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「上手くいっている」より、「上手くいかない」の方が大事かもしれない

今年も涼しくなってきたかと思えば暖かくなる。
自然任せにするにはなかなか難しい天気が続きます。

畑に行ける時間も限られている中、
自分なりの畑仕事の仕組みを考えているのですが、
それでも上手くいかないことばかり。

耕さないで、科学肥料もあげない、農薬もまかない、ゴミが出る資材を使わない。
できるか限り物を持ち込まない理念を畑に持ち込んだのはいいけど、
収穫も出来ない、サービスとして成り立たないのは全く意味がない。

開墾からこれまではまさにそんな感じ。

来年の春、もし成果が得られないのであればなんかしら捨てなきゃいけない覚悟を決めています。

先ほど述べた持ち込まないものの中から譲れないものはなにか。

僕の中では農薬とゴミになる資材を使いたくない。

それなら耕やす、有機肥料を入れることを検討する必要があります。


今年というか開墾した当初からずっと、
草を生やしては刈り取って重ねていく事を続けています。
そうする事で畑が良くなっていくと思ったからです。
良くなっている事もありますが、悪くなっている事もあります。

悪い例は2つあります。

一つ目は、
カタツムリが増えてしまった事。
刈り取った草の下は居心地が良いらしく、雨が降らなくても活動出来ます。

植え付けた苗が翌日に消える事もしばしば。
これは良くありませんので、
いよいよ駆除もしていかなくてはなりません。


二つ目。
うちの畑は粘土質が強い。
草が生えてる時は水捌けが良く、
強い雨が降った次の日でも水溜まりは出来ません。
ですが、
草を重ねているところは水が溜まりやすくぬかるんでいることも多い。
想像になりますが、
そういうところは悪い菌が繁殖したり、
悪さをする虫が集まりやすくなる気がします。
カタツムリがまさにそれ。

今回の失敗

強い思い込みを持ち過ぎると、悪いところには目を瞑りがち。
こうすれば必ず上手く。
いい事をしているんだからと。

ここいらで一つ区切りを付ける意味も込めて、
もう一度考え直すべき。

理想にたどり着くにはまだ条件が足りていない。
譲れないところは譲らなくてもいい。
なら譲れるところは譲っていこう。

いつもその繰り返し。
少しだけ上手くいっては、
大きな失敗。
いつもその繰り返し。
畑仕事だけじゃない。
もちろん仕事でもそう。
まだ良くなる。
課題が見つかるたびにワクワクする。


いい農家の人達は哲学者じゃないかといつも思ってしまいます。

人にとって1番必要な事を大きなリスクを背負ってやられている。
資本主義の中で過小評価されているのに。


畑仕事をするたび、生産者の方々には感謝しかないと思ってしまいます。

食を生業とするものとして、
敬意を持ち食材と向き合います。

畑仕事を通して、
失敗を通してまた気付かされる。




あー、野菜作るのもっと上手くなりたいなー
もちろん料理も!




明日はもっと良くなる
そんなお話でした。