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写真を撮る意味や理由の、ひとつについて。

 亡くなったおじいちゃんの使っていたフィルムカメラを譲り受けて、およそ3年の月日が流れました。相変わらず写真を撮ることは楽しくて、シャッターを切る瞬間は、いつだってふわふわした気持ちになりますし、譲り受けたフィルムカメラからはまだ少し、おじいちゃんの匂いがします。

 この3年を思い返すと、それまではスマホカメラしかろくに使ったことがなかったのに、おじいちゃんのフィルムカメラを通じて、たくさんの方々と出会うことができたなあ、さまざまな景色をみることができたなあって、これはとても幸せなことだと思います。それにいまでは、デジタルミラーレス一眼カメラでも写真を撮るようにもなりましたから、どうしようもないくらいに、写真の魅力に取り憑かれているわけです。


 さて、どうしていまこんなとりとめのない文章を書いているのかというと、正直なところ、あまり深い意味はありません。この頃がおじいちゃんの命日だったというわけでもありませんし。

 たしかに、初秋の朝日は窓を突き抜けてわたしの寝顔をあたたかく包み込んではくれるのですが、いまこの文章を書きたいと思う気持ちにさせるには、少しあたたかすぎるでしょう。ではなぜ書いているのか、なんてことはない、数日前におばあちゃんちに遊びに行ったことがきっかけでした。

 わたしのおばあちゃんは、2年くらい前から認知症を患っています。病院に通い薬を飲んではいるのですが、数か月前まではわたしの誕生日や身長を言えたのに、最近は言えなくなってしまったりと、やはり少しずつ悪化しているようにはみえていて、ただただ、寂しい気持ちでいっぱいです。

 ゆっくりと、たくさんある自身の記憶の箱を閉めて鍵をかけているおばあちゃんですが、わたしの顔を見ては「おや、ありあ、来てくれたのね」と言ってくれるにつけ、ああ、まだ「わたしの顔と名前」の入った記憶の箱は閉めていないのだなと、不安な気持ちでいっぱいながらも、この現状にホッとしています。

 そうそう、どうして数日前におばあちゃんちを訪れたかというと、お母さんから「ありあ、あんたのカメラでおばあちゃん撮ってあげて。あとで写真ちょうだいね」って言われていたことが主な理由です。直前まで京都を旅行していたわたしは、お母さんから急にそんなことを言われたものだから、旅行から帰ってきてすぐに、おばあちゃんちに向かったのでした。どうしようもなく、不安になったのです。

 今朝とは異なり、残夏のしつこくて強い日差しが、薄い雲と雲の合間から地を突くような午後の様相でしたが、それにしては、柔らかくて、それでいて優しい写真を撮ることができたと思います。おばあちゃんはわたしに写真を撮られることを快く引き受けてくれて、終始落ち着いた時間を過ごすことができました。

 前置きが長くなってしまいましたが、本題はここから。
 良い光が入るからと、子どものころからわたしがあまり踏み入れることのなかった和室をおばあちゃんの写真を撮る場所として選んだのですが、馴染みのない場所に色々と気になってしまったわたしは、部屋の角にある古びた茶色の戸棚について、おばあちゃんに尋ねました。

 「おばあちゃん、あの棚ってだいぶ昔からあるけど、中に何が入っているの」

 「さて、なんだったかね、忘れちゃったわ。ありあ、開けてみる?」

 案の定、おばあちゃんは棚の中身を分からなくなっていましたが、あまり良くないこととは思いつつも、好奇心に負けたわたしは、その戸棚にある3つの引き出しを開けます。

 ひとつ目には、たくさんの封筒と、文房具。特に気になるものがなかったわたしは、すぐに閉めます。

 ふたつ目には、何もありませんでした。開ける瞬間の軽さでなんとなく気付いてはいましたが、こちらも、すぐに閉めました。

 そしてみっつ目には、色褪せた1冊の本。よくみると、写真アルバムのようです。

 ええ、気にならないわけがありません。おじいちゃんのフィルムカメラをもらって写真を始めて、そして今日おばあちゃんの写真を撮りにきて。気にならないわけがありません、だってそこには、わたしの知らない若いころのおばあちゃんとおじいちゃんが、大好きな写真として、そこにいるかもしれないのですから。

