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アーティスト二人が「Orange」を見たら感想がめちゃめちゃシンクロした~モノカキ、モノカケルVol.2w/長利和季さん~

僕の大好きな「モノカキ」のみなさんと「モノ・コト」を「カケ」合わせて、「楽しい」をお届けする新企画、「モノカキ、モノカケル」。

第二回となる今回は、シンガーソングカウンセラーとして活躍されており、本noteのインタビュー企画「表現者たちの伏線」でもお話を伺ったことのある長利和季さんとともにお届けします。

今回企画にお誘いするにあたり、二人で内容について打ち合わせをした際、「同じ作品を見て感想を持ち寄るの面白そう!」となったのをきっかけに、映画を選ぶことにした我々。

ふたりとも見るのは洋画が多かったことから、「どうせだったら普段見ないものを」という話になり、紆余曲折あって

「僕らから一番と遠いものa.k.a.“少女漫画原作の邦画”をちゃんと見て思ったことをかいてみる」

という内容になりました。そして選ばれたのが映画「Orange」。

洋画ばかり見ている二人が「orange」を見て何を考え、何を感じたのか?インタビューや普段のエッセイからは感じ取れない「二人の価値観の違い」とは?お楽しみに…

長利さん:選択の連続である映画「Orange」

映画「Orange」を2回鑑賞した。

一度目は、邦画として受動的に見て楽しむ。
二度目は、本作の主題を能動的に観て考える。

この文章の結末であり必然、「受動と能動」両視点から映画「Orange」を語りたい。 そんなエッセイになっています。どうぞよしなに。

※このnoteでは映画、ならびに原作「Orange」の重大なネタバレを含みます。

 -邦画としての「Orange」-

 まず何が魅力かって、登場人物がちゃんと青春してるんですよ。放課後の寄り道、体育祭、初詣... それでいて直線的な恋愛映画でないところが、彼らの青春をさらに「青春」たらしめている。

表の主題として「友情・絆」といった部分が強く描かれていると感じましたが、あくまで視点は菜穂(なほ)と翔(かける)を中心とした「恋愛」模様を追っていく形で進行します。

では、映画「Orange」を直線的たらしめていない要素は何か。
それはこの作品の根幹となる設定、「パラレルワールド」世界軸の採用です。

-パラレルとは並行すること-

高校2年の春。高宮菜穂のもとに10年後の自分から手紙が届くところから物語は始まります。 綴られていたのは当時の後悔と回避するためのアドバイス。 しかし「パラレルワールド」解釈では、現在の行動を変えても未来が変わることはありません。

パラレル世界は、未来に向かう一本の大きな幹ではなく、幾重にも分かれる枝のようなもの。 一人ひとりが何かを選択する度に「aを選んだ世界」「bを選んだ世界」「cを...」と無数に分岐し、そしてどの世界にも「それぞれの結末」が存在します。

仮に『「成瀬翔を救ってほしい」と手紙が届いた』世界を「√A」とすると、手紙を出した10年後の『成瀬翔を救えなかった』世界は√A上の未来ではなく、まったく別の世界「√X」になります。

そして重要なのが「√A」「√X」どちらの菜穂も、この世界が「パラレルワールド」だということを自認しているんです。(高校でパラレルワールドについての授業があったため)

そのため「現在(√A)の菜穂」はどれだけ手紙をもとに行動しても、未来の「私」の後悔を消してあげられないことを知っている。「未来(√X)の菜穂」は10年前に手紙を送っても、今いる「√X」世界の結末(翔の死)が変わらないことを知っている。

『「セカイ」を超えてさえ、未来は変えられないし、過去は変わらない』

-変えられるのは現在(いま)だけなんだ-

それでも菜穂は、同じく「√X」世界の自分から手紙を受け取っていた須和弘人と共に「翔を救う」ために奔走します。(須和視点については後述)  そしてその想いは、友人たちにも伝わっていく。

