読書感想文(285)植木雅俊『法華経;誰でもブッダになれる』(NHK「100分 de 名著」ブックス)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は仏教の本で、100分de名著シリーズです。
以前読んだ佐々木閑氏の本がとても良かったので、他の仏教の本も100分de名著で読んでみることにしました。

感想

とても良かったです。
本当にわかりやすいです。

意外だったのが、法華経が原始仏教に回帰しようとしていたところです。
何となく大乗仏教の流れで神秘性の強いものだと思っていました。
佐々木閑氏の『般若心経』で、般若心経は個人の心の救済、法華経は国全体の救済といったことがちらっと書かれていました。
今回この本を読むと、その主張もある程度理解できたように思います。
すごく簡単に言えば、善い行いをする→人に善い行いを勧める→善い行いをする人が増える、という流れを理想としているように思われます。
そして何よりも、誰でも平等にブッダになれるということが印象的でした。
過去千年以上前に書かれたと思えないほど平等意識が強く、人種差別や男女差別に言及しています。逆に言えば、大昔からその主張がありつつも未だにそういった差別が残っているのは何故なのか考える必要もあるように思われますが、ともかく、皆を救おうという意識が強く感じられました。
ただ、佐々木閑『般若心経』P25,26辺りで述べられていたように、同調性というのはかえって危険な部分もあります。「同じだよね」というのは、無理矢理自分側に引き入れる思想になりかねません。その視点を持って改めて考え直すと、確かに法華経は「三乗は一乗」として、様々な考え方を統一するような考え方があります。そして、それが結局菩薩を目指すことに繋げます。これは菩薩を目指す大乗仏教に引き入れていると言えなくもありません。
「月影や四門四衆もただ一つ」の光と影の両面が見えるように思います。

一つ気になったのは、「方便」というものです。
「嘘も方便」とは今も使う言葉ですが、この本ではキャラバンの例え話が出ていました。
宝の島を目指すキャラバン隊が歩いているが、皆疲れて諦めようとする人も出てきた。そんな時、幻の城を作って見せて、「ほら、目的地が見えてきたよ!もう少し頑張ろう!」と励まして、そこで少し休ませる。皆は目的地に着いたと思って疲れが吹き飛ぶ。そこで幻の城を消し、本当に目指すべき宝の島は近いから、と言って再出発し、無事に到着できた、という話です。
つまり、ざっくり言えば、本来の目的を達成する為に嘘をつくということですね。
この点について、私は少しモヤッとしました。
というのも、確かに目的を達成できたのだから結果としては良いのですが、やはり騙すというのは良くないことなのではないか、という思いも捨てきれないからです。
これは結果的に良かったわけですが、もしかすると騙されて怒る人もいるかもしれません。騙す側はどのような場合にどのように正当化されるのか、というのは考えるべきことのように思います。
なぜなら、「嘘も方便」を自分に都合の良いように使いかねないからです。
この例え話の本質とはズレるかもしれませんが、法華経には全体を通して方便を容認する意識が強いように感じました。
これは時代を経ると、特に今の時代は利己的な考え方が主流だと思うので、悪いように使われるような気もします。
この辺りのことを考えると、騙される側の視点に立った上で『7つの習慣』の話を合わせて考えられそうな気がするのですが、まだ上手く整理できていません。
また、法華経自体も方便と捉えることもできるかもしれない、とも思いました。
浄土教はまだほとんど勉強していないのですが、そのような印象を持っています。

ここからは、印象に残ったことや覚えておきたいことを箇条書きしていきたいと思います。

・菩提薩埵(ぼだいさった)はボーディ(覚り)サッタ(人)から→紀元前後頃に大乗仏教では「覚りを求める人」の意味で菩薩が使われる
・般若経が小乗仏教批判→維摩経が保守的権威主義的な部派仏教を批判→大乗仏教と小乗仏教を対立で終わらせず、融合させてすべてを救うことを主張するのが法華経
・スッタニパータでは即身成仏、時を要しない法。部派仏教の時代には歴劫修行、3阿僧祇かけてやっとブッダになれる、ブッダの神格化(私は人間ではない、ブッダである)
・原始仏教では女性も覚りを得られる、部派仏教で女性や在家を排除
・釈迦の遺言「自帰依法帰依」→部派仏教で卒塔婆信仰へ
・法華経では文殊が弥勒を批判「名声を求める者」「怠け者」→弥勒菩薩はイランのミトラ神を仏教に取り込んだ架空の人物、歴史上の人物である釈尊をないがしろにするなという意識、維摩経なども同じ
・三車火宅の譬え、方便の一例であり、自らの意志で動くという例
・無学はもはや学ぶことがなくなった人、逆に有学はまだ学ぶことがある人
・原子論は紀元前5世紀から
・十二章女人往生、8歳かつ女かつ畜生、当時のマイナス要素ばかり
・原始仏教のシンガーラヘの教えでは、「夫の妻に対する在り方」で自立や財産権を認めるが、漢訳される際に男女が逆転してしまっている
・如蓮華在水
・サダーパリブータ(常不軽菩薩)は経典を読まずに菩薩になった→自得したということ
・サダーパリブータは常に人を軽んじないと良い、常に人を軽んじていると思われ、常に人に軽んじられ、それを耐え忍び、常に人に軽んじられないようになった
・法華経を実践する場所が聖地
・スッタニパータ「生まれではなく行いによって貴賤は決まる」→『』学問のすゝめ』みたい
・日本で経典は全て呉音で読む
・「タゴールはなぜ仏教を重視したのか?」→「①仏教は徹底して平等を説いた②迷信やドクマや占いを徹底して排除した③西洋は神に対する約束事として倫理を説いたのに対して、仏教は人間対人間の現実において倫理を説いた」

おわりに

今回で仏教についての100分de名著を三冊読んだわけですが、いずれも情報量が多くて、全てを飲み込めてはいません。
しかし、心に染み込ませたい考えが沢山あるので、また繰り返し読みたいと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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