なぜ「オッペンハイマー」は難しいのか?映画の複雑さを解読
観るために教養が必要な映画がある。
これは昔、映画に詳しい方は教えてもらったことです。
「オッペンハイマー」も観るために教養が必要な映画だと思います。
多くのYouTube動画では「教養」ではなく「知識」と言いかえています。
「オッペンハイマーを観る前に知っておくべき事前知識」の解説動画がたくさんあります。
しかし「いくら事前知識(教養)を頭に入れても難しい映画がある」ことを学んだのが「オッペンハイマー」でした。
前回のnote記事で映画「オッペンハイマー」の評価を【★★★☆☆】と書きました。
5点満で3点です。
高くても3.5点。
つまり5点満点で3点~3.5点です。
アカデミー賞でありながら3点~3.5点なのは低すぎると思う人も多いでしょう。
私の映画「オッペンハイマー」への評価が低い理由は2つあります。
①3時間は長すぎる
②難しすぎる
今回のnote記事は②映画「オッペンハイマー」は難しすぎるについて書いていきます。
今回のnote記事は映画内容のネタバレなしです。
次がChatGPTによるこのnote記事のまとめ(箇条書き)です。
次はもくじです。
・映画「オッペンハイマー」が難しい理由3選
①登場人物の説明がほとんどない
②状況の説明がほとんどない
③時間が前後する
この3つが映画「オッペンハイマー」を難しくしていると思います。
少なくとも私にはこの3つの理由で難しかったです。
いくら事前知識(教養)を頭に入れても難しいのが映画「オッペンハイマー」だということを書いていこうと思います。
①②③すべてを書いているとものすごい長文になってしまいます。
よって③時間が前後するだけを取り上げて、いくら事前知識(教養)を頭に入れても難しいのが映画「オッペンハイマー」なのだという話をします。
・映画「オッペンハイマー」の時間の流れは3つ
映画「オッペンハイマー」は3つの時間の流れが交差しています。
①普通の時間の流れ(おそらくオッペンハイマーの記憶=主観)
②オッペンハイマーが受けている聴聞会(1954年)
③ストローズという人が受けている公聴会(1958年)
時間の流れ①は時間の流れなのであまり問題はないですが「オッペンハイマーの記憶=主観」であることは注意しておくべきでしょう。
映画「オッペンハイマー」では広島・長崎への原爆投下シーンはありません。
「広島・長崎への原爆投下・惨状のシーンがあった方が良いのでは?」という意見が日本ではあるようです。
他方、オッペンハイマーはラジオで広島への原爆投下を知ることになったシーンが出てきます。
彼は原爆投下をしたら教えて欲しかったのに教えてもらえなかった。
原爆ができあがったら自分はドンドン蚊帳の外に置かれていく。
オッペンハイマーの主観では原爆を投下した時の記憶はコレなのです。
原爆投下を例に挙げましたが①時の流れはオッペンハイマーの記憶(主観)として描かれていることは頭に入れておいた方が良いです。
・オッペンハイマーが受けている聴聞会(1954年)
時間の流れ②はオッペンハイマーが受けている聴聞会(1954年)です。
映画を観てもイマイチ「聴聞会」が何なのかわかりにくいです。
ネットで調べてもはっきりわかりません。
おそらく聴聞会は「行政機関が人にマイナスをくらわす場合には弁明・反論の機会が与えられる」やつだと思います。
オッペンハイマーは今まで国家機密にアクセスする権利を持っていた。
その権利の更新をしない。
更新をしなければ今まで国家機密にアクセスできていたのにできなくなる。
今までできたことができなくなるのはマイナスです。
オッペンハイマーは行政機関にマイナスをくらわされます。
「行政機関が人にマイナスをくらわす場合には弁明・反論の機会が与えられる」
この一番わかりやすい弁明・反論の制度は刑事事件の裁判です。
犯罪で警察に捕まってもいきなり「死刑!」とはならないですよね。
刑事裁判が手続きが一番厳格で、マイナスを食らう側の人権が守られています。
映画「オッペンハイマー」では聴聞会では「これは裁判ではない」とオッペンハイマーが言われることが何度かありました。
「裁判ほどあなたの人権は守られてない」「裁判ほどあなたの人権を守る必要はない」という意味も含んでいると思います。
日本でも「行政機関が人にマイナスをくらわす場合には弁明・反論の機会が与えられる」制度はありますよ。
聴聞・弁明・異議申し立て・不服申し立てなど呼び方は違います。
でも「行政機関が人にマイナスをくらわす場合には弁明・反論の機会が与えられる」という趣旨は(おおまかに言って)同じです。