それがより込められていると感じた一推しの場面が体育祭のリレーです。 アンカーは足の速い翔に決まり、走者六人のうち残り五人は立候補。 ここの5人の、それぞれの想いを胸に手を挙げていく場面は胸が熱くなりました。

そして体育祭当日、一人ひとりがアンカーの翔に伝言を繋いでいく。   今まで言葉にしていなかった想いを、今度はしっかりと「コトバ」にして翔にぶつけます。 表の主題である「友情・絆」の象徴として一番グッとくるシーンだと感じました。

そうやって自分たちの未来のために、現在(いま)を変えていくことを選択していく5人。 繋がれた想いのバトンは翔の心にも届きます。

この瞬間も幾重にパラレルしていく世界。
無数の可能性を越えていく中で、それでもこの結末が必然だったと思わせてくれるラストシーン。

「√A」では翔を入れた6人、10年後の「√X」では高宮と須和の子どもを入れた6人がオレンジ色に染まる丘から景色を眺める。(「√X」世界で高宮と須和は結婚しています)

翔を救った世界と、翔のいない世界。
セカイ同士が対比するこの場面は、ぜひキャストさんの表情にご注目。 (ここで「対比」という言葉を用いたことを覚えていてくださいね)

-主題としての「Orange」-

ところで菜穂と須和は、10年後から手紙が届いたことで物語中たくさんの選択をしていきます。 手紙がなければ、その選択肢に気づかないようなことさえも。

菜穂に手紙が届いた始業式の放課後、5人と翔は一緒に帰ることになります。 『この日だけは翔を誘わないでほしい。絶対に』ここではじめの分岐が起こります。

そもそもこの日、一緒に帰ることを提案したのは菜穂ではなく須和です。 (須和が未来の自分からの手紙を読んだのは始業式の翌日) そのため、菜穂にとって「翔と一緒に帰ること」は、ただの「偶然」に過ぎませんでした。

このとき菜穂に与えられた選択肢は『一緒に帰る・帰らない』に見えますが、本当は違います。

「帰らない」ことは「選択しない」ことではない。
「帰る」を「選択する」に言い換えるとこうなります。

『「選択する」を選択する ・「選択しない」を選択する』

-「選択する」ことの本質-

選択とは「選ぶか・選ばないか」ではなく「何を選ぶか」です。     しかし「選ばない」方を常に「選択肢の一つ」であると認識するには意識することが必要不可欠。

意識していないから認識できず、認識していないから意識することができない。

しかし、菜穂は手紙を読んだことで「翔と一緒に帰らない」という「選択肢を意識」します。 このことにより「偶然」起きた事象に対して結末を変える機会が与えられたんです。 結末を「必然」と言い換えてもいいでしょう。

「偶然」と「必然」、この言葉は対義語です。

しかし「選択する」という観点において両者は対義ではありません。

両者は同じライン上にあり、過去から未来へ向かうように偶然から必然へと時間が流れます。

『「偶然」起こったことを「必然」に変えること』 これが「選択する」ことの本質であり、映画「Orange」の真の主題だと感じました。

-二つの必然-

さて、僕は「必然」には二種類あると思っています。          それは「受動的必然」と「能動的必然」です。
この言葉も「受動と能動」という部分を見れば対義語ですが、こちらも同じ流れの中にいます。

『偶然「過去(事象)」→受動的必然「現在(感情・思考)」→能動的必然「未来(選択・行動)」』

「受動的必然」とは、起こった事象をありのまま受け取る、選択肢として意識できないもの。 「能動的必然」とは、受け取った事象を思考し選択、行動に移すこと。

この二つの差は、物事を「必然だった」とするか「必然にした」とするかの違い。 もっと言えば「能動的必然」とは、自分の選択とその結末に責任を持つということです。

-「能動的必然の選択」の物語-

その視点で本作を見直すと、そういった場面が随所に散りばめられているのが分かります。 映画「Orange」の表の主題が「友情・絆」を描いたものなら、真の主題は「能動的必然の選択」。

