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チシュティー教団とトランスジェンダー「インド・パキスタンのヒジュラ」

1.チシュティー教団

チシュティー教団はアフガニスタン発祥のイスラーム神秘主義(タサッヴフ)教団です。

教科書的には、『12世紀以来南アジアで最大の影響力を持つスーフィー教団(タリーカ)であり、地方スーフィズムの先駆的教団としても有名である。宗教音楽「カッワーリー」を保護、発展させてきたことで知られている。』(Wikipedia)と説明されます。


2.ムイーヌッディーン・チシュティー

チシュティー教団の代表者がムイーヌッディーン・チシュティーです。

教科書的には、「ムイーヌッディーン・チシュティー(Muinuddin Chishti, 1141年 - 1236年)は、北インドのスーフィー聖者。ガリーブ・ナワーズ(Gharīb Nawāz)とも呼ばれる。チシュティー教団の最も有名な聖者でもある。」(Wikipedia)

トルコ語でホジャ、あるいはペルシア語でホージャで、「師」くらいの意味である「Khawaja、Khwaja」をつけて、「Khwaja Moinuddin Chishti」などとも呼ばれますね。


3.チシュティーとヒジュラ(インド・パキスタンのトランスジェンダー女性の一部)

このムイーヌッディーン・チシュティーは、ヒジュラの人たちに、とても敬われているようです。

ヒジュラとは、「第三の性」などと俗に言われる人たちですね。「女装」「ドラアグクイーン」「トランスジェンダー女性」「GID者」などの雑多な集団であると、私は見ています。職業としてダンサーや売春婦や乞食を行い、独自のイニシエーションや規律をもった、職業集団ともいえるかもしれません。

デリーのHazrat Nizamuddin Aulia Dargahにはヒジュラが集まるようです。

"Tera karam nahi to qayamat hai zindagi, Tera karam ho jab to salamat hai zindagi.”(ヒンディー=ウルドゥー語)(Without your generosity, my life is doomed. With your generosity, my life is safe.)

世界中のカッワーリーによって歌われているこれらの言葉は、ムイーヌッディーン・チシュティーに捧げられたスーフィーの作曲からのもので、ダルガーで見られる2つの大多数の性別だけでなく、3番目の性別の考えも反映している。と、記事にあります。

ムガル帝国の裁判所では「Khwaja-sarahs」として知られており、ヒジュラ はハーレムで「宦官」として働くこともあったようですね。

「ムガル帝国の法廷でのこの扱いは、非イスラム教徒のトランスジェンダーがイスラム教を受け入れる大きな動機を与えた」とWashburn大学のLiaquat Ali Khan教授 は書いているようです。


12世紀にインド亜大陸にスーフィズム(タサッヴフ)のチシュティー教団を 紹介したムイーヌッディーン・チシュティーが、 ヒジュラのコミュニティで高く評価されているのは、貧しい人々にも貢献したからのもあるようです。

今日、一般男女やトランスジェンダー女性のヒジュラによっても語り伝えられる「Mai」という話があり、「Maiがラージャスターンのアジメールのムイーヌッディーン・チシュティーの修道院に行き、子供を求める」という話のようです。

ラージャスターンのアジメールのMoinuddin Chishti’s shrine(=ダルガーDargah)に加え、デリーのムイーヌッディーン・チシュティーの2つの聖地、西デリーのKhwaja Nizamuddin Auliya’s shrineと、Mehrauliの Khwaja Qutubuddin Bakhtiyar Kaki’s shrineも、毎週多くのヒジュラが訪れるようです。

ほかに重要な場所として、デリーのMehrauliにあるHijron ka Khanqahがあるようです。もともとロディー朝にでき、ヒジュラのコミュニティの spiritual retreatのためだったようです。 Miyan Sahebの墓を含め、49のヒジュラの墓があるようです。このkhanqah(テッケ、修道場)はSufi Saint Qutbuddin Bakhtiyar Kakiにより与えられたといいます。パルという名の世話人によると、インド考古学調査局が所有しているのではなく、 パンナハジ という名前のヒジュラが所有しているということです、とのこと。

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