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【小説】推しグル解散するってよ④

 千晶と修との最初の記憶は3歳まで遡る。もともと家が近所だったことに加えて、母親同士が千晶と修を同じ年に妊娠したのでよく相談し合ったり、交流があったらしい。
もはや生まれる前から幼馴染だったとでも言おうか。必然的に一緒に遊ぶことが多く、互いを修ちゃんちぃちゃんと呼び合い仲良く過ごしていた。千晶にとっては真紀は頼りになるお姉さん、修は同性の友達のような身近な存在だった。小学校を卒業するまでは。
 中学校に上がるまでの春休み、修の背がグッと伸びた。そして、現在のような美しい容姿に変貌していった。思い返してみれば、幼い頃からかわいらしい顔だとは周りに言われていた。誉め言葉として、よく女の子みたいだと言われていたので、修はいつもきまり悪そうに笑っていたのを千晶は覚えている。それが、唐突に“イケメン”になり、急に女子からモテだした。中学に入学してからは修の周りにはいわゆる1軍と呼ばれるスクールカーストのトップのような男女が常にいた。
千晶はといえば、思春期で食べ盛りに突入し、どんどん太っていった。当時は千晶の身長の標準体重よりも遥かに重かった。中学に上がると小遣いも増えたので、GAPのファン活動にも磨きがかかり、あらゆるライブに突撃していた。千晶は幸せだった。GAPに囲まれた青春がとても幸せだった。
勝手に幸せにやっていたのに、それを笑う生徒もいくらか存在した。
一部の男子からは行動力のあるデブだと揶揄された。女子生徒からは「GAPファンとかマジウケるね」と指を指して笑われたこともあった。
自分を笑ってきた生徒たちが、修を取り巻く仲間たちの一員だったことから、なんとなく修もきっと心では自分を笑っているのだろうと思っていた。
このあたりから千晶は華やかなグループの人たちには自分の思いは理解されないだろうという、いわゆる“こじらせ”感情を芽生えさせた。高校進学したところで、体重も減らないし、オタクであることにも変わりはなかったのでクラスでの立場は大して変わらず、自分を理解してくれ(ているように見え)る人たちとの狭い世界で過ごす楽しさだけで生きていた。
 
社会人になり、仕事の出来や努力する姿勢を周囲に評価されるようになってからは千晶の中にあるこじらせ感情は少しずつ薄くなっていった。
いざ社会に出てみると、学校だったら仲良くならなかったようなタイプの社員と仕事の話で意気投合したり、外見や雰囲気では左右されない人間関係を築けるようになった。
 自分が美人で無かろうと、オタクであろうと、仕事をしっかりとこなし、誠実であれば認めてもらえる世界を知った。
 だから、“大丈夫”だった。
だったはずなのだけれど。
 そんな中で修に10年ぶりに会い、あの頃の“こじらせ”が心の中で目を覚ましてしまった。
あの時、楽しい気持ちにグサりと棘を刺してきたあの女子生徒とか、体育祭で千晶が走ると「どす子出陣!」と笑ってきた男子生徒とか、そういうものが蓋をしていた箱から飛び出てきた。
 
  終電の1本前の電車に乗れた。
明日は遅番のシフトなので出社は昼の12時からだ。少し朝寝ができるなと時計を見た。
千晶は自宅の最寄り駅まで電車に揺られながら、修があんなにオタクに理解があるなんて知らなかったなと思った。
知らなかったのか、気づいていなかったのか、気づこうとすらしなかったのか。そこまで自分への考察こそしなかったが。
ふとスマホを見ると、GAPの笑顔の待ち受け画面が目に飛び込んでくる。どんなつらい時もこの笑顔を見れば元気になれたのにな、無くなっちゃうのかよ、と千晶はまた目が熱くなってくるのを感じた。
少なくとも電車を降りるまでは我慢しようと目をカッと大きく開いた。
自分の心の支えだったものが無くなってしまう事実が、千晶にとって悲しみでもあり、深い不安でもあり、どこか恐怖心すら感じた。
この先私はつらいことも悲しいことも、GAP無しで耐えなければならないのかと。
「あー、メンタルぐちゃぐちゃ。」
 電車を降りて、駅近のコンビニで水を買って、やっと人目につかない路地に入ったところで、千晶はもう一度泣いた。
 
