読書感想文(184)夏目漱石『こころ』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は夏目漱石の後期三部作の三作目です。ついにここまでたどり着きました。
最近読んだ夏目漱石作品は全て初めて読みましたが、『こころ』だけは高校生の頃に一度読みました。
その時の記憶はそれほど強くありませんが、「両親と私」いる?などと思ったのは覚えています。しかし、それほど熱中しなかったような気がしています。
久しぶりに読み終えた今では、それが嘘のように感じられます。私は当時どのような気持ちで読んだのでしょうか?これを読んで何も感じないなんてことあるんでしょうか?

感想

面白かったです。そして、今まで読んだ夏目漱石作品の中で最も読みやすいように感じました。
今回は久しぶりとはいえ読むのが二回目だったので、伏線などが意識されました。
また、他の作品と関連して考えられることもいくつかありました。例えば、自分が友人の為にしたことがかえって自分を苦しめるというのは『それから』と重ねられますし、「男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれない」という点は『門』の最後のシーンを思い出しました。

私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。

P161

これは「先生と遺書」の(二)です。
なかなか強い言葉が使われています。
昔読んだ時は全然ひっかからなかったのですが、こういった言葉遣いがより先生の気持ちの強さを表しているように思われ、読んでいて苦しくなりました。

昔全然気にならなかった点で言えば、先生が意外と奥さんに対して疑いの目を向けていたことです。もしかすると読んだ時は何か思ったのかもしれませんが、すっかり忘れていました。
思えば、私は先生が人間不信になっていたということを強く認識できていなかったのだと思います。ただ自分の恋の為にKを出し抜き、「策略で勝っても人間としては負けた」ことにより、苦痛を抱えながら生きていくという点にばかり気を取られていたのだと思います。この点においては、昨年読んだ平野啓一郎『マチネの終わりに』に通ずるものを感じます。何か後ろめたい行いによってもたらされた幸福は、自分がその幸福を享受するに値するのかという点で自らを苦しめます。

読みながら、父と先生や母と先生の奥さんなど、対比を意識せられる所が見つかったのですが、どう比べれば良いのかはまだわかりません。
また、「私」がどのような人物なのか、また今後どのようにして生きていくのかといったこともあまり想像できませんでした。
「私」を単に物語の案内役と捉えることもできますが、登場人物の一人として、その世界に住む一人の人間として、先生の遺書をどのように受け止め、どのように生きていったのかということも気になります。

何を書けばよいかわからなくなってきたのでとりあえず思いつくままに書いていきます。
この作品を読んで印象深かったのは、先生が自分を善良な人間だと思いこんでいたことです。しかし、先生はKを裏切ったことで、自分も叔父と同じようにエゴを持つ人間である事実を認めざるを得なくなります。これを西洋から持ち込まれた近代的自我によるものと捉えるなら、先生が自殺するのは自分が良いとする自分を侵され尽くす前に終わらせたいという気持ちがあったのかな、などと思いました。

おわりに

色々とメモしながら読んだのですが、自分がこの作品をどう受け止めたのかということは、あまり考えられていなかったように思います。ただ、この作品は何度も読む価値があると思ったので、また読み返しながら色んな事を考えていきたいです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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