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1995年 いろいろゆれ動きながら会社とお店の引越し

大きな地震

どの辺りからおかしくなっていったのだろうと考えた時、地震があった後ぐらいかなと思いあたります。この時、さいとう、よむら、アルバイト3人の計5人で毎日の商品の卸し先への出荷、お店の店番などすべてを回していました。みんなおそろしくよく働いたのでギリギリなんとか回っていました。

地震の直接の被害は幸いにも少なくてすみました。お店はほとんど無傷で(れんがを積み上げて平台の足にしてたのですが崩れていません、3匹の子ブタの話を思いだしてレンガにしててよかったと思いました)、事務所も本棚が倒れて、「後片付けが面倒くさいなぁ、もう」というぐらいで、スタッフ全員のおうちも無事でした。 が、神戸の卸し先がしばらく営業ができない状態になったりして、売り上げは一時落ちこみ、悲しいニュースが毎日流れます。そんなこんなで不安な気持ちがどんどんふくらんでいったのでしょうか。

とにかく、会社の雰囲気は重いものになっていきました。

そして、私達はあせって給与体制を変えてしまったのです。その場その場のいい加減な経営方針です。若かった。なんていいわけですが、今よりは若かった。結局、震災後2ヶ月もたたないうちにその時のスタッフは全員やめてしまいました。みんなで出前のお好み焼きを食べた後、何を思ったかティッシュでお皿をピカピカに磨き上げた事など、楽しかった思い出やくだらない思い出が頭をよぎりました。

5年ほどたって、当時のスタッフが遊びに来てくれてやっと「あの時はごめんね、へへへ」と言いあえるようになりました。

私達がもっとちゃんとしてて、人格者だったらと悔やまれますが、会社は、お店は明日も続きます。新しいスタッフを探さなくてはいけません。

お皿

修行のような業務内容

新たに4人のスタッフが決まりました。またおそろしくよく働くスタッフでした。アランジはいつもスタッフの重労働に助けられています。

この頃の仕事の流れはこんな感じでした。まず、卸し先のロフトやハンズ、雑貨屋さんから商品の発注がファックスで流れてきます。その発注書をもとに商品を揃えていきます。そして一個ずつ袋に詰めてアランジのタグをホッチキスでとめます。レターセットは便箋6枚、封筒3枚を数えて袋に入れてタグのシールを貼ります。ライター6種類各50個、ミラー各40個、レターセット200セット、ポストカード800枚、などをもくもくと袋に詰めていきます。次に値札シールを貼ります。卸し先によって細かいルールがあってややこしい値札シール、間違えたら大変です。必ず2人以上で指差し確認です。出来上がった商品をぴったりのダンボール箱に詰めます。ダンボール箱はちょうどいい大きさの物を近所のゴミ捨て場から探してきます。後は納品書を記入していっちょあがりです。そうこうしているうちに、7時です。宅配業者さんが集荷にやってきます。これとこれはなんとしてでも今日出さなくては、ホッチキスをとめる音のリズムが速くなります。反射神経が研ぎすまされます。

大きな荷物を何個も無事出し終えた後はマラソン後のようなけだるさです。この納品作業の他にも、スタッフ交代でお店番にも行かなくてはなりません。お店にもシールの袋詰めの内職を持っていきます。

一体いつ新商品を考えたり、イラストを描いたりしてたのでしょうか。納品作業の合間です。納品作業以外の事、絵を描いたりぬいぐるみをつくったりしていると、なんとなく仕事をさぼってわるいなぁ、という気持ちになってしまいました。


パンダの台頭

アランジのポストカードといえば、水色の紙にえんじ1色印刷がお決まりだったのですが、白黒のポストカードが登場しました。パンダばかり4種類同時発売です。『パンダパンチ』『パンダキック』『パンダザムライ』『パンダんち』。震災後、社内がもやもやしている時に、あー、もうっ、『パーンチ!』『キーック!』という気持ちで出したのでした。

これを機にパンダの時代がやってきました。パンダ、いい気になって『パンダだっこ』『パンダおんぶ』と追い討ちをかけます。それまで人気ナンバーワンだったカッパは挫折を知り、ひとまわり渋く成長しました。

パンダとカッパ


DIYそれは自分達でやれ!な引越し

アランジのお店の入ってる、ビッグステップ、チャレンジマーケットの売り場がなくなることになりました。もともと期間限定のチャレンジな売り場だったのでしかたありません。

直営店は楽しいのでお店は続けたいと思いました。ついでに事務所もお店の近くに移転するととても便利になるよ、きっと。そこで、場所探しです。その頃大阪では、アメリカ村がやはり一番人がたくさん集まって活気がありました。アメリカ村で、路面で、1階、10坪ぐらいの広さで、2階が事務所で、20坪ぐらいで、安い物件。

そんなものあるはずありません。

どんどん条件をゆるゆると広げていき、みつかったのは、駅からアメリカ村と反対の方向に7分程歩いた、古いビルの3階と4階。しかも、借りた当初、部屋はもうめちゃめちゃひどい状態。でもそのおかげで、かなり安く借りる事が出来ました。

まず、おおがかりな改装が必要です。いつもお世話になっている卸し先の雑貨屋さんに相談してみました。そこのお店は内装を全て自分達の手でつくってる達人だったので、なんだって出来てしまうのです。やり方がわからないよー、と泣きながらタイルを工作用ボンドで貼っていた以前とは違うのです。

こんな棚、こんな床、自分達で決めてつくっていくのは、たいへんだけどとても楽しい作業でした。コテを使って壁材を模様をつくりながら塗っていったときなど、すっかり左官屋さんになった気持ちがしたものです。

左官サイズ小


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