 
――――――――――――――――――――――――――――
 
 
『ねえ、どす子って何で修くんと仲良いの?』
『全然お似合いじゃないんだけど。』
『てか、修くんに近づかないでほしいんだけど。』
 
 
「・・・・・ああ・・・・夢か・・・・。」
嫌な夢を見た。
中学時代、一部の女子に囲まれて、修との仲を聞かれている夢。
夢、だけれど夢じゃない。これは実際に体験したことだった。
(いらんこと思い出した・・・・・最悪)
デブでブスのどす子なんかが、みんなの憧れの修くんと幼馴染だなんて許されなかったのだろう。
ありがたいことに(実際ありがたくもなんともないが)身体的な攻撃こそされなかったが、彼女たちからの睨みの効いた視線はなかなか忘れることはできなかった。
もう15年も前のことなのに、その映像が頭の中で鮮明に残っていた。
『え、仲良いわけないじゃん!だって私、どす子だよ?』
笑いながら、確かこんなことを答えたと思う。
ヘラヘラと、アハハアハハと。
その言葉に彼女たちは間の抜けた息を落とした。
『確かに、どす子の存在気にすんのバカバカしいかも。』
『修くんがどす子相手にするわけないか。』
千晶を囲んだ内の誰かが呟いた。
大袈裟な口調で無くて、もっと気楽な、何も考えずに口から出たような声で。
そんな気楽さすら軽く傷ついたけれど、それ以上の攻撃の的にされるよりは遥かにマシだったから笑っておいた。
さっき修と話をしたことさえ、誰かに怒られてしまいそうで、千晶はため息をついた。
「会いたくなかったなあ。」
あれからもう15年も経っている。
忘れていた、あのなんとも言えないじわじわと迫る嫌な感じ、に、また心が覆いつくされそうだった。
 人生の支えが無くなってしまうんだから、さ、もう、余計なこと起きないでよと、今日修に再会したことをほんの少しだけ恨んだ。
 
 
 
 
「おっはようございまーす!」
翌日、千晶は腫れた目を誤魔化すよう、濃い目にメイクをしていつにも増して元気に挨拶をした。
会社のパソコンを起動し、一日のスケジュールを把握する。
「えっと、今日はスマイルマートさんのお中元のチラシが出るから入電増えますね……、あと夕方五時からエブリタイムバーゲンさんの通販番組がミヤギテレビと、サイタマテレビと、テレビ名古屋、と福岡テレビで放送・・・っとこれ入電やばそうなんで私、ヘルプ入りますね!」
千晶はいつにも増してサクサクと動いた。今日は忙しくなるから、落ち込んでなんていられない。頑張らなきゃ、と息巻く。机の引き出しを開けると、リョウタのブロマイドが顔を覗かせて胸がキュッと痛くなった。
「米村ちゃん、元気ね。」
一番席の近いパート従業員に声をかけられた。
彼女は千晶が入社する前から勤務しているベテランオペレーターの主婦だ。
「ええ、今日は忙しくなるんで!」
「米村ちゃんが好きだって言ってたギャップ・・・だっけ?あれが解散だって言うから落ち込んでるんじゃないかって心配でねえ。」
ああ、来た。
誰かに触れられるだろうと覚悟していたが、早速来た。
ほっといてくれと言いたいが、相手も悪気があるわけじゃない。千晶は、いやいや大丈夫です、と笑った。
「そう?それなら良いんだけど……。まあ確かにそんなことで落ち込んでたらキリがないわよねえ。」
そう言われて千晶は、ハハハと声だけを返した。
 そんなこと、そんなことだ。そんなことで泣いている。そんなことで落ち込んでいる。そんなことで茫然としている。
 そんなことで生きる希望の少しを見失っている。
そんなことで。
「でも最近、若いかっこいいグループ出てきてるもんね!またそっちにハマればいいじゃない、ね。」
絶対に悪気はなく、むしろ元気づける為に言われたその言葉が胸に痛かったが、千晶はそうですね、とだけ笑顔で返した。
今の気持ちを仕事の同僚に押し付けるのは違う。
 千晶は5秒間だけ、目を閉じて、また目をカッと開き、仕事を始めた。
千晶の勤めるコールセンターは普通のオフィスのように従業員ごとの決められた座席が無い。日によって、時間によって出社している人もバラバラ、座席もバラバラだ。
昼間は主婦層が多く、夕方からは学生、夜間は芸人やバンドマンなどの夢を抱える若者も多く在籍する。さっきまで子供の話をしていた主婦の座席に、数時間後には金髪のバンドマンが座っていたりする。不思議な空間だ。
 千晶はもともと学生のアルバイトでこのコールセンターへ入った。本当は他にやりたい仕事もあったが、就職活動が上手く行かず、そのままアルバイトを続けることになった。
入社前の求人には「社員登用あり」とデカデカと謳っていたので、すぐに正社員になれるのかも、と狙っていたが、未だに契約社員止まりだ。正社員になった先輩もいるが、10年かかってようやく、という様子だった。
思う通りの人生には進んでいないが、それでも今はコールの仕事が好きで、やりがいも感じている。
時間によって入れ替わるスタッフの面々を見ている時も、クレーム電話で怒鳴られて胃が痛くなる時も、電話口で温かい言葉をかけてもらえる時も、たくさんの人間模様が見られることに面白さを感じていた。
 話しかけてきたパート従業員にも人生がある。芸人志望の彼も、バンドマンの彼も、皆それぞれの人生があって、その人生の途中でこのコールセンターの席に座っているのだ。
 自分にとっての嬉しいことや楽しいことを支えにして生きている。それが千晶にとってはGAPだった。稼いだお金でCDやグッズを買うことはもちろん、ライブが決まれば新しい服を買い、美容院を予約して、ネイルサロンへ行った。家賃の安いアパートで多少の不便を我慢してでも、GAPのために行うそれらが楽しくて仕方なかった。
そんな、人の人生が見えるオフィスが千晶は好きだ。
 
