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松坂大輔投手、お疲れ様でした!!


とうとうこの時が来たんだな…
“平成の怪物”松坂大輔投手が引退した。


1998年、甲子園で春・夏連覇を成し遂げ、10月のかながわ・ゆめ国体でも横浜高校が18年ぶり2度目の優勝を果たした。

その年度に生まれた息子に、松坂選手の名から一字いただいた。


実家の近くに、横浜高校野球部のグランドがあった。

横浜高校のユニフォームを来た生徒とすれ違う時は必ず、大きな声で気持ちの良い挨拶をしてくれた。

当時引っ越したばかりで、22歳だった私は、最初、『誰に挨拶してるの?』とキョロキョロしてしまったが、『ああ、地元の人に道で会ったら挨拶するよう言われてるのね』と理解してからは、私も挨拶を返していた。

だから、今も、横浜高校野球部には親しみを感じている。


横浜高校の下校時には、「能見台」のホームは、詰襟の黒軍団で溢れた。



松坂選手がインタビューに答える顔は、18歳当時より丸くなって(太って)いたが、目は少年のように澄んでいた。

野球一筋の人生を全うしたんだな…
そして、これから色々やりたいと話す目は、好奇心でいっぱいだった。


あれだけの栄光を極めた人だ。
良い時にやめる選択肢もあったろう。
どん底を同じだけ経験しても、野球をやり続けた。本当に野球が好きだったんだろうな。
プライドをかなぐり捨てても野球をひたむきに続けた生き方には心底、心打たれた。


最後の登板では、ストライクが一つ入ったことに、野球の神様に感謝していた松坂投手。

本来はプロのマウンドに立てる状態ではないと本人も語っていたけれど、それでも、野球人・ファンの方たちみんなが、最後のマウンドを用意した。
敬意と感謝を込めて。

そして、松坂投手も、「どうしようもない姿かもしれないけど、全部さらけ出して見てもらおうと思いました。」と応えてくれ、感謝の言葉を返していた。

最後にマウンドの土をはらい、涙ぐむ姿には、私も涙しました。


尊い記録もそうですが、それ以上に尊い「生き方」というものを見せてくれたと思いました。


ありがとう、松坂大輔投手。


長い間、お疲れ様でした。




PS
松坂世代以上の方の中には、「横浜高校の校歌」を歌える方が結構いらっしゃるのではないでしょうか?

希望あれ、輝け。
きぼーお(ここ、下がる⤵️)あれ〜
かがーあ(ここ、下がる⤵️)やけ〜
横浜高校〜横浜高校〜🎵^^

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