 「おばあちゃん、このアルバム見てもいい?」と聞いた時には、わたしはすでに、1ページ目をめくっていたと思います。おばあちゃんはもちろんダメとは言わず、そばにあったテーブルで一緒に見ることにしました。先ほどまであった薄い雲たちは少し東へ行ったようで、そのアルバムを見るには、ちょうど良い光の時間帯でした。

 予想通り、アルバムの中には、若いころのおばあちゃんとおじいちゃんの写った写真がたくさんありました。中には、わたしのお母さんも。お母さん、子どものころこんな感じだったんだ。ちょっとわたしに似ていて、やっぱり親子だなあ、クスッとしてしまいます。

 認知症を患ってから自らあまり話をしなくなったおばあちゃんが突然声を出し始めたのは、アルバムのちょうど中腹にさしかかったところです。"突然"という表現を使うには、あまりにもか細く、優しい声ではありましたが。

 「お父さん、外ではとっても真面目な人でね。でも私たち家族の前では、面白いことをたくさん言ってくれて、変な踊りを踊って笑わせてくれたりもしたのよ」

 わたしはびっくりして、しばらく声が出ませんでした。おばあちゃんの言う"お父さん"とは彼女の旦那さんのことで、つまりわたしにとってのおじいちゃんのことなのですが、1年前くらいから、おばあちゃんに"お父さん"のことを聞いても、何も分からなくなってしまっていたからです。

 「認知症によって分からなくなってしまった自身の旦那さんのことを、おばあちゃんが昨日のことのように生き生きと話している。」

 いつのまにかわたしのほおを涙がつたうには、その事実は十分な理由でした。亡くなったわたしのおじいちゃんのことを知ることができただけではなく、一度閉めて鍵をかけてしまった"お父さん"についての記憶の箱を、おばあちゃんは、自らふたたび開けたのです。

 それからもしばらく、ばあちゃんはアルバムの写真を見ながら、"お父さん"のことを、そして家族のことを、楽しそうに話してくれました。その話を聞くわたしはまるで子どもで、昔おばあちゃんから絵本を読んでもらった時のように、わくわくであふれていて、見えないシャボン玉が部屋全体にふわふわ浮かんでいるような、およそそんな感じです。

 さて、この日起こったことについて、少し発展したお話をしたいと思います。タイトル回収というやつですね。

 「写真を撮る意味や理由」については、SNSやさまざまなメディアで日々語られているところですが、それについて何か断定的な"正解"を導き出すことや、または大衆向けに"こうだ"とわたし自身が誰かに説くことはできないというのが、いまのところのわたしの考えです。「正解がない」と言ってしまえば考えることを避けているようにみえるかもしれませんが、これほど多くの人々にとって当たり前になってしまった「写真を撮る」という行為や「写真」というモノについて論じるのは、決して簡単なことではありません。社会学的に捉えるのか、あるいは心理学なのか、それとも美学なのか。どの方面から考察すれば良いのか、それはとても複雑で、複合的で。だからこそ、しばしば論争が起きたりもするわけで。

 ただたしかに言えることは、わたしはその日、わたし自身が「写真を撮る意味や理由」の"ひとつ"を見つけたということです。

 なんてことない昔の写真アルバムを見て、認知症のおばあちゃんが一度鍵をかけてしまった記憶の箱がふたたび開いたという事実は、驚くべきことで、素敵なことで、幸せなことであって。それら写真がなければそんな奇跡のようなことは起きなかったのだと思えば、写真の持つ力のようなものに魅了されてしまうのも無理はありません。

 「記録」という側面から考えれば、当たり前のことを言っているようにもみえます。撮った写真をしばらく時間が経ったあとに見返して、「懐かしいね」「こんなことがあったね」と振り返ることなどは、まさに写真の役割のひとつですから。

 しかしどうでしょう。何度も言いますが、認知症を患っているおばあちゃんが、忘れたはずの自身の旦那さんのことについて生き生きと話しているなんて。少なくとも、これまで約3年間写真を撮り続けてきたわたしには、およそ簡単に理解できることではありませんでした。

 お話は、このあたりでおしまい。次におばあちゃんに会う時には、もしかしたら今日のことは忘れているかもしれません。旦那さんについての記憶の箱も、また閉めて鍵をかけてしまっているかも。

 それでも良いのです。写真によって奇跡が起きたという事実と、おばあちゃんは旦那さんを愛しているという事実と、そしてわたしもおばあちゃんを愛しているという事実と。これら事実を再認識できただけで、それで良いのです。

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