人格矯正日記①エピローグ

「何かおかしい」と気付いたのは、社会人3年目のときだった。

ADHDの特性を、ハッキリと自覚した。

仕事に行くことが苦痛になり始め、精神科に駆け込んだ。


そして、めでたく(?)ADHDの診断がおり、

部長と同僚にカミングアウトした。


時間変動の多いシフト制だったが、固定シフトに変更してもらった。

週5~6日の勤務をしていたが、有休を使いながら週4日で働き続けることになった。

この時期が、一番調子が良かった。


当時、私はADHD「だから」出来ないことが多いのだ、と思っていた。

ADHDのカミングアウトをして、助けを求めた。


同僚たちなりに支援してくれたが、出来ることが増えた感覚は得られなかった。

むしろ苦しくなるばかりだった。

惨めだった。

他の人に当たり前にできることが、助けてもらわないと出来ないなんて耐えがたい苦痛だった。


そして、1年後に退職した。


紆余曲折を経て、現在は別の会社で働いている。


それまでの数年間で3~4社を転々としたが、どこの会社でも問題児だった。


「困ったやつ」扱いされるのは、精神的に堪えた。

今まで、特に小学生のときはデキる側だったし、中高でも順調に楽しく過ごしていた。

周囲とトラブルを起こしたことなんて、一度もなかった。



それなのに…!



屁理屈をこね、上司からの指示には反発し、大した成果を残すこともない。

本当に「困ったやつ」だった。


3社目で働いているとき、ADHDに由来すると思われる不注意や衝動性だけでなく、「物事の捉え方」が変なのではないかと感じるようになってきた。

後輩から「あの~、そこのティッシュ取ってください」と言われて猛烈に苛々してしまったのだ。


「え?」と、私は怪訝な顔をしていたようだ。

後輩は、まったく悪びれる様子がなかった。


「ティッシュをとって」と言われただけでイライラしたのは、いったいなぜだったのか。

 ・誰でもできることを頼むなんて、私バカにされてる?

 ・私も今仕事中なのに、邪魔しようとするなんて嫌な人だ。

 ・自分でもできることを人に頼むなんて、こいつは能力が低いな。


こうして思い返すと、改めて考え方のゆがみに気付く。


「ティッシュ事件」から1か月も経たないうちに、問題は起こった。


上司から呼び出されたのだ。

彼女が「あの人が怖い」と上司に相談したからだった。

上司が仲介役となり、彼女と二人で話し合いをすることになった。


話し合いの形を保ちながら、おそらく、私から反省の言葉を引き出すのが目的だったんじゃないか。


途中から、話し合いの形は崩壊し、私のいけないところを言われる会になっていった。


平等な立場を表明していた上司さえ、彼女側についていた。


私は、「相手を尊重しなさい」と注意された。彼女にも、形ばかりの注意をして話し合いは終わった。


小学校の頃、自分は悪くないのに謝罪を求められた記憶がよみがえった。

まるで悪者じゃないか。


でも、私の考え方が、人間関係に支障をきたしているのも事実のようだ。


ADHDとは関係ないところで、自分には問題があると強く認識した。


ADHD「だから」曲がった考え方になったわけではない。


ではいつから…?

どうして、私の考え方は曲がってしまったのか?


アドラーには叱られそうだけど、過去に原因を見出す方法にしがみついた。


母親から期待されすぎていたこと、

バカにされたこと、

叩かれたこと、

欲しいものを買ってもらえなかったこと、

我慢していたことを打ち明けたら怒られたこと、

父に助けを求めたのに我慢しろと言われたこと…


私の過去には「甘えたかったのに、我慢しなければならなかった」エピソードがいたるところに埋まっていて、未だに鬱屈した気持ちが拭えていないことに気付いた。


私の人格矯正は、この地雷を掘り起こすところから始まった。

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