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【小説】推しグル解散するってよ⑤

―――例えば8月のコンサートツアー。
真夏の日差しの下で汗をかきながら会場の物販エリアで千晶と真紀は世界一愛しい悩みを相談しあった。
『真紀ちゃん、グッズどうするー?』
『私は選ぶの面倒だから全部買うわ。ちぃはどうする?』
『そっか、この人富豪だった。私は全部はキツイなあ。』
『富豪ってなんだよ。』
『しがない契約社員に全買いはキツイっす!』
『迷ったら実用性のあるもん買いなよ。』
『とりあえずマイボトルはあれば使うよね。』
『仕事中でもGAPを感じられるってのがいいよね。』
『じゃあ写真とペンライトとパンフレットとTシャツとタオルとマイボトルだけ買おっかなあ。』
『ほぼ全部買ってるやん!』
『全部じゃないよ、ポーチ買うの諦めたし!』
ライブ会場特有の高揚感を含めたざわめき。化粧や香水の香り。
皆が皆、会場で久しぶりに会う友人たちとはしゃいでおしゃべりをしていて、あらゆる場所から突如大きな声が聞こえてきたり。
みんなが、大好き、に会いに来ていて、嬉しくて、楽しくて、幸せな時間。
みんなが自分史上最高のお洒落とメイクをしてきたりなんかして。かと思えば、職場から走って会場にやってきた仕事着姿の人もいて。
息を整えながら、汗やばい!とツアータオルで額を拭いてスーツ姿のまま、大慌てでファンデーションを塗りなおしていたり。
どれもそれも、大好きが心からあふれ出していた。愛しかった。
そういった会場の空気すべてが千晶の青春だったし、人生だった。
千晶はマイボトルのGAPの文字を指でス、っと撫でて、そんな時間を思い出した。
GAPのメンバーが好きで、歌が好きで、ライブが、テレビ番組が、全て好きだったけれど、彼らが居ない場所で輝くファンの人たちと同じ時間を過ごすこともまた幸せだった。
(とんでもない幸せをもらってたのかもなあ)
そんなことを思いながら、千晶は食べ終わった弁当箱を鞄にしまい、オフィスへ戻った。
 
 
千晶は仕事を終えると、閉店間近の駅ビルの雑貨屋へ入った。マイボトルを探すと言っても、サイズ、色、用途によって様々なものが発売されており、選ぶのに時間がかかった。
「これいいな・・・あ、青か。」
千晶の手には、すぐに青い物を手にとってしまうという長年の癖が染みついていた。
青はリョウタのメンバーカラーだった。
ファンなら必ずしも推しのメンバーカラーの物を身につけなければならないなんてルールはないし、誰にも強制されていないが、気づけば選んでいた。
千晶のあまり大きくない掌にピタリとハマるパステルカラーのボトルを手に取った。
ピンク、ミントグリーン、ベージュ、レッド、ブラウン、パープル、それからアクアブルー。
パステルカラー展開の中で、レッドだけは鮮やかな深紅だった。
真紀さんなら真っ先にレッドにしただろうなあ、とふわり想像する。赤は大二郎のメンバーカラーだ。真紀はライブではいつも真っ赤なワンピースを着ていた。普通なら派手に見えるその色も真紀が着ると妙にお洒落に見えた。真紀はいつもかっこよかった。いつも堂々としていて、大好き、に真っすぐで。だから千晶も一緒にいる時間が楽しかった。
情熱のままに大二郎を追いかけていて。
外見だけの話ではない、心の奥の人間性の部分がとても美しい人だった。
「ほんとなら真紀さんにこのレッド、プレゼントするのになあ。」
ミントグリーンやピンクに手をやりながら、千晶は独り言をつぶやいた。
 する、っと鮮やかなレッドのボトルに男性の細くてきれいな指が触れた。
他のお客さんだと思い、千晶が少しだけ横にズレると、
「米村さん?」
修だった。
「しゅ、修くん!」
修も仕事帰りの様相で、少し疲れた目で千晶を見た。
「あ、あれ。やっぱ米村さんだ。」
「しゅ、修くんの会社、この辺なのですか?」
動揺して変な日本語になる。
「うん、西口に新しくできたビルあるでしょ、あそこに入ってる。」
