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小説を読むということ

小説には、違う人の視点で世界を見れたり、美しい言葉に出会えたりと、たくさんの魅力があります。
でも、私が小説はじめ文学に引きつけられるのは、「思わぬことを知ることができる」からな気がしている昨今。
「気がしている」の部分をきちんと言語化してみる。


さて、私は小説は好きですが、自己啓発本系は苦手です。
頑張って読もうとするけれど、どうにもページが進まない。わかりやすすぎるが故に、想像する余地すらあたえれないのが苦しい。よって、私はそういった類の本を好んで手にとらないのけれど、困ったことは今のところありません。

むしろ、周りからは「なんでそんなに物知りなの!?」と言われることが多いのです。夫からは歩くWikipedia扱いをされてます。(自慢ではない)

もしかしたら私のそういった特徴は、小説によるものなのかもしれません。だって、私は、ネットに接続してる時間よりも、小説を読んでいる時間の方が、きっと、ずっと長いのです。

小説はじめ文学は、様々な個性ある人物の視点で描かれており、その人生を擬似体験できます。彼らが知っていること、学んでいることを小説を通してインプットできて、しかも、それは、自分が知ろうとすらしていない思わぬ知見であることが多いのです。つまり、意識して知ろうとしてないことを知ることができる偶然の出会いが、

小説の魅力でありすごいところ。
自分の人生一つでは知り得ないことを、誰かの視点と感情を通して知る。それは、直接的には役立つことは少なくとも、そのエッセンスが脳味噌のどこかに格納されることで、暮らしや仕事のアイディアにつながっている事が多いように感じます。

それに、小説を読むことは人生の復習作業でもあるように思います。
ストーリーの中で巻き起こる様々なことを、自分の中にある類似経験感情と紐付けて、こういうことかな?と理解しようすることを繰り返す。

まるで、自分の中に眠っている感情と知見の掘り起こし復習作業。
勉強と同じく、復習すると理解が深まるもので、心や頭の中にあったもわっとしたものをうまく言語化できるようになったり、わからないことをわかろうとし、理解に至るためのシナプス作りをしやすくなったと実感しました。

一言で表すと、理解力や気づき力の向上。
これらを小説を読むことで得られたと思っています。

未開の知を得る事ができて、人生の復習と言語化の特訓ができる小説読書は、私にとって生活の中に染み込んだ大切な習慣になっています。

これからの季節は、各出版社が夏フェスを本屋さんで開催するのも楽しみの一つ。

次はどんな本を読もうかな、今度はどんなことを知れるんだろう、自分の中の何を辿ることになるのだろう と今からとてもワクワクしてます。

でも、その前に、今読んでいる「豆の上で眠る」を読了しなくちゃ。
続き、早速読んできます。

note書くときのコーヒー代や、クロエちゃんへのスペシャルおやつ代にさせていただきます٩( 'ω' )و