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自己肯定感と自己有用感のお話


はーい紫葉アリアです


なんか良い挨拶文はないだろうかと模索している今日この頃です。



今回のお話は「自己肯定感」がテーマ。
最近結構耳にする機会は多いのではないかな?と思います。



自己肯定感ねー。
私も過去はそれでめちゃくちゃ悩まされた経験があります。
超超超、スーパーハイパー自分大嫌い!この世で一番自分が嫌い!鏡を見るたびこ●したい!!と思うほど…自分という存在を受け入れられませんでした。(危ないレベルで嫌ってた。命に関わるレベル。こっわ。)


自己肯定感を上げる方法などのキーワードでネットとかで検索すると、「鏡に映った自分に可愛いと言う」と言う手法が紹介されたりしてるんですけど…自分が嫌いな人はそれができないから困ってんですよ。

本当に自分のことが嫌いになっていたり自己肯定感がどん底の人はねえ、鏡見る時点で吐きたくなるレベルなんですよ。自分の顔すら見たくない。そんな状態で鏡に映った自分に向かって「可愛いね♡」って言えるかってんですよ。

言ったところでその言葉は受け取れないし、むしろそんな簡単なことが出来ない&受け取れない自分に憎悪が増します。死ぬほど逆効果です。それほど深刻にこじらせてる。





私が気になっているのは

「自己肯定感を上げる方法!」
「自己肯定感を高めよう!」

と、いったような感じで自己肯定感は高くなければならない!!!!というような内容の多さです。


もちろん自己肯定感が高いとそれによって起きる良いことってあります。でもみんながみんな、それを求めているかというとそうではないと思う。

正直、Wuriaの概念は「自己肯定しても良いし別にしなくてもどちらでも良い」という感じなんです。自己肯定感低いとダメだから早く引き上げよう!という考え方はありません。いいんです、嫌いでも。

自分がどんな状態でいたいか?それは自分で選べるから、自分のいたい方でいよう。という感じです。


また、人間は変化するものなので今は自分のことが大嫌いでも自己肯定感が低くても、時間が経てば大好きになったり自己肯定感が高くなったりします。



だって今は嫌いということは、昔は好きだったということでしょう?
低いと感じているいうことは高いという基準を知っているからでしょう?

ただ、「現時点でそんな状態なのである」ってだけです。だからあんまり心配しなくて大丈夫です。



自己肯定感を高めようとしたら


先ほど自己肯定感は高くても低くてもどちらでも良い、とお話ししましたが私の場合は「この先何十年も自分を嫌っていることがしんどい!」と思ったのでその状態を改善したくていろんなことを試しました。

好きでも嫌いでも自分という存在から逃れることはできない。(当たり前ですね)だから向き合って自分を好きになろうと思ったんです。


自分を好きになるために私は努力しました。
資格をとってみたり、外国語学習をしてみたり、ダイエットしてみたり、メイクの研究をしてみたり、お金を稼ごうとしてみたり、人とつながってみたり、自己啓発のセミナーに行ってみたり。脳の認知療法の研修まで行きました。

「自分に自信を持つために」「誇れる自分になるために」

結構なお金をぶっ込んだと思います。



でも自己肯定感は全然上がらなかった。


むしろ努力しても努力しても成果を実感できず、成果を出せない自分=やっぱり自分ってダメな存在なんだ、という思いが強くなっていきました。


そして資格をとったりすると社会的な自分(自分の外面)はどんどん立派に見えてきてしまう。しかし自分の心はいつまでたっても満たされないまま。
自分の外面と内面がより乖離していき、周りが自分にかけてくれる言葉をより受け取れなくなっていきました。

みんなが「すごいね」「あなた素晴らしいね」というような言葉をかけてくれても、それは外面の自分に対してでしょ。本当の私はもっとしょうもない存在なんですよ。としか思えなくなってしまったんです。



つまり、余計に苦しくなった。


頑張れば頑張るほど自分の首を絞めていく。
クロールで必死に泳ぎ続けて、ゴールした!と思ったらまた先の方に「本当のゴールはこちらです」という看板が見えるって感じ。(いつまでクロールしたらええねんという絶望)

