書籍『こども 禅の言葉』の企画ができるまで
多くの方に、「企画ってどんな時につくっているんですか?」と聞かれます。これはとても難しい問題で、本屋さんを回りながら「こういう本はどうだろうか」と思うときもあれば、自分自身が困っていることに「こんな本があればな~」というときもあれば、はたまた「企画を出して」と急かされて必死に考えるときもあります。(汗)
今回は、6月発売の書籍『こども 禅の言葉』の企画立案までのお話をしたいと思います。これは、自分の心が動かされ、今度は多くの方に伝えたいと思った企画でした。
ここで質問です。
禅の言葉とはつまり“禅語”ですが、馴染みはありますか?
お恥ずかしながら私の中で禅語との接点と言えば、お寺で聞く説法の中のものぐらいでした。
聞けば「なるほど~」と思えるのだけど、なかなか馴染みがない……。
禅語の本も数多く出ていますが、「難しそう」「わかってはいるけどできない……」などなど、それまでの私にとってはもっと実践的なものの優先度が高い!と思ってしまっていたのです。。
それがちょうど2年ほど前のこと。
先輩の仕事を手伝う中で、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんと宗教学者・正木晃さんの対談を担当させていただいたことがありました。
権威あるお二人の対談は、まさに濃厚な2時間。
これだけを一冊にしても面白い、と思えるように時間でしたが、中でも
「随処に主となれば立処皆真なり」
という禅語は、今でもとても大切にしているもの。
これは、「すべての物事に対して自分が主人公になれれば、それは皆、真実の世界である」という意味です。
そのとき枡野さんは
「その瞬間その瞬間に自分の全エネルギーを投入していくと、その時間は自分が主人公になっていますよ、ということですね。私はよくこういう言い方をするんですけど、成功しても涙、失敗しても悔し涙が流せるようになれと。必死になって取り組んでいるから悔しいんで、涙が出るんですよ。涙が出ないようだったら、全エネルギーを注げていないということなんです。人生って一瞬一瞬の積み重ねですから。その一瞬一瞬をどのように生きるのかが私たちに課せられた課題なのかもしれません」
とおっしゃっていました。
なんと、勇気づけてくれる言葉なのだろう。
中堅真っただ中の社会人(私のことですが。笑)にとって、熱量を保ち続けられることは課題のひとつでもあります。中堅社員と言えば、ノルマがあってこなすのは当たり前で、どんどん仕事量も増え、成果も求められる……。その中でも一つひとつに熱量をかけてちゃんと育てたい。そう思いつつも、日々の仕事にも追われる……。
そんな中、ちゃんと悔し涙を流せているだろうか、ちゃんと目の前のものに集中できているだろうか。自分の今を振り返られずにはいられない禅語でした。そして、「あ~禅語って、実は私たちの暮らしの中にあったんだ」と思いました。枡野さんは、続いて「宗教というものは、もともと世の中の真理に気付いた人が、『世の中とはこうなっているからこう生きたらいいですよ』と言ったのが始まりだと思うんです」とおっしゃいました。
なるほど、だから私たちの今に寄り添う言葉なのか。
もっと多くの人に届けたいな。「禅語なんて聞いたこともない」そんな人にこそ、必要な言葉ではないだろうか。
そうしてできた企画が『こども 禅の言葉』です。
初めて禅語に触れる方でもわかりやすく、こどもでも読める内容に現在制作真っただ中。
もしかしたら、今のあなたに寄り添う言葉があるかもしれません。
ハッと気づかされるような言葉に出合えるかもしれません。
そんな言葉との出合いのきっかけに。
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