【エッセイ】誹謗中傷はナイフを送り付けるようなもの、それはヤバいストーカーの所業


SNSを見れば、数えきれない人間たちの言葉がゆらゆらと漂う中に、殺傷能力の高い武器がごく自然に紛れ込んでいる。ぱっと見では区別できないことも多い。大半の人間が受け取ったら傷つくような言葉だけ検出されて赤色で表示されるとかであれば、内容の全て読んでしまう前に危険を察知して回避できるチャンスが生まれる。だけれど、現時点でそのようなシステムは存在しない。

ネットは匿名性が高いから、人間は人を傷つけることを言いやすくなる。正直、そういう気持ちを持つことは否定できない。人を傷つけることが目的なのではなく、自分のいらいらや消化しきれない負の感情などを、言葉に換えてネットの大海に流す人間は多い。

いらいらしてしまうのは仕方が無いし、負の感情だってどうしても持ってしまう。人間の自然な心の動きだ。それでも、人を傷つけることは推奨されない。強く言えば、許されない。どこに流れ着くかもわからない海にプラスチックのゴミを投げ入れれば、後でそのゴミがのどに詰まり、何の罪もないウミガメの、長かったはずの生涯を突然終わらせるかもしれない。自分の見えないどこかで、自分の出した言葉やゴミを原因に誰かが命を落とすかもしれない。

誰ともなく、宛先もなくゴミを捨て続ける人もいるけれど、世の中には、特定の人間に対してゴミを郵送する人もいる。「これを言ったら傷つくかもしれないな」という自己検閲を怠った結果なのか、そういうシステムが搭載されていないのか。

仕組みは定かでないけれど、事実として、所謂誹謗中傷を平気で送り付ける人間がいれば、そういう言葉を受け取る側になってしまう人間もいる。言葉は限りなく非物質的なものであるとわたしは思っているから、物質的な例(前述したゴミとウミガメのような)を挙げれば少しは理解しやすくなるのではないかと考えている。

直近の例で言えば、パリ五輪で選手に対する誹謗中傷が問題視された。その内容は多種多様で、挙げたらキリが無いし、この記事を読んでくれている読者の皆様にそういう言葉を見せるのも嫌なので、例示は避ける。読者様の中には、そういったコメントを実際に見た方もいるだろう。

SNSの投稿やDMに、そういったコメントは寄せられる。攻撃すると決めた相手に、ほぼ確実に伝わる方法でコメントを送りつける。

想像してほしい。
出刃包丁が、何処にでもある茶封筒に入れられて送られてきたことを。
用事で役所に行ったときに手続きが進まず原因を探ってみると、何者かが勝手に自分の死亡届を出していて、受理されていたことを(本当にそんなことが可能なのかはわからない)。

誹謗中傷の数々を真剣に受け取らないというスキルを身に着けている人もいるし、そうでない人もいる。いつもはスルー出来るのに、今日はなぜかできなかった、という日だってあるかもしれない。

社会に対してなんの発言力もないわたしがこの記事を公開することで、何かが大きく変わる可能性は0に等しい。そもそも、誹謗中傷コメントをするような人間は、このような「お咎め文章」など読まないかもしれない。

もし、読んでくれているのなら、どうかこれからは考え直してほしい。自己検閲を怠らないでほしいし、もしその概念が無かったというのなら、是非大幅アップデートをしてほしい。そして、コメントを送る、誹謗中傷とみられるかもしれない文章を他人に送る際には、必ず物理的な例を考えてみてほしい。今捨てようとしているゴミで誰かの生命が脅かされないか、ナイフを送り付ける狂気のストーカーみたいなことになっていないか。冷静に考えれば、その行動が「明らかにヤバいこと」であるとすぐに気づくことができると思う。
そして、その手に余った負の感情は、是非他のことで発散してほしい。大声で歌うとか、仲のいい友達にちょっとだけ愚痴ってみるとか、要らない紙をビリビリに破いてシュレッダーの才能を見出すとか。
負の感情を抱くことは当たり前だから、上手くリリースしてほしい。

そして、誹謗中傷を受け取る立場にある人は、もし少しでも傷つくことがあったら、全身全霊で傷ついてほしい。だってゴミ喉に詰まらせてるんだもん。お役所で勝手に死んだことにされてたんだもん。驚くなり、泣くなり、藻掻くなり、全力で傷ついてほしい。それでいい。必要なら周りの人間に頼っていい。「あらあら、ふふふ」なんて強者ムーブを無理にかます必要なんてない。少なくともわたしのことは頼ってもらって構わない。利用してくれて構わない。
一通り傷ついたら、「自分にはこういう悪い面があるんだ」という気持ちを切り捨ててほしい。そう思う人もいるってだけで、みんながそうではない。そしてほとんどの場合、そう思わない人たちの言葉はなかなか届かない。そういうものだ。どうしても否定に目が向いてしまう。人間の生存本能なんだから抗えない。だから、傷つくことを恥じないでほしいし隠さないでほしい。人間してるなーと思ってほしい。生きているだけで立派だから。
切り捨てるのが難しければ、是非わたしのひとつ前の記事を読んでほしい。きっと助けてくれると思う。あと、理不尽な否定は流石に無視していい。「お前になにがわかるんだー!」と叫んでいい。その通りなので。

誹謗中傷をする人間に、やめなさいと言っても目覚ましい効果は無いかもしれない。だから、少し癪かもしれないけれど、死にたくなければ受け取る側がちょっとうまいことやらなきゃいけないときもある。何もしてないのに気を遣わなきゃいけないの?と感じるけれど、命のために防弾服を拵えてほしい。

みんなが幸せにSNSに生きることができる環境を、わたしは本気で願っている。


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