 「米村さん、今日4時から入電増えるから先に休憩とってもらってもいい?」
上司に言われ、いつもより早く休憩をとることになった。
休憩室に入るともともと狭い休憩室がパート従業員でぎゅうぎゅう状態になっていた。パート従業員とひとまとめに言っても、おしゃべり好きな声の大きいグループがいたり、そのグループには属さない静かにしゃべるグループがいたり、完全に一人でランチをする者もいる。学校を卒業してもグループというのは自然にできるものだなと千晶は思う。
 千晶はいつものように弁当箱を開け、スマホを動画サイトにつなぎ、ワイヤレスイヤホンを耳にはめようとした。
「米村さーん、それってGAPのグッズ?」
おしゃべり好きなグループの一人が話しかけてきた。
「あ、これですか?……そうですよ。」
千晶が持っていたマイボトルの話だった。GAPのコンサートグッズで、なるべくファン以外の人にはわからないようなシンプルなデザインになっているが端の方にGAPと記載がある。
「娘も同じの持ってんのよー!うちの子はね、トモヤくんのファンなの。」
彼女は声が大きかった。
千晶もいい大人だ。露骨に恥ずかしがるのも、嫌そうな顔をするのも、やたらに興奮してしゃべるのも違う。
ああ、そうなんですね、とだけ笑顔で答えた。
GAPという単語が休憩室に響いて、他のグループの人たちまでGAPの話をしだした。
「米村さんってGAPのファンだったのね、解散するんでしょう?やっぱり不仲とかなの?」
「仲良さそうに見えてもわかんないもんよねえ。やっぱりリーダーの子だけ売れちゃったから仲悪くなったのかしら。」
あー、もう最悪、と千晶は頭を抱えたくなったが、
「仲はいいんじゃないですかあ?まあどうなんですかね、私はただのファンなんでよくわからないです、アハハ。」
とだけ答えて、イヤホンを耳にはめた。
「そうよねえ、ファンでもメンバーの性格なんてわかんないわよねえ!」
イヤホン越しにとてつもなく嫌な言葉が聞こえてきたが、聞こえないふりをした。
 彼らは彼らなりに考えた上で解散を決め、今もその考えた未来に向けて走り出そうとしているんです、もう20年も活動しているんですから仲が良いとか悪いとかそういうの超越していると思うんですよ!!と早口でまくしたてたい気分ではあったが、そんなことをして得をする人はいまここには誰もいない。
千晶はそう思いながら、弁当のおかずに箸を運んだ。
 今日も卵焼きはいつもと同じ味だし、冷凍食品のコロッケもまたいつもと同じように美味しかった。
マイボトルは5年前のツアーのグッズだ。5年間使用していて一度も誰にも触れられることなんて無かったのに、どうしてこのタイミングで気づかれてしまうのか。
あーあ、大切に使ってたのになあ。私の大切だったのになあ。
こんなしんどいやりとりも、ボトルに記載されたGAPという文字の愛しさも、これを買った時のライブ会場の高揚感も、そのすべてがなんだか涙を誘うから今日仕事が終わったら新しい水筒を買いに行こう。
千晶はそう決めて、弁当の残りを勢いよく口に入れた。

に続く

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