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そもそもの話


そもそも… の話を書いてみようと思う。

何故、シュタイナー教育で扱われている水彩(ぬらし絵・にじみ絵)を始めたのか?
それは、シュタイナー教育を柱とする土曜教室のスタッフとしてボランティアをしていたからだった。

そこで、私は運営を始め水彩のクラスを手伝っていた。
子供達に良い環境を与えてあげようと沢山のオトナたちが真剣に取り組んでいて、そこでは多くの学びがあったのだが、途中から違和感を感じるようになった。

違和感にはいろいろな種類があったが、その中の一つは子供のことに真剣に向き合う前に、オトナ(保護者)が自分自身と真剣に向き合わないと、いくら子供たちに良いと思ったことを与えても子供たちは変わらないな…という経験だった。

これは、所謂、アントロポゾブイーでよく言われる「自己教育」のことだと思うのだけど、わたしも含めてオトナ(保護者)たちは子供たちのことに必死で、自己を教育する余裕がないように見えた。

自己教育というと大袈裟に聞こえるけど、まずは自分のことを大切にすることからだと思った。
自分のことを大切にしていないオトナが、子供に自分のことを大切にしないさいと言っても伝わらない。
そのくせ、子供が自分のことを大切にしていると、わたしは出来ていないのにと腹を立てたり、わたしはどうせ…と、悲観したりすることにもなる。

まずは、自分のコップを満たすこと。
コップの中の水が満たされているからこそ人にも分け与えられる。
子供のことをすることが水を満たすことだと思っている人が多いようだった。
でも、それなら子供のことで悩んだりしないはずなのだ。
わたしも多いに子育てで悩んでいた。

わたしはわたしを大切にすることを一つずつ行っていった。小さなことから大きなことまで、一歩ずつ階段を登っていく感じ。それは、友達とランチに行くとか、一日中ダラダラ過ごすとか、特に意味のないことも含まれていたけど、着実にやりたいことをやっていった。

それと同時に、自己教育の中で素晴らしい先生に出会えたことで、ねばならないの固定概念もずいぶん手放せた。日常の中でわたしの違和感はどこから来るのか、ないがしろにせずに自分にいつも正直に向き合った。

やりたいことの中の一つに、一から水彩を学ぶことも入っていた。
丸3年間学んで、色と感情の関わりが自分なりに確かなものになってきた。
オトナ向けの水彩のクラスを始めて丁度一年経った。

今、思っていることは、わたしは教育がやりたいわけではないんだ、ということ。
誰かを教育したり教えたりすることはしたくない。先生と呼ばれるのにも違和感がある。

ただ、参加者さんの声を聴きたいんだと思う。
そこに、「ジャッジ」や「ねばならない」は、ない。
自分のしたいと思ったこと、感じたこと、考えたことを、誰か(例えば子供や家族)のために押し込めることなく、大切にしていい。
それが、今はできなくても誰かに話すことで大切にできる。
そのための色の時間。
自分の感情を知るための色の時間。

もしかしたらそれを世間一般ではアートセラピーと言うのかもしれない。
でも、アートセラピーともちょっと違う気がする。
まだ、名前がないわたしのやりたいこと。

あなたの声(それはたわいもない雑談でいいのだ)を聴くだけの存在としてそこにいる人。
色を通して思い出すこと、思い浮かべること、沢山あるはずだから。




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