菜穂は最初、起こった事象(偶然)に対してうまく行動に移すことができません。 「一緒に帰るかどうか」の選択のとき、なぜ一緒に帰ると後悔するんだろう? と感じただけで、実際に一緒に帰ることに対しては受け身なんですよね。 (この時点で「翔の死」を知らないことや、菜穂の元来の性格にも起因します)

それが「翔の死」という事象を前にして「翔を救う」ことを自分で選択していきます。 須和の力も借りて、その想いは友人たちにも伝播していく。 これが能動的必然の選択であり、「翔を救う」という結末を必然にするための選択。

そう考えると、ラストシーンが必然だったと思わせてくれるのも納得です。 なぜなら、あの結末は「必然だった」のではなく、彼らが「必然にした」世界だから。

だからこそ「√A」世界ではあの結末が必然であり、あの結末しか有り得ません。 そしてそれは「√X」世界も同じこと。

「√X」世界の彼らは、翔の死が事故ではなく自死であることを10年経ってから知らされます。 「翔の死は自殺によるものだった」ことは変えられない過去であり、そのままの事実を受動的に必然だったと思うしかないんです。(実際に事実を知った5人は傷悴し、悲しみに暮れました)

では、10年前の自分たちに後悔の手紙を送ることは受動的なことなのか。 それは未練や後悔の押し付け? 前向きとは言えない? 答えは否です。

彼らはこの世界が「パラレルワールド」だということを知っている。   過去が変わっても「√X」世界の結末(翔の死)が変わることはないと自認しているんです。

それでも過去に手紙を書いたのは、別世界の自分たちに希望を託すため。 『「√A」世界の自分たちに「能動的必然を選択する機会」を与えること』 それは曖昧な奇跡に頼るものではなく、明確な意志によるものです。

「能動的必然を選択する機会」を「√A」世界に与えることが彼らにとっての「能動的必然の選択」 それは別の自分たちに想いを繋ぎ、現在を受け入れて生きることを「選択」したということ。
このとき「√X」世界で必然「だった」翔の死を、手紙を送ったことで必然に「した」のです。

自分たちの選択によって結末を「必然にした」両世界の場面は対比であって対義でない。 それぞれの世界が、それぞれの現在(いま)を生きていると実感させてくれている。

このシーンにおいて僕は、前向きや後ろ向きと言った言葉を使いたくありません。 前向きなことが良いと一概に言えないし、後ろ向きなことが悪いことばかりとは言えないから。

だからこそ言いたい。どちらの世界も「同じ流れの方を向いている」と。 起こった事象をあるがまま受動的に捉えるだけではなく、能動的に自分の選択と行動、その結末に責任を持って生きていく彼ら。その表情は、どちらも自信に満ちています。

「√X」世界の意志は「√A」世界の現在へ、その想いは菜穂と須和、友人たちを通じて翔へ。 この選択の連鎖が一つの流れとなっていることを示唆するのが、先述した体育祭のリレーです。

「√X」の「能動的必然の選択(過去に手紙を送ること)」が「√A」に「能動的必然を選択する機会」を与えました。

そして彼らは「能動的必然の選択(翔を救うこと)」を胸にコトバを、想いを翔にリレーしていく。 「能動的必然の選択」のバトンは「セカイ」を超えて「翔を救う」ために。

『それは翔自身に「能動的必然を選択する機会」を与えるために』

-映画「Orange」の主人公-

ところで僕は、文章中「√A」世界の主要人物を呼称するとき「彼ら」という言葉を用いています。 菜穂の視点で物語が進行することから「彼女ら」または、全員が主人公のような側面もあるので 「彼ら、彼女ら」と表現するのが本来は妥当でしょう。

しかし、あえて「彼ら」にしたい理由がある。

本作中でただ一人、どちらの世界にいても最初から最後まで「能動的必然」を選択している人物がいる。そう、菜穂と同じく未来から手紙を受け取った、須和弘人です。

「√A」世界の須和は手紙を読み、菜穂と翔の恋を応援することを決めます。 自分の好きな人と自分の友人の恋を、よう分からん手紙一つ(ごめんなさい)でそこまで決断できることが本当にすごい。

彼だって、世界の選択を背負う人間である前に「一人の男子高校生」なんですよ。 その選択を高校2年の須和にさせないであげてくれ...どうか幸せになってくれ...

