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頑張る自分と頑張らない自分 コラム14

受験を控えた浪人生から、全く勉強が手につかなくて、困っているという相談を受けました。浪人を決めてから、休むことなく突っ走ってきたから疲れるのは当然なのですが、「浪人させてもらっているんだからそんな甘いことは許されない。頑張り続けないといけない。」という思いがあり、休んでいる自分を責めているそうです。

頑張る自分はOKで、頑張らない自分はダメという二元的な評価はだれでもしてしまいます。受験に限らず、何らかの目標を立てた時には、その目標に向かって努力するのが当然なのだから、努力しないなんてありえないと、自分を責めてしまうわけです。時にはそうやって自分を奮い立たせることで踏ん張りがきく場合もあります。

しかし、日常の仕事であったり家事である場合は、そう毎日、自分にはっぱをかけて頑張らせるわけにはいきません。前出の浪人生も同じで、もうこれ以上頑張れないというところまで来ているわけです。

そして、頑張れない自分が出てくれば出てくるほど、自分は無能だ、自分はダメな存在なんだとなり、「逃げている」とか「生きる意味がない」といって自分を絶えず責めてしまいます。

なぜ、そのような思考に陥ってしまうのでしょうか?頑張るにしろ頑張らないにしろ、私たちの頭は「納得」することを求めます。目標ややるべきことがあり、それにむけて努力している自分はOKというのは納得がいきます。しかし、それができない自分はどうなのか?そこを納得させるためには、自分をさげすむしかないのです。自分をダメな存在とすることで、納得する理由を見つけているにすぎません。このような状況を脱するには、納得するロジックを変えることが有効だと思います。

頑張らない自分は「ダメ」ではなくて、別の理由を見つけるのです。自分を休ませるため、目標に向けて、努力し続けるための休息、ひいては自分を大切にしているから頑張らない時間も大切なんだということを認めるのです。

頑張る自分も頑張らない自分も、両方肯定すると、自然と心が軽くなり、本来のやるべきことに向けて行動を起こすことができます。急がば回れではありませんが、休息している自分も大切にする、時には、目標を変えたり、方向転換したりする自分も認める。

それは、逃げではなくて、単に自分にとっての最善の決断に過ぎないのです。自分を大切にしているから「ダメ」な自分にも〇をつけることができるのではないでしょうか。

冒頭の浪人生にも「今休んだからすべてがダメになるのではなくて、自分を大切にするために休む。そして休むことで、また頑張る自分も出せるようになるよ」という話をしたら、「心が軽くなった」と話されました。ダメな自分なんて言うのは本来、自分の中にないのです。

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