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Ξガンダムなんかオマケだ!『閃光のハサウェイ』はここを観ろ!5選

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』はガンダムシリーズの最新作であるからして、当然プロモーションでは新たなガンダム「Ξガンダム」が推されている。また、観た人の感想では、メッサー、グスタフ・カール、ペーネロペーといったMSが繰り広げる市街戦が、怪獣映画的なニュアンスを持つ場面として話題になっているようだ。

確かにΞはかっこいい。市街戦も怪獣映画好きにはこたえられない。しかし、あえて言おう、カス……いやさすがにそれは嘘。オマケだと。この映画の真の見せ場は、ロボが出てこない、人間芝居の部分である。『閃光のハサウェイ』では、ただ人が会話しているシーンですらまったく緊張感が途切れない。ダレるシーンがほとんどない、驚異的な作品なのだ。以下、ロボットが出てこないシーンを中心に、私の考える『閃光のハサウェイ』の見せ場を5つ挙げていきたい。

冒頭、ギギ登場シーン……富野演出へのオマージュ

↑冒頭15分はyoutubeで見られます(開始位置を合わせてあります)

本作は地球に降下するシャトル内の情景で始まる。CAからワイングラスを受け取るケネス、機内食を食べ切ったハサウェイ、メインキャラ2人の顔見せ。その後、ヒロイン・ギギのセリフが突然シャトル内に響き渡り、ギギとケネスの会話によってストーリーが本格的に始まる。

「だって、マフティー・エリンを退治に、地球に降りるのでしょう?」

私は初見時まずここで感動してしまった。というのも、ここに『閃光のハサウェイ』の原作小説著者であり、ガンダムシリーズ生みの親である富野由悠季の編集メソッドへのオマージュを見たからだ。

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よく言われることだが、富野はシーンを途中から始める。たとえば、『逆襲のシャア』のアバンタイトルがそうだ(藤津亮太氏の指摘に基づく)。最初のセリフがいきなり「原因はなんです?重量が3キロ減った原因は?」である。チェーンがエンジニアとνガンダムの仕上がりについて話しているのだけれども、富野はその会話の途中からシーンを開始する。わかりにくいのは確かだが、説明くささを避け、まさにその場にいるような臨場感を演出しているわけだ。

『閃光のハサウェイ』の冒頭も、ギギとケネスの会話を途中から始める。ケネスが二つのグラスを受け取っていることからして、おそらくケネスがギギにワインを勧めるところがあったはずである。が、そこはバッサリカット。いきなり核心であるマフティーについてのセリフから始める富野的演出法によって、作品冒頭にまずは富野原作である刻印を残しているのだ。

ケネスの足払い……流れるような戦闘

↑ここも見られる

ギギの「やっちゃいなよ!」に導かれて、ハサウェイとケネスがハイジャック犯に反抗するシーン。ここでは、カボチャ男のマシンガンをハサウェイが下に向け無害化する→カボチャ男が腰に下げていた拳銃でハサウェイが男の足を撃つ→そのまま振り返ってハサウェイが仮面の男Aを撃つ→その背後でケネスが仮面の男Bを足払いし取り押さえる、というなかなか複雑な殺陣を、わずか数秒で流れるようにこなす。アクション映画でもなかなかない、惚れ惚れするシーケンスだ。

特に注目してほしいのは、観客側に向けてハサウェイが男Aを撃ちながら、その背後でケネスが男Bを倒す、画面の手前と背後で同時にアクションが進行するカット。一瞬に情報量が詰め込まれている。

アニメの殺陣というのは、とかく見得の切り合いになりがちだ。かっこいい表情をキャラが決め、かっこいいポーズでかっこよく攻撃する。それを敵がかっこよく避ける。それぞれのキャラクターの攻撃・防御動作を、独立した「かっこいい絵」として作り、それを順に出していく戦闘シーンを、私は「ターン制の戦闘」と呼んでいる。一概に悪いとは言えないものの、リアリティや緊張感の欠如であるとか、点に止まって線としての気持ちよさがないとか、そういう不満は感じる。

もしもこのシーンがターン制で演出されるなら、ハサウェイが男Aを撃ったあとカットが切り替わり、一旦ケネスの決意の表情が映され、そしてまた別カットで男Bにケネスの見事な足払いが決まる、というようになっていたろう。それではスピード感は完全に失われる。完全武装のハイジャック犯に対するハサウェイの勝ち目は奇襲しかない。だからだらだらと演出するわけにはいかない。ここは絶対に、流れるようなカッティングが必要なのだ。

ハサウェイを助けるケネス……人間関係を強化する原作改変

↑まだ見られるよ!