「ビッグモーター 金融庁の「聴聞」欠席 保険代理店登録“取り消し”巡り」というニュースがありました。(2023年10月)
金融庁(=行政機関)がビッグモーター(=法人も人)に登録を取り消し(=マイナスをくらわす)ので聴聞(=反論・弁明の機会)を行った。
ビッグモーター(の人)は現場に現れなかったけどオッペンハイマーは現場に現れて弁明・反論をしたのですね。
・ストローズという人が受けている公聴会(1958年)
時間の流れ③はストローズという人が受けている公聴会(1958年)です。
ストローズはアイゼンハワー大統領から商務長官に指名されます。
商務長官は日本では経済産業大臣に近いです。
アメリカでは大統領が長官(日本の大臣に近い)を指名しても上院の承認を受けないと長官になれません。
日本人はここがピンと来ないと思います。
日本では総理が大臣を決めてもいちいち国会(衆議院や参議院)の承認を必要としません。
だから総理がよく内閣改造と言って大臣を変えます。
アメリカは大統領が長官(日本の大臣に近い)を指名したら上院の承認が必要なんですね。
上院が承認しないと長官にはなれない。
上院が長官を承認するかしないかを決めます。
上院議員が「あの人を長官にするのに賛成か?反対か?どっちかに投票してね!」といきなり言われたらどうでしょう?
「え?どうやって決めるの?まさか顔で決めるの?」って困っちゃいますよね。
だから公聴会が開かれます。
公聴会に長官に指名された本人や証人たちを呼びます。
この人たちにあれこれ聞いて「この人が長官にふさわしいかどうか」を上院議員たちが判断しているのです。
・聴聞会や公聴会を知ったところで
聴聞会や公聴会のことを知ったとします。
知識が増えた、教養が増えた。
しかし日本人の私にはピンと来ないのです。
どうもモヤっとしてしまうのです。
オッペンハイマーへの聴聞会が通常の公聴会と違うことは分かります。
しかしこの聴聞会でのやり取りが常軌を逸しているレベルなのかアメリカではギリギリあり得る範囲なのかわかりません。
いや、そもそもアメリカでこのような聴聞会が有名なのかもわからない。
映画「オッペンハイマー」のメインターゲットはアメリカ人。
メインターゲットのアメリカ人、彼らにどのように見せようとして聴聞会のシーンが作られているのか・・・日本人の私にはわからない。
この辺がどうもモヤっとしてしまいます。
ストローズの公聴会も同じです。
公聴会について「形式的だ」というセリフがあります。
普通はサラッと公聴会が終わり、長官になることは上院で承認されるみたいです。
3つの時間の流れの1つとして「ストローズの公聴会」があるということはサラッと公聴会が終ってないわけです。
この状況が異例だとわかるのですが、どのくらい異例なのかはピンときません。
そして公聴会でのやり取りが通常の公聴会でのやり取りなのか、通常の公聴会とまったく違うのかもピンときません。
アメリカ人が日本の国会審議を見てもピンと来ないと思います。
これと同じです。
よってストローズの公聴会もなんかモヤっとしてしまいます。
聴聞会や公聴会がモヤっとしたままでも映画の話は一応は理解できますよ。
でも2つの時間の流れでモヤっとするのはちょっと厳しい面があります。
・「観るために教養が必要な映画」を超えた映画
最初に「観るために教養が必要な映画がある」と書きました。
映画「オッペンハイマー」は知識や教養では補い切れない部分があると思います。
ピンと来ない部分が出てきてしまう。
モヤっとした部分が出てきてしまう。
このような「難しさ」があるので映画「オッペンハイマー」の評価を【★★★☆☆】としました。
3500字を超える長文になってしまいました。
最初に書いたことは忘れちゃっているでしょう、きっと。
ごめんなさい。
復習の意味でもう1度ChatGPTによるこのnote記事のまとめ(箇条書き)を載せます。
前回のnote記事も映画「オッペンハイマー」がテーマです。
今回のnote記事でもちょっとだけ触れましたが映画「オッペンハイマー」では広島・長崎への原爆投下が描かれてません。
この件について前回のnote記事で「広島・長崎への原爆投下が描かれてないから何なんだ?」ということを書きました。
かなりセンシティブであり、そして賛成してくれる人は少ないと思い有料記事にしています。
200円です。
しかし有料記事にしている分、ホンキでホンネを書いています。
興味がある方はぜひお読みください。
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