「へえ・・・そうなんだ、最寄り同じなんだ。・・・へえ。」
「去年まで隣駅の方だったから、最近この辺に勤めだしたんだよね。二日連続で会うなんて偶然だね。」
修は笑ったが、千晶は昨夜の悪夢のせいもあり、少しだけ引きつった表情を返してしまった。
「米村さん、水筒買うの?」
「うん、ほら、真紀さんも使ってたと思うけどGAPのボトル……あれ、使うの今ちょっと気持ち的にキツくて。」
頭のてっぺんから汗が出てきそうだった。
他の人からしたらしょうもないことにこだわって、悲しんでる。
「そっか、そうだよね。」
修は千晶を笑うことなく、ゆっくりとうなずいた。それ買うの?と千晶が手にとっていたミントグリーンのボトルを指さす。
「うん、サイズもちょうどいいかなって思って。」
千晶が返すと、修は同じ種類のベージュを手に取って、コレ姉ちゃんに似合いそう、と呟いた。千晶は、に、似合うと思う!と少し上ずった声で返した。
「姉ちゃんも欲しいかな?」
修は柔らかく笑って千晶を見た。
「ど、どうだろう、私は真紀さんとおそろいだったら嬉しいけど!」
修と話す時にいちいち声が大きくなってしまうのを止めたいと思いながらなかなか直せない。
修は一瞬だけレッドを手にして、それから数秒何かを考えているような表情を浮かべて、またベージュを手にした。
「姉ちゃんにコレ買うね。」
千晶は修のその言葉に、うん、と軽く、だけ頷いた。
会計時、修が千晶に、米村さんの分も払おうかと聞いてきたが、千晶はいいよ、自分で買うから、と断った。
修の気遣いはありがたかったが、GAPと関係のない瞬間を自分で始めなきゃ、上手く新しい日々を始められなさそうで、語気を少し強めて修に答えた。
語気を強めた後に、また「違う、違う!気持ちはありがたいです!あの、ただ、ここは自分で払います!」と、馬鹿みたいに慌てた。
 修はオッケー、わかったと答えて、それから、メシ行かない?と軽く誘った。
 千晶はつくづく修はスマートな男だな、と考えていた。
 
 少し洒落た飲み屋。店は修が「適当に」選んだ。女の子と来慣れてるのかしらと千晶は心の中でヒューっと指笛を鳴らす。
気合の入りすぎたレストランでもなく、安っぽいチェーン店なんかじゃなくて、ちょうど良い店を知ってるんだなあとなんだか感心する。
構え過ぎないほどの個室に通されて、二人で生ビールを頼んだ。千晶は鶏のから揚げをリクエストし、他の注文は修に任せた。
ミントグリーンのボトルと、修が購入したベージュのボトルをテーブルの上に並べた。
今までなら真紀と、赤と青、わかりやすくて、嬉しくて、最高の色合いで一緒にお揃いを買って、大二郎とリョウタ最高だーって笑っていた。
持ちなれないミントグリーンを手に握る。真紀さん、ベージュのボトル気にいるかなあとまじまじと眺める。
買ったボトルが何故か温かく感じた。この先の未知の未来を応援してくれているようで、そのミントグリーンを掌にじわじわと感じた。
そんなことを感じているのは世界で自分一人だけで、量産的に売られているこの商品にそこまでの思い入れを含ませている人など他にはいないのかもしれないけれど。
それは千晶の新たなスタートの小さな一歩だった。
食事を注文してくれた修が、そんな千晶を見た。
「気に入った感じ?」
「う、うん、多分真紀さんも・・・気に入ると思う。」
メンバーカラーがどうだとか、色んなことを考えていたから、修と食事に来たことを意識していなかった。
個室で修と二人で向き合って、急に千晶は気まずくなって思わず下を向いた。
「なんかごめん、あの、急にメシとか誘っちゃって。」
修が謝ってきて、千晶はまた慌てた。
「いや、大丈夫です、大丈夫。むしろ、一人でいるとGAPのことばっか考えてしんどくなるし……会社の同僚とはシフトが合わなくてなかなか飲みにも行けてないから……その……誘ってくれてありがとう。」
「それなら良かったけど。」
修の声が安堵を含めていて、気を遣わせているようで千晶はガバッと正面を向いた。
「修くんごめん!私、いますごく気持ちに余裕がなくて・・・・!」
