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「親子別姓だった夫の話・1~4」を読んで感じたこと #創作大賞感想

作者のバニラファッジさんのブログは、私も介護中の頃から、ずっと読ませていただいていました。

ちょうど、年代もだいたい似ていて、私自身がたぶん夫の政夫さんと、後に妻になる作者のさっちゃんと、中間くらいの年齢だと思います。
お子さん達や、介護の状況も、ちょっと似てる部分があり、今も親近感をもって読ませていただいています。

この作品の当時、離婚したシングルママの世間の風当たりは、結構強かったし、そもそも職業婦人、働くお母さんに対する目も、厳しいものだったように思います。
もともと、潔癖、完璧主義のお母さんだから、余計に政夫くんには厳しかったのでしょう。

そして、たぶん。
親子で姓が違ったのは、離婚する時に、息子の姓を変えることを、あちらの姑さんとかに拒否されたからではないでしょうか。

離婚したお父さんには前妻さんの娘が2人いたそうだけど、長男は政夫くん一人だったようだから。
「竹之内家の跡取りである長男」の立場の孫息子を、離婚は許しても、名前を変えることは許さない、というのが、きっと当時の姑さんたちの考えではないかと思います。
たしか、気の強いお母さんも、そのキビシイ白足袋のお姑さんに泣かされた、と以前のブログにあったような気がしますし。

だからもしかして、竹之内のお父さんも、跡取りが生まれるまで、また再々婚させられていたのかもしれません。


現代ではあまり考えられないけれど、昔のお姑さんは、本当に強かったようです。
私も嫁いだ当時、姑から、姑の姑からされた仕打ちなどの話を、よく聞かされました。
わが家の場合は、義母が、自分のされたイヤな事は嫁にはするまい!と決心してくれていた事で、ずいぶん助かりました。

でも、世の中には、自分がされたイヤな事を、誰かに返さないと悔しくていられない!という人もいるようです。
本当はそれでは、悪循環の環が切れずに、きっとまたどこかでツライ経験をしないといけないような気がしますけど。


この政夫くんは、小さい頃は、お母さんのいいつけ通りに神童であろうと、きっと頑張ってきたのだろうなと思いました。

けれど、思春期以降には子供自身も強くなって、反動が出る子と、すっかり萎縮してしまう子と、両方いるのではないでしょうか。
それでも政夫くんは、音楽に活路を見いだせて、美術にも向かえて良かったなぁと思います。

わたしが高校生の頃、バンドがとても流行っていました。
先日卒業以来40数年ぶりの高校の同窓会があり、ずっとバンドを続けてる同級生がいて、ビックリしました。
でも、なかなかそれで生計をたてれるようになるのは、一握りの人ですよね。
彼も、う~ん?!という感じでしたね。
夢を追い続けているのは、それはそれで貴いですけどね!


政夫くんのお母さんは、口はキビシかったけれど、本当はそれは息子への愛だったのでしょうね。
だから、口で言う割には、美術の家庭教師をつけてくれたりしています。
それなら、ちゃんと反対する事ばかり言わないで、褒める方の言葉かけをしてあげれば良かったのにね。

でも、あの時代の女性は、そのような事をしてはいけないと思っていたのかもしれません。

昔の子育ては、叱って育てろ!と、言われたそうですから。
お母さん自身も、素直に子供を褒めたり、愛してるという言葉をかけたりする事ができなくて、寂しかったのかもしれません。

私自身の母も、片親で育ち、寂しく育ったようです。

実母を介護する事が出来たお陰で、母を抱きしめてあげる事ができて、有難かったな~と思います。

(↑↑ ご参考まで)

この政夫くんの、キビシイお母さんも、後に嫁のさっちゃん(作者のファッジさん)に出逢ったことで、救われた部分が沢山あったように思います。

介護にかかわるご縁って、きっと何かあるのだと思うのです。
しかも、このファッジさんの介護まんがで、勇気づけられた方が、全国に沢山いるのです。
ファッジさんに、絵を描くことを続けさせてくれたのは、ご主人なのだと聞きましたし。
それは、自分が若い頃に、やりたい事を反対され続けてきたから、だからこそ出たコトバだったのかもしれません。


ラストは、ほのぼのと、一人っきりだった竹之内苗字の家族が、沢山になって終わり、ちょっとホッとしました。
色々な経験をすることで、誰かの助けになる事もあるのだと、わたしは思っています。

まだまだ、ファッジさんのブログにもnoteにも、目が離せないかな~。
長い感想を読んでいただいて、ありがとうございました。

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