ハッピーターンの衝撃を経て保育園から幼稚園への転園を決めるまで
保育園で次男の0歳児クラスでハッピーターンが与えられていた衝撃的なエピソードは前述の通り。
2019年の春の話だったのかと思うと、時の流れの速さに身震いしてしまう。
エピソードをブログで公開するや否や反響が多々あり、その多くは「保育園の方針を変えられたなんてすごい!」とか「自分の保育園も十分に注意して見ます!」といった好意的なものが多かった。
一方で「そんなに文句言うなら幼稚園に行ってください」という意見もあり、本当にその通りだよなと思わされた。
とはいえ、その後こちらも色々あり
2019年12月、随分と疎遠にしていた父親が癌で危篤となった。
文字通りの危篤で、今思うと兄弟両方が保育園に通ってくれていたあの時期でなかったら夕方まで病院に付き添うこともできなかったし、納得できるまで時間を父親に割くことはできなかったであろう。
中でも色々と生意気を言ってしまったこともある園長先生は非常に寛大な方で、長男からの付き合いでもあるため私のことをよく理解してくださり、寄り添ってくださったことを心から感謝している。
危篤で毎日病院へ足を運ぶ私。いつ父親が死んでもおかしくない12月のクリスマス近くの土曜日。普通なら土曜日保育はそういった理由で利用できないのに特別に兄弟を預かってくださった。その恩は一生忘れないと思う。
そして父は2020年1月に他界した。
2月にはコロナ騒動が始まり、4月には保育園も休園へと追い込まれた。
長男の小学校入学式は前例をみない延期となり、約3ヶ月遅れて6月末の暑い中での入学式となった。
長男は分散登校やコロナ騒ぎもあってか、学校にしばらくスムーズに通えなかった。(その話も後日、記載したい)
もれなく私にも訪れた小1の壁。
働き方はおのずと変える必要が出てきた。
14時まで行ってられるかもわからない学校。
朝は学校まで送っていく必要があったし、帰ってきた時に家にいてあげる必要もあった。
次男はコロナでの休園期間を経て、すっかり保育園へ行きたくなくなっていて、登園渋りが酷くなる一方だった。
なんとか誤魔化し誤魔化しながら連れて行ったり、週3.4日の登園に調整したり、時短保育みたいにしたり、色々試した。
長男の帰宅も14時前後と早いし、保育園に必死に通わせる意味を自問自答し始めた。
最終的には、次男の体に異変が出た。
最初はお腹が痛き気持ち悪いと言っているなどの理由で多く呼び出しが増えた。お迎えに行って家などで過ごしているとピタリと様子が戻る。
そしてトドメは、保育園に着きクラスに入る寸前に、蕁麻疹が顔を始め全身に出たのだ。
私は次男の担任のクラスの先生たちも大好きだったし、信頼を寄せていた。だから、何がそんなに次男にストレスを与えていたのかは分からない。
でも本人の体が拒否反応を示したのだ。
私の決断に拍車をかけた。
年少になるタイミングで、幼稚園に転向しようと決意。保育園のように長く預かられることを時間は嫌っていることも理解した。
そこから近所の幼稚園2つを見学に行き、説明を受け、入試を経て、新たなステージに立ち向かうことに私たち家族は挑んだのだ。
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