが週末の日記です。
完全に荒川修作とマドリン・ギンズにおちょくられ、ボコボコに殴られ、水を浴びせかけられた末に毛布でくるまれるというひどい仕打ちにあったのですが、私は黙って山を降り、自販機でポカリスエットを買い、怒りに任せてそれを飲み干し、しいたけ入りウインナーを食べて帰路につきました。
大垣へ向かう電車に乗って、さっきまで見下ろしていた平野をまっすぐ突き抜け、新幹線に乗り、新大阪へ向かいます。
他人のクリエイティブに翻弄され、さらにそこから世界の解釈の一部を得るのはすごくしゃくなのですが、私は黙ってホームに立っていました。だって誰にも文句を言えないのです。荒川修作もマドリン・ギンズも、もういないのだから。
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