「私」はどこまで「私」なのか?
ふと思った。
「私」はどこまで「私」なのか?
毎日肌身離さず持っているスマホ。これもある意味「私」なのではないか。スマホには私の「記憶」が写真として詰まっている。私の「言葉」としてLINEなどSNSが入っている。
もはやテクノロジーは人間の欲望を具現化したようなものだ。都市も人間拡張の最終形態として存在している。
都市は人間拡張の最終形態
工場は、労働者を吸収し、そこで量産される製品は消費者としての市民を吸引するという具合に都市が人を運び、ものを見る目の代わりに映画が