5選のうち3つが冒頭15分に収まってるってどういう配分だよと言われるかもだが、結果的にそうなっちゃったんだから仕方がない。ハイジャック犯を追い詰めるべくコックピットに向かったハサウェイは、そこにいた仮面の男Cを締め上げる。これで犯人は全て取り押さえたか?すると仮面の男Dが操縦席から現れ、ハサウェイを銃で狙う。万事休す!間一髪でケネスが現れ、ハサウェイを助ける。

このシーン、実は原作には存在しない。なぜ追加されたのかというと、おそらくそれは、ケネスとハサウェイの友情を強調するためである。

ストーリー上、ケネスとハサウェイはハイジャック犯との共闘を通じて友人になる、ことになってはいる。ただ、正直小説版では、あんまりハサウェイとケネスが仲が良さそうに見えない。仲が悪いわけではないのだが、感情的なつながりは感じられない。お互いに一角の人物と認め合った、せいぜい知り合い同士というような感触だ。

これに対して映画版は、ハサウェイ、ケネス、ギギの3人をよりラブコメ的・三角関係的に描いている。そうした改変の一環としておそらく、ケネスがハサウェイを助けるシーンを入れたのだ。ハイジャック犯との戦いのクライマックスで、ケネスとハサウェイの間の生命の貸し借りを印象付けることで、2人の間の関係をより親密なものにしている。ひいてはそれが、本作全体を小説版よりも普遍的でわかりやすい作品としているのだ。

背後のガードマンにあたるフォーカス……カメラの意味

空港ラウンジでのギギとハサウェイの会話中、手前に沈黙するハサウェイを映しながら、背後に立っているガードマンにフォーカスするところがある。このフォーカスは、なんとなく置かれているわけではない。ハサウェイの意識のあり方を表現しているのである。

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↑空気を読まないギギ。かわいい

直前の会話で、ギギがハサウェイをマフティーその人であると見抜く。その優れた直感力に、「この子は嘘がわかるんだ……」とハサウェイが内語したところでこのフォーカスである。つまり、「このままこの会話を続けていたら、ガードマンたちにも聞かれてしまい、マフティーであることが警察や軍にまでバレて、マズいことになるのではないか」という、ハサウェイの焦りの表現なのだ。

情報量詰め込み型のアニメはしばしば、沈黙恐怖症のようにセリフを詰め込んでいく。『閃光のハサウェイ』はそうしたアニメではない。十分に「間」も取られている。にもかかわらず『閃光のハサウェイ』は90分とは思えない情報量を持つ作品でもある。それはこのようにセリフ以外で、たとえはカメラのちょっとした撮り方の中にすら、キャラクターの心情を入れ込んでいく演出の力によるものが大きい。

谷間に落ちる汗……「空気感」の翻案

市街戦が始まり、エレベーターを使ってホテルから逃げるハサウェイとギギ。乗り合わせた閣僚とその不倫相手は、これで関係がバレたりしないかと不安がる。そんなとき、不倫相手の熟女さんの胸元がアップになり、汗が谷間に一筋流れる。『閃光のハサウェイ』はとにかくエロい映画なのであるが、特にここはインモラルな要素も含めて、観客がごくっと生唾を飲み込んでしまうシーンである。

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↑そもそも富野さんの小説はエロい

さてこのシーン、原作での対応箇所を探していて驚かされた。たぶん「谷間に汗」のもとになったのは、次に引用する地の文だ。

狭いエレベーターのなかに、セックスの香りが漂うのは、気のせいではないだろう。

この「セックスの香り」を、「谷間に汗」という描写一つで表現しているのである。座頭市の居合一閃を見たような衝撃だった。

小説であれば、「雰囲気」はいくらでも文字で説明できる。だがアニメにはそれができない。具体的な描写によって、抽象的な「雰囲気」を醸し出すしかない。本作は「狭いエレベーターに漂うセックスの香り」なるものを、ただ一滴の汗によって見事に翻案しているのだ。

「あたり前」を突き詰めた傑作

以上、『閃光のハサウェイ』の中から、私の思う「ロボットの出てこない」見せ場を5つ紹介した。この5つの見せ場からわかるのは、『閃光のハサウェイ』が「あたり前」を突き詰めた作品だということである。カッティングに気を使う、カメラに意味を持たせる、原作を読み込み、「直訳」ではなく翻案していく……。どれも、決して派手な「必殺技」ではない。しかし、徹底すればそれだけで抜群に面白くなるのだ。

老害っぽい話ではあるが、私は近年のアニメ映画を見てなんだかなぁ、と思うことがしばしばあった。とても人間が喋らないようなクサいセリフ。説明的でも構わないといわんばかりのセリフの詰め込み。延々と続く作家の内面の吐露。ド派手で奇天烈な絵面。確かに「アニメでしかできないこと」を追求した結果なのかもしれない。そういう方向性で面白いと思った作品も確かにある。しかし、そんなにみんな「必殺技」、あるいは「反則技」ばっか使わなくても、というのが私の本音であった。

『閃光のハサウェイ』はだから、私にとって「我が意を得たり!」となる作品だった。もちろんガンダムvsガンダムのバトルや、市街戦シーンのような、「必殺技」も見事に決まっている。しかし私が挙げた5つのシーンにおける「通常技」も同じくらい、いやひょっとしたらそれ以上にキレキレだ。あたり前のことをあたり前でないほどに突き詰めるという、「アニメ映画」のあり得る可能性を示してくれた作品、それが『閃光のハサウェイ』なのである。

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aninadoに書いた記事も読んで(ハンバーガーちゃん風)。小説版との比較記事です。







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