ですが、須和にとって菜穂が笑顔でいること、翔が未来を生きることが幸せなんですよね。

「√X」世界の須和は、菜穂と結婚し子供も生まれています。 そして10年越しに訪れた成瀬宅で、翔の死の真相を知ることに。

自分の妻は目に見えて傷悴している。

翔も当時、菜穂が好きだっただろう。                 翔が生きていたら自分は菜穂と結婚していなかったかもしれない。    自分たちの手で翔を救えたかもしれない。

翔の友人であり現在の菜穂の夫として、須和は複雑な心境であって然るべきです。 ですが須和は翔のために本気で涙し、菜穂に「手紙を書こう」と伝えます。そう。 「10年前の自分たちに手紙を託す」ことをはじめに提案したのは他でもない須和なんです。

どちらの世界もずっと彼に選択をさせているし、その選択の責任を取らせている。 ここで重要なのは、本当は「選択しない」を選択することも彼にはできたということ。

でも須和は自分で選択して、その責任を背負いながら生きていく決断をするんです。 底抜けに良いやつで、友達想いで、翔のことが大切で、そして菜穂のことが好きなんです。

ここまで一貫して「能動的必然を選択」し続けることができるやつがいるでしょうか。 こんなのもう主人公ですよ。そう思ったら自然と呼称は「彼ら」になりました。

僕はこの「Orange」という作品は「須和弘人」の物語だと勝手に思っています。 異論は認めません。僕の中ではそれがそう。あなたがそうならそれもそう。 「√A」「√X」どちらの世界の須和弘人にも、彼なりの幸多からんことを。

-映画「Orange」は選択の連続である-

「理屈屋のオタクくん(オサリくん)は長文早口で語りがち」という結末が必然したところで。 いかがでしたでしょうか? 邦画としての「Orange」と主題としての「Orange」。

『選択の連続である映画「Orange」』
本タイトルに偽りのない内容になったのではないでしょうか。

絆があって、青春があって、そして明日からの選択に少し自信が持てるようになる。 そんな作品でした。泣きたい夜におすすめです。

いま、この一瞬一瞬が、自分たちの未来に繋がっているということ。
「教えてくれてありがとう」という本作への気持ちは、きっと受動的必然でしょう。

実は、映画「Orange」を見終わってすぐ、原作漫画全巻を大人買いしました。 これはもしかしたら、僕にとっての能動的必然だったのかもしれないですね。

兎にも角にも原作という視点で、高野苺先生が描く「能動的必然(描きたいこと)」が読みたい!! この文章を書き終えたら、原作「Orange」を手に取りたいと思います。

-おわりに-

この文章を読んだことは「偶然」だったかもしれません。それでも、 この文章を読んだことを「必然」だったとあなたが思えるように、 あなたが明日を自分自身で「必然」にしたと思えるように。

その選択の一助になれば、この文章の結末は僕にとっての必然です。

さて、このエッセイを読んだあなたは映画版「Orange」を

『 見る? ・ 見ない? 』

その結末もまた、あなたの必然次第ということで。


新井:セカイを隔てた「青春代理戦争」としての映画版「orange」

この作品を見終わったとき、頭の中にふと浮かんだのは、「ごめんなさい」という感情でした。

運命というか、業というか。とにかく、全部須和と高宮に全部背負わせてしまって、本当にごめん。何もできなくてごめん。という気持ちになりました。

前提として、なかなかの地獄

この作品の大きな設定上の軸、物語の求心力となっているのが、「パラレルワールド」の存在です。

過去、未来を問わず、時間軸を大きく隔てた「自分」と交信を取るところから始まる物語は数多くあれど、その多くは「歴史改変型」と「パラレルワールド」型に大きく二分されます。

