見出し画像

多様性

ここ数年、多様性という言葉がいろんな場面で飛び交っている。

極論が敬遠されている。
白黒つけることを減らし、グレーを作っている。
人の価値観を受け入れ、自分の価値観に蓋をする。

そんな時に使われる多様性という言葉が嫌いだ。

何かあれば多様性。いいように多様性。

自分の価値観では受け入れられないけど、受け入れないと今の世の中は生きにくいし、外の目も受け入れてあげなさいよって向いてくるし、めんどくさいことになりそうだからこうやって言っておくか=多様性

こんな感じに思ってる。

こんなことを言うのも今の世の中だとよくないんだと思う。
はたまた、多様性をついて否定的な意見を述べることも多様性によって受け入れられる。
なんて皮肉なことなんだ。

もっと偏見と極論と衝突を外に出していいと思う。

どうせそれも多様性の言葉の一端を担わされるんだから。

あーめんどくさい

受け入れられないことは受け入れなくていいじゃない。
表面的に受け入れても奥底は受け入れてないんだから。

知るかボケ

それでいいじゃない。

そんな多様性の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?