読者感想文(279)佐々木閑『般若心経』(NHK「100分 de 名著」ブックス)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

前回に引き続き、100分de名著シリーズの仏教の本です。
著者が同じであることは読み始めてから気づきました。

感想

今回もとてもよかったです。
わかりやすく、学びが多く、為になりました。
前回とてもよかったので期待してはいたのですが、期待以上でした。
前回の『真理の言葉』を読んでいたことも大きかったような気がします。
というのも、今回は「般若心経」を中心に述べるにあたって、『真理のことば』、即ち釈迦の仏教とどのように違うのかが明快に述べられていたからです。
これからもし読もうという方がおられましたら、『真理のことば』→『般若心経』という順番で読むことをオススメします。
ちなみに、般若心経は釈迦の教えを全否定するところから出発します。しかも、序文にあたる部分では釈迦が瞑想している眼の前で観音様が釈迦の弟子に般若心経(即ち釈迦の教えを否定するもの)を説くというとんでもない場面設定がなされます。しかも最後には釈迦が「素晴らしい!その通り!」とだけ言って、権威付けされてもいます。
これだけでも面白おかしくて興味がそそられるところですが、もう少し真面目に、釈迦の教えを否定する理由なども述べられます。
釈迦の教えは厳格な論理の元に説かれます(このことを著者はかなり強調しています)。
しかし、概して人間というものは全てを論理的に考えるわけではないし、そんな難しいことは釈迦のように頭が良い人にはできません。そういう人が救われる為に、般若心経は活躍するのです。

今回最も印象的だったのは、大乗仏教における「空」と、釈迦の教えの中にある「空」は全然違うということです。
釈迦のいう「空」とは、言うなれば「人間という一つの生命体も原子(或いは素粒子)の総合でできており、しかもそれは常に入れ代わり続けている」という福岡伸一『生物と無生物のあいだ』に出てきたような捉え方をして、「ゆえに実体はない」という「空」を説きます。
一方で、大乗仏教では、原子などの基本となる素材も「空」であり、そういった考え方自体も「空」であるといいます。
これまでの私の認識では後者で、両方知った今も何となく後者に惹かれますが、釈迦の仏教の 流れを知った上で、それをひっくりかえすような形で大乗仏教の「空」が生まれたのだいうことは知れてよかったです。