頑張れば頑張るほど、それが実にならない。実にならないのは自分がダメなやつだからだ、自分に才能がないからだ、こんな役立たずの自分なんて大嫌い、いない方がマシ・・・・という負のループが生まれる。



しかしいろんなことを試して経験して、たどり着いた答えは
”自己肯定感というものを履き違えて捉えていた”というものでした。




自己肯定感と似ているもの


・自己肯定感
・自己有用感
・自信を持つ
・自己信頼

これらはそれぞれ違うものです。
でも、何が違うのか??
このワードそれぞれの違いを詳しく説明することはできるでしょうか?


「自己肯定感」をテーマにしたネットの記事や本の中でも、結構この4つを混ぜちゃってんな〜というようなものはよく見かけます。
違うものなのに、似た場所にあるものなので境界線がどこかわからなくなるんです。でも明らかに違うもの。同一視扱いはしてはいけないもの。

混ぜちゃうと、いろいろズレます。


ズレるということは、いくら努力したって結果は出るわけないんですよ。多分結果は違う形で出てるはずですが、自分の求める結果は出てこないのはここにあるんです。

私の場合、自己有用感を自己肯定感として捉えていた。だから苦しかったのです。


自己有用感とは

自己有用感がどんなものかと言いますと、「役に立つ私、だからここでの存在を許されている」という考え方です。

役に立つからここにいて良い。
自分がこの場に必要とされていることで自信を得ようとすることです。


「面白い話を提供できているからここにいて良いんだ」
「お金を多めに出すことで相手に得をさせる存在だと思ってもらおう」
「とにかく優しくいることで相手を癒せる存在だと認められたい」



・・・先ほどの私がした努力というものを復唱しますね。

資格をとってみたり
 →仕事で役に立つ自分
外国語学習をしてみたり
 →仕事で役に立つ自分
ダイエットしてみたり
 →人に認められる存在になりたい
メイクの研究をしてみたり
 →人に認められる存在になりたい
お金を稼ごうとしてみたり
 →人に認められる存在になりたい
人とつながってみたり
 →人脈の多さで仕事で役に立つ自分
自己啓発のセミナーに行ってみたり
 →完全なる迷子(どうしたらよいかわからないの極み)
脳の認知療法の研修まで行きました。
 →もうプロに頼るしかない

ほぼ全部の努力が、「自己有用感を高めるためのもの」!!
(最後の2つはもはや努力というよりも迷子の極みですが)


そりゃあ、自己肯定感は上がりません。
そして自己有用感は高まります。実際に役に立つ自分となり周りから褒められることになる。
しかし自分は自己肯定感を高めたいので全然満たされない。


