見出し画像

自分らしい最期の迎え方と終末期医療

わたしは訪問診療で勤務したこともあります。

癌の終末期の患者さんが多く、
いろいろな経験や思いを見ました。

そこでいつも、自分の祖母のことを
思い出していました。

訪問診療部

訪問診療と往診の違いはここでは割愛します。

まぁ簡単な違いなんですけど(笑)

割愛せずに、簡単に説明すると・・

体調不良による緊急で訪問したら往診、
定期の往診日に訪問したら訪問診療です。

病院でいうと、予約日に受診するか
急に体調が悪くなって予約日まで待てないから
受診した、みたいな感じです。

だから、往診で行く方が医療費は高いです。

まぁそこはどうでもいいんですが、
たまに医療従事者でも間違ってる人がいて
気になることがあったので。

わたしがいた訪問診療部は末期癌の方が多く
往診も頻発してました。

若い方だと医療費がすごい金額になるんですよね。

でも最期は自宅で過ごしたい、という思いがあるので
家族さんも受け入れていました。
受け入れてない家族や、
いざ帰ってきてパニックの家族もいました。
実際に経験しないと、分からないですよね。
帰ってきたけどやっぱり無理で病院へ逆戻りする方も。

人それぞれです。

わたしは自分の親がそんなことになったら
在宅で診る自信はまったくありません。

祖母

父方の祖母は何年も前に亡くなりました。

祖父は何十年も前に亡くなりました。
リウマチによる間質性肺炎です。
わたしのリウマチは祖父の遺伝かもしれません。

祖母とは一緒に住んでいたのですが、
家事などは母が行っていて、何もしない人でした。

1日中テレビを見て過ごす生活。

外出もほとんどせずそんな生活をしていたので、
足腰はもちろん弱ります。
認知機能も落ちます。
会話も家族としかしないので、話せなくなります。

日中1人で過ごすことができなくなりました。

父母は仕事があるし、わたしや兄弟は学校があります。
なので、デイサービスに行っていましたが
ある日転倒して骨折しました。

入院してADLも認知症も悪化。
まったく言葉が出なくなりました。

そして、そのまま施設入所。

施設入所中に肺炎を起こしたりして
一時はもう危ないと言われました。

父と母は、何かあっても延命はしないと
話し合っていました。
なので、危ないと言われたとき、
もう何もしないのかと思っていました。
年齢も年齢ですし。

しかし、そう言われた父は
「胃瘻を造ったら大丈夫なのか」
とお医者さんに聞きました。

そう言われるとお医者さんとしては否定できません。
なので、胃瘻を造ることになり
持ち直した祖母はまた施設に戻りました。

しかし、認知症で何も話せない。
まったく動けない。
こちらが話しかけても反応もしない。

胃瘻で無理に栄養を入れられて
生かされる日々。

わたしは今でも祖母はそれで幸せだったのか
聞きたいです。

幸せじゃなかったと思うんです。

勝手に決めちゃダメですけど。

だって1日中ベッドに寝かされて
何もできない。
趣味の編み物もできない。
テレビも見れない。
足も拘縮して変形していました。

わたしならあの時に死なせてほしい。

でも、父が祖母に死んでほしくないと
思った気持ちも分かります。
少しでも楽になったらいいな
という気持ちだったのでしょうね。

なので、元気なときに自分が最期のときには
どうしてほしいかきちんと家族に伝えておく、
書いておく、ってすごく大事だなと思いました。

話しにくい内容ですが、
意思確認は本当に大切です。

祖母のように、急に家族にDNAR確認されても
家族も困るからです。

やっぱり何もしないことを決めるのって責任重大だし、
決めづらいですもんね。

本人も元気なときに聞かれても
決めづらいと思いますが・・・

親ってやっぱり子どもに迷惑かけたくないからって
「何もしなくてもいいから、老人ホームにでも
入れといて」って言うんですよね(笑)

そんな簡単なことじゃないよ。

ちなみにわたしは書いてます。
リウマチやSLEがいつどうなるか分からないし、
なにより間質性肺炎がいつ急性増悪するか
分からないので。
準備するにこしたことはありません。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?