さて、今回も覚えておきたいことが沢山ったので、箇条書きのメモを残しておこうと思います。

・般若心経は日本ではとても有名だが、タイやスリランカといった上座仏教国では殆ど知られてすらいない
・現在日本でよく読まれるのは玄奘三蔵が漢訳したもの、これは『西遊記』の三蔵法師。玄奘三蔵法師はインドから大量の経典を持ち帰って大量に翻訳した(定家みたいな存在?)
・観音様派大乗仏教で登場した救済者であり、古い仏教には登場しない
・般若波羅蜜多はインド語の「プラジュニャー(智慧)」「パーラミター(完成した)」
・般若経は釈迦の教えを広めるのではなく、般若経の持つ神秘の力を広めるために作られた(釈迦の教えはむしろ否定するような内容)
・釈迦の教えによると、人間を構成する要素として五蘊があり、それぞれ色受想行識である。
色→われわれを構成している外側の要素、つまり肉体
受→外界からの刺激を感じ取る感受の働き
想→色々な考えを組み立てたり壊したりする構想の働き
行→何かを行おうと考える意思の働き
識→あらゆる心的作用のベースとなる認識の働き
・般若心経では「照見五蘊皆空」すなわち、五蘊の本質は皆空(存在しない)
・釈迦の仏教では成仏はありえないので、阿羅漢(レベルの低い聖者)を目指す。なぜなら、ブッダになるにはブッダに会って認めてもらって菩薩(ブッダ候補生)になる必要があるが、釈尊は既に亡くなっており、次のブッダ=弥勒は50億年後に現れるので、絶対会えない。ゆえに結局阿羅漢目指す。
大乗仏教はこれを乗り越えるアイデアを生み出した。例えば「徳を積む」「パラレルワールド(ゆえに大乗仏教では色んな仏がいる)」「アミターユス」「極楽(いつでも仏がいる→往生すれば仏に会えるのでブッダを目指せる)」など。ゆえに大乗仏教ではブッダを目指す。
・法隆寺に世界最古の般若心経のサンスクリット写本がある
・般若心経は釈迦の元に弟子や菩薩が集まっている時、釈迦の十大弟子の一人である舎利子(シャーリプトラ)が観音菩薩に「般若心経を修行したいのですがどうしたらいいですか?」と問うた(序分)
・正宗分(本編、256字の般若心経はこの部分のみ)
・流通分で釈迦が「素晴らしい、その通り」と称賛した。つまり、観音様が説いた教えであって、釈迦の教えではない。
・釈迦の仏教の世界の分類法として十二処と十八界がある。認識する物質(眼耳鼻舌身)と認識される物質(色声香味触)の十種類。これに心で認識する物質(意)と認識される物質(法)を合わせて十二処という。これに、「意」の作用の結果生じてくる認識をそれぞれ「眼識」「耳識」「鼻式」「舌識」「身識」「意識」といい、これらを加えて十八界という。
「色声香味触」は五蘊における「色」に相当する。「法」は五蘊における「受想行識」に相当する。尚、六境(色声香味触法)における「色」と色即是空の「色」は異なる。後者は五蘊の一要素の「色」であり、目に見えるものだけを指すのではなく物質世界の要素すべてを指す。逆にいえば受想行識は含まないということ?鈴木大拙『仏教の大意』がいう「理事無碍」との違いはここにあるのかもしれない。
・釈迦は物の属性(例えば石の色や形や手触り)が存在して、それを認識していると考えるのではなく、絶対的に実存している色や形や手触り(色や触)が存在しており、「石」はそれらを心で組み上げた架空の集合体にすぎないと考える。人間の場合はここに、色以外の五蘊と含まれるが、それも実在するのはそういった要素であって、それらが諸行無常に変化する複雑系が「私」である。これが釈迦のいう「ここに自分というものがあるという思いを取り除き、この世のものは空であると見よ」の意味
・大乗仏教は、五蘊や十二処や十八界のような基本要素も「空」であるとした。すべてが実在しないのだから因果関係も存在しない→釈迦が構築した世界観そのものを「空」として無化し、それを超える深遠な真理と新しい世界観を提示した
・釈迦の仏教は論理的・理知的で、大乗仏教は文学的・情緒的(著者の考え)
・お釈迦様は頭良くてすごいけど凡人には難しい、人間は情緒で世界を見て、感情でものごとに納得することもあるのだ、と昔の人は考えたのかもしれない。そこでこの世は人の論理ではつかまえきれない、説明不能なものであるということにした
・龍樹が般若経の空を論理的に体系化し、哲学的概念へと昇華させた。神秘性を持った大乗仏教の空から神秘性を取り除き、論理的な構造で成り立っているかのような姿で説明し直したのが龍樹の空
・十二支縁起について詳しく知りたい。釈迦の教えで、一切皆苦を因果の法則で説明したもの?無明に始まり、老死に終わる。だから釈迦はその根本原因である無明をなくすことが苦を取り除くことになると考えた。中身はよくわからないけど「なぜ?」を11回繰り返している
・釈迦の仏教の「業」は因果関係が連鎖しない(仏教以前からの考え方)、だから煩悩を消すことが苦を消して輪廻を止めることにつながる。業とは行いをした時に生じるエネルギーで、これによって別世界(天人畜生餓鬼地獄)に行く。善の業も悪の業もある。
・釈迦の仏教では自利が初めにあって、それが利他につながるという考え方。大乗仏教は初めから利他。ただし因果的な順と時間的な順は違うかもしれない。現代なら前者の方が受け入れられそう。
・自己犠牲の例、捨身飼虎
・「耳なし芳一」は般若心経の神秘性がわかるお話
・「般若心経最高!最高!最高!嘘じゃないよ!」という部分がある。
・「真言」とはいわば「呪文」のこと。少ない言葉ゆえに言葉にされていない部分が多くある。
・般若心経は個人の心の救済を考える面が強い一方、法華経は国全体をよくすることを考えている側面が強い。法華経いいな、気になる
・意根は一刹那毎の心の連なり?12本足の生えたタコのイメージ

かなり長くなってしまいましたが、最後に所見をまとめます。
般若心経では神秘性が強調されているとのことでしたが、これはプラシーボ効果に近いのかもしれないと思いました。
よくわからないけど信じることがパワーになることは身近にあります。
これが現代忌避されるのは、「よくわからないけど信じる」という純粋な心につけ込んで悪事を働く人々がいるからです。
しかし、論理を超えた力が秘められている点で、神秘を力に変えるというのは、「役に立つ」ことを求める現代人にも有用なのではないかと思いました。

おわりに

今回も100分では読み終わりませんでしたが、とても実りのある読書となり、かなり満足感が高いです。
明日本屋に行くので、また佐々木閑先生の本を買って読みたいと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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