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ライブハウスは「日常」です〜とりとめたい、とりとめない。②〜

今日は先日したこのツイート


に関してのお話をしようと思います。

ライブハウスは地下シェルターだった

バンドを自分たちでやるということに出会って、ライブハウスに自分で足を運ぶようになった、高校1年生の頃の僕にとって、ライブハウスは「非日常」でした。

多くのライブハウスは地下にあります。それをシェルターに見立てたように、「嫌なことがあったらいつでも逃げ込んでこい」、「やりたくないことばっかの毎日だけどここで発散してまた頑張れ」といった言葉が中で飛び交っていました。

それは、メジャーバンドのライブでも、僕たちが参加していたようなインディーズのライブイベントでも。

そして「またライブハウスで会おう」と憧れのバンドマンはステージを降りていきます。

それを聴くと、迫ってくる「受験」に脅迫されながらやる勉強も、自分のスクールカースト上のなんともいえない立ち位置での居心地の悪い学校生活も、「またライブハウスに行くまで頑張るか」と思えました。

「クソな日常」バイアス

それは、ライブをする側として積極的に活動していくうちにさらに強くなっていきました。

僕にとってライブをすること自体、今まで経験したことのない楽しさの塊でした。

そしてなにより僕の大好きなあの「非日常」をなんとかご提供しなければ、というか、あんな風に誰かの拠り所になるようなライブができれば、と思っていました。

でも、しばらく活動を続け、違う土地に来て音楽をまたしていくうちに、気づいたことがありました。

それは、「人一倍日常をクソだと思っているのは観客ではなく僕ではないか?」ということです。

ライブハウスを「非日常」とするあまり、普段の生活の中の「めんどくさい」「しんどい」という感情が増幅されているような気がしたのです。

「クソな日常」バイアスとでも言いますか。

「ここはライブハウスではない」という感情

そしてもう一つ気づいたのは、ライブハウス以外の場所を「ここはライブハウスではない」と捉えている自分に自覚的になっていることです。

別にクラスの中じゃなくても、ライブハウスに認めてくれる人がいるからそれでいいじゃん、と思えたことで成長できたのは事実です。

でもそれは同時に、それ以外の場所で「認めてもらえない瞬間」に自覚的になることでもありました。

これを踏まえて思ったんです、「この状況は誰にとっても損だ」という風に。

自分にとってそうであるように、来てくれる人にとっても損かもなと気付きました。

だから僕が言いたい、「ライブハウスをあなたの日常にしてください」と。

好きなもので自分を否定するのは

ライブハウスで出会った人は、皆音楽が好きで、楽しくてしょうがない人たちです。

フロアにある楽しそうな顔、そして愛ゆえに感動で涙してしまう顔、それってやっぱり非日常的だとは確かに思います。

でも、音楽が好きな気持ちゆえに、ライブが、バンドが、ライブハウスが好きな気持ちゆえに、「クソな日常」と、好きなもの以外を相対化して楽しくないものにしてしまうのは、悲しいなと思うわけです。

好きなものにまっすぐな目線を向ける気持ちで、自分を、自分の日常を否定するよりかは、少なくとも僕は、ライブハウスを日常にして自分を肯定したい。そういう風に思うわけです。

だってライブハウス、楽しいもん。まだ来たことないひとは来た方がいいよ。楽しいから。日常って思って欲しい、喫茶店とかお気に入りのラーメン屋さんみたいに

ライブハウスは、日常だと思う。ライブハウスは、日常にできると思う。あなたの日常にしてほしいと思う。

そうやって好きなものを日常に組み込んで、「クソ」と言わずに、あなたの日常をまるっと肯定してほしい。

あなたを認められるのはバンドマンじゃなくて、音楽とバンドが好きなあなた自身しかいないと思うから、本質的には

じゃ、またふらっと寄ったライブハウスで会いましょうね。

ではまた。



202/09/13 追記

今思うとこの記事を2月に書いていた自分は、先見の明があったなと思います。

流行病によりあらゆる「人が集まる非日常」が規制された中、名指しで糾弾されたものの一つに「ライブハウス」がありました。

正直、頭で分かっていても、コンビニやスーパーは今まで通り人が集まり、マスクをした集団が地下鉄で集まる様を見ると、「なぜライブできないのだろう」とよぎることもありました

でも答えはこの記事に書いた通りです。まだまだ世間一般にとって、というかバンドマンにとってもライブハウスは非日常なのです。

日常の中にあった施設は対策をしながらも真っ先に稼働し、非日常であった施設は、今やっと徐々に安全策をとりながら動き出しました。

この記事のタイトルのように、「ライブハウスが日常」であれば、映画館的な対応がなされていたのではないかと僕は思っています。

文化的にも、そして性質的にもライブハウスの非日常性を突きつけられたコロナ禍だと、僕は捉えています。

もちろんそれだけではありません、換気の悪さ、大勢が歌うことにより呼気に含まれる飛沫が舞うこと、映画館と違ってスタンディングであることもポイントであったと分かっています。

でも少なからずあったんじゃないかなって思うんです、ライブハウスが非日常であることと関係が。

正解はまだ僕の中で見つかってないけど、ライブハウスが楽しい場所なのは、事実だよ。

それでは。

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