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「この人は将来、子ども関係の仕事に就くね。」

30年くらい前、とても人気のある京都の占い師さんが、私のことを予言されたと聞いたのは、本当に小学校の先生になってからでした。

私がまだ若くて歌うたいだったときのこと。

遥々京都までその占い師さんに会いに行った恩師は、

「友人の名前を10人挙げてあげてください。」と言われて、

私の名前も伝えてくれたそう。

その占い師さんは、会ったこともない私の名前を聴いただけで、

先述の「この人は子ども・・・・・」とおっしゃったそうで、さすが☆彡としか言いようがありません。

その後、本当に歌手を辞めて、会社員で表彰されるほど売り上げをあげて、

南の島では、公務員なのに休日返上で広報誌の取材に駆け回り、紙面作りに没頭し、そこで子どもたちと触れ合う中で、もっと子どもたちと一緒に過ごしたい!!そういえば大学受験は国立大学の教育学部を受験したんだった(歌手になるため白紙答案で受験に失敗するという演出で、親を無理やり説得)ということを思い出し、

社会人入試を経て女子大生になり、教育実習に行って、教員採用試験を受けて・・・ようやくたどり着いたわけです。

長かった(#^^#)

でも、本当にこの仕事は天職だ!と信じて疑わないほど、毎日が幸せです。

今になって思い出すのは、祖母が学校の先生だったときの話を、何度も聴かせてくれたこと。たしか、やんちゃな中学生たちが最終的になついてくれて、信頼関係を築いたという感動ドラマでした。

そういえば、「ゴダイゴの『ビューティフルネーム』という歌が大好きでした♡ ↓

♪ 今日も子どもたちは 小さな手を広げて 

光とそよ風と 友だちを呼んでる・・・・♬

↑ こんな歌い出し☆

”なんで、こんなに幸せな仕事に出会えたんだろう?”

一人なぜ?なぜ?対話をしてみたら・・・

小学生のときから、ユニセフ、ユネスコ大好き☆

マザーテレサを敬愛していることはもちろん、

オードリーヘップバーン、ダイアナ妃、黒柳徹子さんなど、ユニセフ親善大使として活動されているような女性に心底憧れてきました。

一度私立小学校教員を辞めて、NPO法人を設立したときも、海外青年協力隊員として発展途上国へ行くことと迷いました。

(説明会に参加したり、かなり前向きでしたが、気力だけで元気に生きている虚弱体質な私を家族が猛烈に心配して・・・衛生環境が整っていない環境に行って病気になったりしたら、支援どころか、かえって迷惑かけてしまうよと。たしかに・・・・と納得し、ではまずは、日本の子どもたちのために!と思ったことが懐かしいです。)

なんだろう?

子どもたちといるときの自分は、すっかり馴染んでしまうくらい子どもと同じで、喜怒哀楽の感覚がとても近く、だいたいのことに自然と共感できてしまいます。

だから一緒にいて無理がないし、楽しくて仕方ないのです。

大人だから、先生だからとカッコつけたりすることはなく、

ほぼ”こども化”しています(^-^)

わかりやすく伝えることや、1つのことをいろいろな角度から説明することが好き、

させられる勉強じゃなく、知りたい!自分で解いてみたい!面白そうだから思わずやってしまうという導線を引いて自然に勉強させちゃうのも得意なので、仕事としても向いていると感じます。

でも、このまま学校だけに埋没したくない、もっとたくさんの子どもたちに出会いたい!この想いに突き動かされ、物語を書いたりしています。

とにかく子どもたちと過ごせることが、

物語を紡ぐことが、すご~~~く楽しい♪

それでいいや(^-^)



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