「歴史改変型」は、同セカイ上の自分に「良くない未来」の現状を伝え、そんなバッドエンドを回避することをゴールとしています。過去の選択を変えることで、「よりよい未来」を目指すという物語ですね。

これは、「同じ」セカイの未来が変わるため、歴史改変が成功すればハッピーエンド、めでたしめでたし、となることが多い。

対して「パラレルワールド型」の場合、無限にある「一人ひとりの選択」が行われるたびに「Aを選んだセカイ」「Bを選んだセカイ」…と「異なるパラレルワールド」が無限に生まれていきます。そのセカイ一つ一つに固有の結末が存在していることになるわけです。

前述の通り、「orange」はパラレルワールド型の物語であり「成瀬を救えなかったセカイ」と、「成瀬を救えという手紙が届いたセカイ」の2つのパラレルワールド、それぞれが描写されていきます。時系列を隔てているようで、隔てているのはセカイです。

「成瀬を救えなかったセカイ」の須和と高宮は、結婚し子宝に恵まれ、一見幸せそうに見えますが、冷静に分析するとなかなかの地獄です。

高宮と須和は成瀬宅で、自分たちの選択次第で、高宮にとっては「想い人」、須和にとっては「大切な友達」であった成瀬を救えたかもしれないということを知ります。

これだけでもかなり精神的負担なのに、須和は成瀬が「妻の好きだった人」である、と知っていながらお参りに行き、その事実に露骨に落ち込む我が妻を目の当たりにしている。これってなかなかの地獄。

また、成瀬の死がなければこの恋(須和と高宮の結婚)は実らなかったのではないか、とも捉えられるこの事実。成瀬と友達であっただけに、自分を責めてもおかしくない状況ですよね。

でも、それらをすべて受け止め須和は、「過去の自分達に手紙を書いてこの事実を知らせること」を自ら提案します。

“違うセカイ”の幸せを願うこと

ここで更に残酷なのは、「パラレルワールド」の存在を二人が自認していること。

もし二人が「歴史改変型」のセカイ認識をしていれば、もしこの手紙が届けば、こんな未来もましになるかもしれないし、苦しい今の事は「なかったこと」になると信じることができます。

でも二人は(大変残酷なことに)高校の物理の授業で、「パラレルワールドの存在」を知ってしまっているので、手紙が届いてもこの現状がどうにもならないことを、全部わかってるんです。このなんと可愛そうなことか。

「青春代理戦争」と名付けたい

そして、手紙の届いた側のセカイでも、二人が不憫なのには代わりありません。

こちらのセカイでも二人はとにかく「成瀬のために」動きます。それなのにも関わらず、「成瀬の一番の後悔」である「母親にひどい言葉をかけてしまったことで死なせてしまったこと」は、回避できななかったんですよね。

この、物語上の一番はじめの分岐にして最重要の分岐は、どっちも良くない方しか引けてないんですよ。これが「成瀬母を救えたセカイ」の話ならもっと単純だったはずなんです(映画としては面白くなくなるだろうけど)

かつ、「手紙が届いたセカイ」の二人は、「成瀬を救えなかったセカイ」にはなかった「未来を知っているのに救ってあげられなかった」という新たな業を背負わされてるんです。

