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自己肯定感で大切なことは全て「中田敦彦」が教えてくれた(1)

2016年12月31日。
テレビでは、煌びやかな衣装と派手なパフォーマンスの歌手たちが、その年最後の競演を繰り広げていた。
ぼくは、妻の実家で3歳と1歳の娘たちと義母の手料理をつまみながら、隣の部屋でその音を聴いていた。
幸せの絶頂だった。

仕事も順調だった。葉山の海岸に近い一等地にこぎれいな部屋を借り、その一室をリトリート施設化して都心からお客様を招き、好評を得ていた。

ただ、その後に待ち受ける運命の奔流に、まるで気づいてはいなかった。

ただひとつ気づいていたとすれば、歌手たちの中でひたすらにお笑い芸人の名前を連呼する曲に、ぼくは密かに憧れていたのかもしれないということだった。

マグロ遠洋漁船の元機関長だった父と、小学校教諭の母という昔気質(むかしかたぎ)コンビのもとで、2人の東大エリートの兄と共にスパルタ方式で育てられたごくごく平凡な少年だったぼくは、鉛のような劣等感と共にすくすくと育ってきた。

「自己肯定感を高めなければ!自分の力を社会に示さなければ!」

そんな強迫観念にかられて、芸大卒からIT系企業の高収入社員に奇跡的にたどり着いたところで、無理がたたってぽっきり折れててしまった。

これがぼくの、何度目かの”孔子期”の終わりだった。

孔子期とは、勉学や自己啓発に励み、社会を改革して名前を残すことをよしとしていた価値観を、学問と出世の思想家”孔子”になぞらえてつけた謎命名である。

ちなみにその後は友人の紹介で心理カウンセリングやセラピーを受けては涙を流し、慰めと慈しみを受け取って「生きてるだけで素晴らしい」「この世界は愛でできている」と、ひたすら自分を慰め気力を養っていた。

これがいわゆる”老子期”である。

老子は孔子と並ぶ同時期の思想家であり、自然体であることや、出世から距離をおいて牧歌的にしあわせに生きることを説いていた。

穏便な老子期を過ごしてだんだんと気力を取りもしてきたぼくは、次に”孔子”と”老子”のマリアージュを目指して動き始めた。

つまり自分が恩をうけた”老子”期の心理カウンセリングやセラピーで、”孔子”のように立身出世できるんじゃないか!と思い立った訳である。

そしてその目論見は見事にあたった。

ネームバリューこそないものの、高い志を掲げて始めた心理セラピーや心理講座は、愛あふれるがゆえに深く傷ついていた多くの個人クライアントさんや、志の高い講座生の皆さんで賑わい、ありがたいことに高収入社員の頃より高い年収を受け取らせて頂いた事もあった。

実はこの活躍には秘密がある。

この決断は、”老子”モードのぼく一人では到底できなかった。

(つづく)

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