医療・ヘルスケア分野におけるAI技術の活用
本記事は日刊工業新聞にて連載している「脳×AIで切り開く未来」を再編したものです。
これまで、AI(人工知能)とニューロテックがもたらすイノベーションの数々、そして私とアラヤ(東京都港区)が取り組んでいる研究の概論を記してきた。今回からは、日本の各産業におけるAI技術導入の現状と、未来像について触れていく。
日本は健康情報の宝庫
まずは医療分野から述べていこう。まず、当然のことながら、AIで高精度な分析を行っていくには、サンプルが多数であればあるほどよい。実は、そうした健康状態に関するデータ自体は、多数記録されている状況にある。
現在、Apple WatchやFitbitをはじめとするスマートウォッチなどのICT機器が身近なものとなり、脈拍数や睡眠状態など、個人でも簡単に日々のヘルスデータを記録できるようになっている。
また、日本では企業に対して健康診断・人間ドックの受診が義務づけられていることも大きい。厚生労働省の調べによれば、20歳以上の6割以上の国民が受けているという、受診率が高い国だ。CT(コンピュータ断層撮影)、MRI(磁気共鳴画像)だけでも、相当なデータ量を有することになる。
しかしながら、そのデータを医療に十分活かしているとは、まだまだ言えないというのが現状だろう。当然、個人情報の取り扱いが非常にセンシティブなものであることも理由だが、加えてヘルスデータに関してはサービスが細分化していて、情報を統合して活用する状況に至っていないように見受けられる。
問題解消のため、総務省と経済産業省が主体となって、パーソナルデータを集中管理する情報銀行(情報利用信用銀行)の普及を進めている。課題は多いが、こうした事業が浸透してくれば、テクノロジーの医療分野への利活用が活発化してくると思われる。
政府としても、医療へのAI活用を本格化させている。ディープラーニング(深層学習)の概念が一般的にも波及した2017年、厚生労働省による「保健医療分野におけるAI活用推進懇談会」を開き、科学技術を使って、効率的に患者に対して最適かつ質の高い医療を提供することを目指す方針を立てている。なかでも、①ゲノム医療②画像診断支援③診断・治療支援④医薬品開発⑤介護・認知症⑥手術支援の6領域を重点に掲げている。
現在、日本で最もAIが活用されているのが、画像診断支援の領域だ。たとえばCT、MRIなどの画像からAI単独で異常の判断を行えるだけでなく、医師とAIによるチェックで重病の見逃しを防げることになる。
2022年度の診療報酬改定では、「人工知能技術(AI)を用いた画像診断補助に対する加算(単純・コンピュータ断層撮影)」の保険適応も決まり、さらにAI技術の活用がさらに広まっていくだろう。
実際、〝医師に寄り添うAI〟をモットーに「EIRL(エイル)」シリーズを展開するエルピクセル(東京都千代田区)、脳画像解析プログラム「Braineer(ブレイニア)」が薬事承認を受けているSplink(東京都千代田区)など、成果を上げているスタートアップも多く見られる。
脳神経分野など 難易度高い手術で成果
脳神経に関する診療に関しては、専門医による判断が求められる。だが地方、ことに遠隔地では、なかなか専門医に診察を受けることが難しい。そうした場において、専門医が監修した画像装置があれば、患者がより質の高い医療を早期に受ける手助けになる。
また、iMed Technologies(東京都文京区)では、昨年現役の脳神経外科医師・河野健一CEOを中心に開発された「医用画像解析ソフトウェアNeuro‐Vascular Assist ®」が薬事認定を受けた。脳梗塞やくも膜下出血などの患者に対し行われる脳血管内手術(カテーテル手術)は、繊細な操作を求められる。その危険性を減らすため、血管撮影装置の画像をディープラーニングによって解析し、手術を支援するソフトウェアだ。
さらに国内外で注目されている研究のひとつが「デジタルツイン」の医療分野への適応だ。
デジタルツインは、仮想空間上に実際の人・ものの双子モデルを作り、シミュレートを行う技術をいう。ディープラーニングに比べてデータ量が少なくて済むことから、疾患の予測、効果的な治療への役割が望まれている。ことに神経疾患治療において注目されており、EU(欧州連合)では、脳のツインモデルを作成し脳神経治療に役立てる「ニューロツイン」というプロジェクトに資金を出している。まずはアルツハイマー治療から臨床試験を行うという。
バイタルデータ非接触で取得
また、AIによる画像診断は本格的な治療だけでなく、体調管理のためのモニタリングに応用する研究も進んでいる。特に顔の画像から脈拍を計測したり、歩く姿の映像から健康状態を確認するなど、ウェアラブル機器から一歩進み、バイタルデータを非接触で取得する技術が注目されているのだ。
デバイス装着の必要がなくなれば、データ収集のハードルは下がり、よりカジュアルな健康管理が行えるようになるだろう。
非接触でのモニタリングの一例として、アラヤが開発した技術に、顔の画像から脳の状態を推定する「Face2Brain」がある。ニューロサイエンス(神経科学)を応用し、画像・映像によって撮影された人の表情などから、脳波を推定できるようにするシステムである。大がかりな機材も必要としないため、日常生活での眠気、注意力などの測定等、さまざまな場面での活用を想定している。
「Face2Brain」は将来的には、治療未満のヘルスチェック的な役割を果たす技術への発展を期待している。多くの人にとって、病院にかかる以前の状態──疲れが取れない、何だか調子が悪い──といった悩みを抱えている場合も多いだろう。そういったヘルスデータを集積し、適切なアドバイスを出せる仕組みづくりにも、大きな社会的需要があるのではないかと考えている。