成瀬も不憫なんですけど、これ、十分二人もきついって。

だから、改めて「ごめん。」という気持ちになります。いわばこれは「青春代理戦争」なんですよ。いろんな人の後悔があれど、いろんなしわ寄せが須和と高宮に集まっている。

二人が、特に須和が、選択によって生まれる理不尽な業みたいなものと、代表して戦わされてる感じがするんです。

成瀬を救えたら救えたで、高宮との恋は実らない(かもしれない)わけで。でも友達思いで純真だから、救っちゃうんですよ。

須和の言葉に全員が救われてるし、もうなんか石像かなんか立てたほうが良いレベルだと思う。ほんとに。

五感を青春で見事にパッケージ

そして、その構造とも関係する、本作のテーマについて。

「大テーマ」としては「誰かに伝える事」なんじゃないかなと思います。

ゼロ距離で、頭の中を直接見せる形で、ものを伝えられたら良いなとよく思います。

でも残念ながら、ほぼ100%「言葉」を介さないとものを伝えることはできないし、何かを隔てないと伝えることってできないんですよね。

ときに空間を、ときに時間を、そしてこの作品の場合は「セカイ」を隔てて、ものは伝わって、いや、伝わろうとしていく。

この物語でも、正確にはなかなかメッセージは伝わりません。そして、伝わらないって分かっていながら、彼らはそれでも「言葉にする」ことをやめられません。

だからこそ、言葉を超えるものとして「五感」が、「青春」というモチーフと非常に密接な形で描かれるシーンの多さが、「orange」の魅力の一つだと思います。

花火を一緒に観ること、バトンを繋ぐこと、同じものを食べること。

「感覚を共有」することによって、言外に伝わる「モノやコト」の尊さを、非常に美しく描いた作品だなと。

そして、今作の白眉とも言える、「高宮to成瀬」「成瀬to高宮」それぞれの「応急処置」シーン。

「痛み」は景色や味などと違って、共有できないものですよね。看病する側はそれを「慮る」ことしかできない。でもだからこそ「気づいてあげたい」と思うのだろうし、慎重に扱おうとする。それが尊い。

「痛み」に気づくことと、「痛み」を気遣うことによって言外に生まれる絆を、象徴的に表していて、台詞回しも含めてとっても美しいシーンだな、と感じました。

“いま、ここ”でもセカイはパラレルしていく

とにかく、そんな無限の「伝わる」「伝わない」のグラデーションを繰り返して、たくさんんセカイはパラレルしていくということが描かれる。

その中で、「何もしないことによって生まれるセカイ」の存在に気づかせてくれることもまた、本作の面白いところだと思います。

手紙には「これはしないほうが良い」という書き方の他に「これはやったほうが良い」というメッセージも含まれています。

その中には、「言われなきゃやろうとも思わなかった」ものも、その中にはあると感じて。ややこしい言い回しになりますが、「今私は何もしなかったな」ということに自覚的になることって、ないと思うんですよ。

この一瞬一瞬、「選択とは無縁」と思う時間でさえも、実はたくさんのパラレルワールドが生まれているってことに、気づかせてくれる。なんだかこうしちゃいられない感じがしてくるんですよね。


一番はじめの「成瀬と一緒に帰るのはやめたほうが良い」というメッセージだって、成瀬と帰ろうと誘ったのは高宮じゃないわけだから、高宮に生まれている分岐は「成瀬と帰るのはやめようと提案する」「提案しない」なんです。