「お待たせしましたー!生ビールとお通しです。」
千晶の声を遮って、生ビールのジョッキとお通しの冷えた煮物がテーブルに出された。
「とりあえず乾杯しよっか。おつかれ。」
修が手元のビールジョッキを千晶のそれに傾けた。あ、はい、と千晶が答えて、それから、ジョッキの口元がコツンとあたった。
修は相変わらずキラキラと煌めいていて、アイドルじゃなくてもこんなに煌めている人がいるんだなあと千晶はビールと一緒にゴクリと感情を飲み込んだ。
ジョッキをぎゅっと握りなおして、千晶はフ、と息をつく。
「GAPの解散も修くんとの再会も、色々急にありすぎて……一人でバタついててごめん。」
「いや、全然・・・全然大丈夫だよ。」
修はおいしそうにビールを口に運んだ。仕事で疲れているのか、と勘繰わせるほどの飲みっぷり。目の下のクマが疲れを思わせる。
「頭の中が、GAPでいっぱいで、なんかごめんね、他に色んなこと考えなきゃいけないんだけど、どうしよもなくて。なんかほんと、ごめん。」
ごめん以外の言葉が出てこなくて千晶は何度も謝罪の言葉を口にした。
「謝られることなんて何もされてないけど。」
「いや、でも、昨日も気を遣わせちゃったし……。」
「俺は何も気なんて遣ってないよ。仕事はちゃんとやれてる?」
「仕事は大丈夫!むしろ、仕事をしなきゃいけないことが救いって感じ。」
千晶は自らを納得させるように頷きながら言った。
修はそんな表情を見て、そっか、と息をつく。
「米村さんは良い意味で……良い意味でだけどさ、変わってなくてなんか嬉しいんだよね。」
そう言って、ゴクゴクとすごい勢いでビールを飲んだ。
修の顔はすぐに酔って赤くなっていった。
千晶は変な人だな、と思った。
悪気はなく、悪口ではなく、ただ、変な人だなと思った。
“どす子”だった自分と話してるのに普通に会話してくれる元・一軍男子で、アイドルオタクに理解があって、それからこんな自分を笑顔で受け入れてる。変な人。
「好きなものが変わらないから、変わってないように見えるのかもね。私的には変わったところたくさんあるけど。」
千晶は答えた。
修は冷えた煮物を口に含みながら、そっか、と呟く。
「俺は変われてないんだよね。全然。なんにも。」
「そ、そうかな、別に変わることが正しいわけでもないと思うけど。」
よっぽど疲れているのか、修はどんどんビールを飲んだ。千晶のジョッキがまだ半分ほどしかビールを減らしていない中、修はとっくに一杯飲み干していて、千晶は、飲みたいだけ飲みなよ、とメニューを渡した。
美しい修の顔がみるみる赤くなって、醸し出す空気もふわふわしてきた。
「修くんって……変な人だね。」
千晶はゆっくり飲んでいたビールの何口目かを口にして、思わずつぶやいた。
「変な人って、俺が?」
「うん、あ、失礼だよね、ごめん!」
漏れ出た本音に千晶が慌てて謝ると、修は急に笑い出した。
「・・・・すごい、ふふふふ、米村さん、やっぱすごい、あははは。」
千晶の口から出た変な人というワードに一瞬だけ目を丸めて、それからふふふふと笑い始めた。そんな笑うこと言ったかなと千晶は思わず真顔で彼を見てしまった。
修はその顔に気づいたのか、一度咳払いをしてごめん、と言った。
「俺、そんなこと言われることないからさ。」
自身の80パーセントがコンプレックスで成り立っている千晶にはなんとも言えない返答で、多分、苦笑いに一番近い表情で修を見た。
変なこと言っちゃったならごめん、と口癖のように謝る。
千晶の謝った姿に、違う、違うの、と修は上機嫌な表情で手をバタバタと振った。
「姉ちゃん以外にそんなこと言ってくれる人いなかったから。嬉しいっていうか、面白いっていうかさ。」
修は上機嫌だった。千晶は自分にとって誉め言葉ではないそれを、嬉しいと受け入れる修に、これは見習うべきなのか、何なのかわからなくなっていた。
修は、「俺、人に笑ってもらえないんだよね。誉められはするんだけどさ。」と言った。
少しだけ切なそうな表情を浮かべ、それから、ニコッと笑顔を千晶に向けた。
「笑ってもらえないって何?」
