読書感想文(210)新海誠『すずめの戸締まり』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は現在全国の映画館で上映中の新海誠監督の新作「すずめの戸締まり」の小説版です。
本編を読み終えた後でようやく気づいたのですが、監督本人が書かれているんですね、驚きました。


感想

この本を読むことにしたのは、映画でよく分からなかった部分がわかるかなと思ったからです。
結果、解けない謎の方が多かったのですが、映画では読み取れなかったことも沢山見つけられたので、読んでよかったです。

まず、結局わからなかったのは、要石のことです。ダイジンはなぜすずめの子になりたがったのか、なぜ萎んでしまうのか。小説ではカットされていましたが、サダイジンとおじいちゃんの会話から推測すると、サダイジンやダイジンも元は人間、この場合元の人格を保っていくのか。もしそうなら、ダイジンは幼い子供が要石になったということでしょうか。しかし長い時を経てだんだん神になっていく、というような話もあったので、これは違うかもしれません。
単に神の気まぐれなのでしょうか。
また、サダイジンが環さんに本音を喋らせたのも、気まぐれなのか、それともその方が上手くいくとわかっていたのか。

逆にわかったことは、すずめが死ぬことが怖くないと断言することについてです。
新海誠監督あるあるの、子供ならではの無鉄砲さのようなものかなと思っていましたが、震災によって人が死ぬことの偶然性への諦めがあったのだとわかりました。
この点、私は坂口安吾の著書から高校生の時に触れた考えなので、気づけなかったのはまだまだだなぁと思いました。

新たに気づいたことは、嗅覚です。
すずめは初めてミミズを見た時、甘ったるいような不快な臭いを感じます。
後に、それがすずめにとっての常世の臭い、則ち震災によって焼けたる町の臭いであることに気づきます。
映画では嗅覚に言及していなかったような気がしますが、どうだったでしょうか。

あとはラストについて、映画ではこの先の未来が見えなかったのですが、小説版では、すずめは自分と草太の世界が異なることを認識しています。
再会の場面は映画小説共にありますが、二人が一緒に生きていくことはないのかもしれません。
これは「天気の子」では描かれなかったことであり、「君の名は」ではむしろ二人が一緒に生きていきそうな雰囲気がありました。「秒速5センチメートル」は勿論将来は一緒ではなく、「言の葉の庭」は一緒になりそうな感じです。
共通するのは子供の無鉄砲さというか、無敵感というか、少年漫画のような(?)勇気と行動です。
それが上手くいったり、いかなかったり。でも行動がなければ上手くいくことはないし、そう考えるとそれは子供だからできるということでもあります。
逆に、大人が無鉄砲さと勇気を持って行動する作品って、何かあったでしょうか。

あとは今回のテーマについて、地震というのは軽率に扱える題材ではありません。
地震の恐ろしさを広く伝えることによって、南海トラフへの警戒が多少は高まったであろうことは、この映画の一つの役割なのかなと思います。
あと、先述の死の偶然性について、日本で戦争が起こっていない今、地震が最も適切な題材かもしれません(病気もそうですが)。
しかし、そう考えると、閉じ師によって地震を防げるというのは、矛盾しているような気もします。
或いは、草太さんが教師になるのは、多忙によって閉じ師の仕事に手が回らなくなり、南海トラフが起こるという現実への伏線かもしれません。
どこまで監督の意図かわかりませんが、こうやって色々と妄想をふくらませるのは楽しいですね。

おわりに

私は基本的に小説が映画化したら小説を読んでから映画を観るようにしているのですが、今回は映画を先に観ました。
映画が主役かなと思ったからです。
実際、映画を観ていなければ情景描写を想像しづらかったのではないかなと思います。
もし映画を観ずに小説を読んだ人がいたら、是非感想を聞いてみたいです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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