こんなの手紙がなかったら自覚的に「選択してる」と思わないわけです。

丘の上の「命の総量」にハッとさせられるラストシーン

そして、そんなたくさんのパラレルワールドの存在を示唆しつつ、それでもそのセカイではこの結果が「必然だった」と思わせるラストシーン。

登場した2つのセカイそれぞれの登場人物たちが、タイトルどおりの「オレンジ」に染まる空と並木を見つめる、切なくも美しいシーン。

ここで考えさせられるのは、丘の上にいる「命の総量」は同じだということ。

つまり、成瀬と「須和と高宮の子供」は同時に存在し得ないってことです。

もちろん物語を最後まで追ってるわけですから、いくら須和が不憫とはいえ、高宮と成瀬の恋も応援したい気持ちも芽生えてます。ハッピーエンドだとは思います。

でも、あくまで仮定であり想像でしかない話ですが、その赤ちゃんが「自分」や「自分の周りの人」だと思うと…。

これはただ感動のラストというよりも、なにか「必然性」みたいなものへの強い訴えかけを含んでいるな、と思います。

命そのものの存在さえ、きっとどこかでパラレルしていると思うと、自分の必然性をちょっと信じられる。

「自分が嫌い」な成瀬に、「高宮を嫌いになりたくない」成瀬に、生きてて良いんだよってあなたが生きてるのは必然だよって、声をかけたくなる。

この、沢山の選択からにじみ出る「偶然らしさ」を描きこむことによって、逆説的に「命の必然性」を浮き彫りにしているこの構造が、本当に美しいなと思います。

そして、最後に語りたいのが、映画版ならではのキャスティングの話。

ココまで語ってきた「須和と高宮」の不憫属性を、見事に表現しきった二人の表情に、本当に拍手。

特に土屋太鳳をブッキングした方。僕と握手。(韻を踏むな)

控えめで内気で、「ちょっと硬い」笑顔の表現が、特に美しいなあと思います。

途中で出てくるいわば高宮の恋敵、上田先輩を観ると特に分かるんですけど、カースト上位美人にあの憂いと硬さはやっぱりないんですよね。

手放しでミス〇〇顔じゃない、あの仲良しグループの可愛い子、みたいな距離感と表情。たまらんですよね。

特にあの成瀬宅から返ってきて、過去の日記を見返して泣き崩れるシーンの、あのこの世のすべての理不尽を一人で背負って立ったかのような表情。

本当に素晴らしいと思いました。土屋太鳳さんでなければ、ココまで熱量をもって書けてなかったんじゃないかと思うほどに。

君にすべてを背負わせてごめんと、言いたくなるあの表情。素晴らしかったです。

と、いうことで僕の、「青春代理戦争」としての「orange」論、いかがでしたでしょうか。

美しく、切なく、最後には自分を少し認められる、そんな物語だなと思いました。感想を踏まえても踏まえなくても、「泣きたい」日におすすめです。

お酒飲んでたからかもしれないけど、正直3回泣きました。

このエッセイを読まなかったら「orangeを見る」か「見ないか」であなたの人生パラレルしなかったのにね、ごめんなさい笑。

それでは。

編集後記

今回感想を書くにあたって、お互いの感想はふたりとも前もって見なかったんですが、並べてみてびっくり、驚異のシンクロ率を誇っていましたね笑

須和の境遇に着目し、感情移入している点、「選択しない」を選択するということと必然性を絡めている点、エッセイの結び方…

隣の席だったらカンニング疑われそうな感じです。

ですがやはり、それぞれの文体がありますし、語り口がありますし、全く違う感想になるよりもむしろ面白い、そんな読み比べができる形になったのかなと思っています。

長利さんの文章のすごいところは、独自のキーワードを設定して、それを使ってその後のあらゆる話を進めていくところだと。勝手に思っています。

パラレルした世界線についての情報整理部分は、僕のものより圧倒的にわかりやすいと思いますし、須和の内面の葛藤についても、時系列と取り上げたい主題がしっかり別れていて、「そういう書き方があるのか…」と本当に勉強になることばかりでした。

(分かり良かったのではじめに持ってきた節もあります)

こんな風に感想を並べて、しかもこのボリュームのものを読み比べるような企画や機会はなかなかないと思うので、編集していて楽しかったし、新鮮でした。

そして、これは今後長利さんと直接お話する時に触れたくてあえてエッセイの中には入れなかったのですが、この映画を選んだことも「必然」と思ってしまうほどに、長利さんご自身の境遇や人生と主題やストーリーが重なる部分があったりして、そこも個人的に感動ポイントでした。

気になる方は該当回の「表現者たちの伏線」を読んでいただければわかると思いますので、そちらも是非!

かなりのボリュームではあったと思いますが、最後まで読んで頂いて本当にありがとうございました!

未見だったという方は悪いことは言わないので是非「Orange 」鑑賞後にもう一度読んでいただけると幸いです!

ではまた!

【最後まで読んでくださった方へのおすすめ記事】

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https://www.osarikazuki.com/

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【モノカキ、モノカケルのコンセプト紹介記事はこちら】

【第一回の記事はこちら】

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