なるほど、そういうことか。




自己肯定感とは

では自己肯定感とはどんなものでしょうか。
自己肯定感とは「ただ自分の存在を存在を肯定している」。それだけです。
役に立つとか、そんなことはどうでも良い。

「ただ私は存在しているだけで素晴らしい」

と思っているだけで理由なんか要らないのです。
他人がどう思うかという他人軸は要らない。ただ自分がそう思っているだけ。

理由を探してしまうと途端にそれは自己有用感になってしまう。
なので探さないでおきましょう。



自信を持つとは

ちなみにこの自己肯定をするのに自信も必要ありません。
自信があってもなくてもいい。だって自信があってもなくても自分という存在は消えないからです。

自信がなくても能力があればやれちゃうのと同じ。
自信がないからできない、ということはありませんよね。


自己肯定感と自信を持つことは関係ないのです。ただ、似たような場所にあるからごっちゃにはなりやすい。



自信満々な人が持つ自信には”根拠がありません”。
なぜなら根拠を持つと、その根拠が崩されたら自信がなくなってしまうということですから。

社会で生きているとよく「根拠は?ソースは?」と聞かれますが、自信については根拠はないけど自信はある、で良いのです。


なので私は、自信を持つことは単なる思い込みであると思っています。
思い込みなので自信を持ってても持ってなくてもどちらでも良いといういうわけですね。



自己信頼とは

たくさんの練習をしたら自信がつく、とか
これだけ頑張って勉強したから自信がある、とか
そんな言い方をするから余計に話がややこしくなるのだと思います。



自信を持つことはただただ理由なく自分を信じていること。

しかし自己信頼とは
「たくさん練習をした自分」
「頑張って勉強に時間をかけた自分」
「努力した時間を持てた自分」
という現実に対して信頼するというようなものだと思ってます。つまりは心の角度です。

ただでさえも自分という存在はわからないことが多いのに、それを闇雲に信じろ!!と言われても怖いはずです。
しかし、かけた時間や努力した時間、頑張った自分という現実があって、それを信じる。そういう捉え方をすると”自己信頼”ができるのではないかなと思います。


自己肯定ができない!という方はまずは自己信頼する、という心の角度を持ってみてはどうでしょうか。




自己有用感と自己肯定感の違いの例


自己有用感と自己肯定感のわかりやすいイメージの違いを挙げてみます。

自己有用感とはまるで家電みたいなものです。
ゴミを吸ってくれて掃除をしやすくする存在だから皆さん掃除機をおうちに置いています。ゴミを吸わなくなったら新しい掃除機を買う。服が洗えなくなったら新しい洗濯機を買う。物が冷やせなくなったら新しい冷蔵庫を買う。
つまり役に立つから家に家電を置いている。(単なるインテリアとして動かない家電を置いている人はいないですよね?)


それに比べて自己肯定感とはまるでお花のようなものです。
ゴミを吸ったり埃を取ったり具体的に役に立ったりはしないけど、家に置いているとなんだか癒されたり場が華やかになったり。その場にいてくれるだけで良いもの。
誰も花に対して「ゴミを吸わない!洗濯してくれない!!」などと怒ったりしません。存在するだけで周りに影響を与えているから。


私たちは家電ではなく、お花であるということなんです。
私たちはエネルギー体です。生きているだけで何かしらの影響を周りに与えています。そのエネルギーを可視化したのがウリアのスキルカードなのです。


自分の才能をまだ可視化してない人はぜひ見てみてください。(無料です)



自信を持てないウリアの才能


特殊スキル:天使の心を持つ能力

また、この特殊スキルを持っている人は、今世自信を持つことはありません!

なぜなら自分のボティに「自信を持つ」という機能が備わっていないからです。だから「自信を持つための努力」をもう手放してください。
電子レンジに洗濯物を洗う機能をつけようと思っても無理なんです。そしてそれができなくても誰も怒ったりしません。
というか電子レンジに洗濯物を洗え!と言っている人の方がどうかしています。


自信を持つためにかけていた労力や努力は別のところで発揮しましょう。
自信が持てないからといってあなたがダメなわけではありません。
自信を持つ持たないの概念がただ必要ないだけなんですよね。

自信はなくても自分が生きている中で頑張った現実や事実があるはずなのでそれを信頼してあげましょう。
というよりも、ウリアで自分の才能を可視化されているので自分にはきちんとたくさんの才能がある!ということを信頼してほしいです。



最後に

特殊スキルが”なし”と出ていても、実は”隠れ特殊スキル”として持っているという方がいます。それはサイトの診断結果では見ることはできません。

もし、隠れ特殊スキルを知りたいなと思った場合はセッションを受けていただくと知ることができます。


天使の心を持つ能力は非常に取り扱い方が難しい才能であり、コンプレックスになりやすい才能です。他のスキルの発揮の足を引っ張ることもある。

しかし取り扱い方さえ心得ることができたら今世の相棒となるくらい素晴らしい才能となります。


取扱方法に困っている方もぜひセッションにてご相談ください。
”天使の心を持つ能力”で自分の首を絞めまくった私の体験談を踏まえたアドバイスをさせていただきます。笑


では今回はこの辺で!
ありがとうございました!

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