「かっこいいとか、仕事できるねーとか、好きですーとか、言われるけど。そんだけ。」
「そんだけって、十分じゃない?」
千晶の言葉に修はうーん、と言いながらノールックで店員呼び出しボタンを押した。ビールをもう1杯頼んだ。
「俺ね、面白くないのよ。」
煌めいた美形の顔面から放たれたその言葉に、千晶は一瞬止まった。
「修くんが面白くない・・・?」
「うん、俺って全部予想通りなんだよね。相手が予想した通りの答えしか出せないの。仕事も、多分恋愛も。」
「修くんが予想通り・・・?」
同じような言葉を繰り返してしまい、千晶は心の中で(あたしゃbotか)と自分にツッコミを入れた。
「別にそれって悪いことじゃないでしょ。突拍子もないことしでかす人よりさ。」
千晶に言われると、修は頭の後ろで手を組んだ。
「姉ちゃんと米村さんは自分のスキにまっしぐらで、話してても面白いでしょ。それに比べて俺はほんとフツー過ぎて。」
酔った口調の修に、千晶はイヤイヤイヤ、と手をひらひらさせた。
「顔面が!普通じゃないですよ!修くんは!」
言い方が面白かったのか、修はまた笑った。
顔面って!と、ケラケラと笑った。
そんな笑うかね、と千晶は思ったが言わなかった。修にとっては新鮮な反応だったのだろう。
これまで出会った女の子はもっと、可愛らしく、愛しげな目で彼を見つめるのかな、こういう時。
「米村さんほんと面白い!話すワードとかさ。俺、そんな言い方されたの初めてだよ。」
「私が面白いなら世の中のオタクは全員面白いよ。」
千晶は高くも低くもない平坦な声で答えた。
修はそれすらもケラケラと笑った。
 ネットで読んだことがある、オタクに憧れる若者という記事。
修もそれなのかと千晶は思った。オタクになろうとして、何かを追求してみたり、どっぷり漬かろうと試みる若者が多いのだと。
抜け出したくても抜け出せないアイドルの沼に漬かりきっている千晶には、理解不能の記事だった。オタクなんてなろうとしてなるもんじゃない。
なりたくなくても、気づけばハマってしまうのがオタクなのに、と。
「どす子に憧れるなんて、やっぱり変な人だよ。」
自虐は中学時代からの癖だ。
自らを貶して笑いをとったり、仲間と共感し合ったり。
大人になってからもその癖は抜けないし、そうやって居た方が周りからも好かれやすかった。
「米村さんは米村さんだよ、どす子じゃないでしょ。」
笑いつかれたような落ち着いた顔をようやく向けて、修は言った。
千晶はどんな顔をすればいいかまたわからなくなった。
わからなくなって、ただ、ありがとうとも何とも答えられずに、変な人だなあと茶化すように言った。
修の美しい顔を目前に置きながら、千晶はビールを口に含む。修じゃない誰かに貶された記憶が強く残ってしまっているせいで、修を理解しようだなんて思いもしなかった。
自分が被害者でいた方がラクだったから。
 卑屈は切り札になる。
傷ついた記憶を心の奥の引き出しに置いておけば、誰かを責める時に最後に出せるカードになる。
千晶は学生時代の記憶をそんな切り札にして生きてきていたのかもしれないと、アルコールの回るフワフワとした頭の中で巡らせる。
だって私は傷ついたから。
修くんの存在のせいだったから。
修くんと違って自分は華やかじゃなかったから。
だから、私には華やかな人たちを責める権利がある、と心のどこかで何か、硬い、石のような塊の根性を積み上げていたのか。
 思い返してみれば、修が意地悪だった日なんて1日も無かった。
 千晶をどす子と呼んだことも、実は一度も無かった。
「米村さんも姉ちゃんもさ、家族でも恋人でも無い人の為に全力で泣けるんだよ。それってすごいじゃん。」
 褒められたのかどうか判定しがたいことを言われ、千晶はわかりやすい愛想笑いを向けた。
「あはは、そっかな。」
なんて。
「俺、憧れるわ。そういうの。」
修は笑顔の裏にどこか寂しさすら感じられる表情で一瞬、うつむいた。

へ続く

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