読書感想文(180)夏目漱石『門』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は夏目漱石の前期三部作の三作目です。

感想

面白かったです。
この作品を簡単にまとめると、社畜兼愛妻家の話です。そして世間に後ろ暗い事があることによって、生きづらさを感じています。
終盤、盛り上がってきた後に思っていたよりあっさり終わってびっくりしたのですが、Wikipediaによると、どうも作者の体調不良が原因のようでした。

さて、今回は社畜兼愛妻家の話なので、同じような人が共感できそうなところがたくさんありました。

今日の日曜も暢びりした御天気も、もうすでにおしまいだと思うと、少しはかないようなまた淋しいような一種の気分が起って来た。そうして明日からまた例によって例のごとく、せっせと働かなくてはならない身体だと考えると、今日半日の生活が急に惜しくなって、残る六日半の非精神的な行動が、いかにもつまならなく感ぜられた。

P20

六日間の暗い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる。

P25

毎週日曜日に思い出してしまいそうです。

夫婦は例の通りに洋燈の下に寄った。広い世の中で自分たちの坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗い社会を忘れていた。彼らは毎晩こう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出していたのである。

P83

彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らには又充分であった。

P185

社会に対して暗い気持ちを持っていると同時に、二人の世界は明るいことが書かれています。これが二人の望んだ結果なのでしょう。

この作品は、『それから』の「それから」であるとよく言われているようです。『それから』はこの先どうなるのかという不安と共に終わりましたが、『門』の二人は不安を抱えながら二人で生きていました。この二人が幸せなのかどうか、と少し考えてみました。やはり社会から排されるのは苦しいことだろうと思いますが、それでも二人は二人なりに幸せなのではないかと思いました。理由はシンプルに、一緒に生きたいと思った人と一緒に生きられているからです。
例えこのような苦しい立場になったとしても、一緒に支え合って、お互いが一緒に生きることを求め合える関係は尊く、素敵なものだなと思いました。

最後に、小六について。彼はこの作品で最も不遇な存在ですが、やはり彼自身も自分の不遇さを嘆いています。
自分は悪くないのに自分が不利益を被るのは、特に子供にとっては耐え難いことのように思われます。
近年、金銭的な都合で子を持たないという意見をしばしば見かけます。これはまさに、子供に小六のような思いをさせないという思いから来るものだと思います。或いは、子供にかかる金銭をも自分の為に使った方が良いという価値観もあるかもしれません。
小六の場合は弟なので少し違いますが、良くも悪くも理不尽な環境というものは存在しているので、それをどう考えたらいいのだろうか、と思いました。

おわりに

今回で前期三部作を読み終わりました。
期待以上に面白かったです。
次は後期三部作を読んでいこうと思います。楽しみです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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