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恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(5)恋の距離感、愛の時間軸

 21世紀初めの停滞の時代、愛は勝ち組のものであり、負け組は得られない愛に飢え苦しむ。そしてこの時代、若者はだれもが愛に傷ついている。

 KYだとか、コミュ障だとか、オタクだとかでワーキングプアならもう勝ち目はない。社会は過酷な人間関係を強要する。
 未来の明るい希望を信用できない若い人に浜崎あゆみの歌は癒しとなっていった。「愛すべき人」がいて、その人こそが(たぶん)「孤独」と「深い傷」を負った原因であるのに、またその人こそがなにもかも満たし癒してくれる。(「M」作詞:ayumi hamasaki 作曲:CREA)
 そんなマゾヒスト的精神状態でなければ生きていけない世の中なのだ。愛は苦しく、そして深い。

 けれどまた若さは真摯に愛を求める。そして愛に傷つくことを現実として知る彼らは慎重に相手との距離を測る。2001年宇多田ヒカルは「近づきたいよ、君の理想に」でもすぐには変われない(「Can You Keep A Secret?」作詞・作曲:Utada Hikaru)と歌い、さらに2002年にも「靴がすり減ってく」季節を過ごしながら「もっと君に近づきたい」と願う。(「SAKURAドロップス」作詞・作曲:Utada Hikaru)

 自分を大切にしなければ幸せは来ないことを彼らは知っているし、そうしながら相手に恋することが難しいことも理解している。
 「些細な言い合いなどなくて同じ時間など生きていけない」と努力しても「結局分かり合いたいなんて上辺を撫でていた」だけだと気づかされる。(「粉雪」作詞・作曲:藤巻亮太)
 深いつながりを感じられなければ愛は成就しないのだ。だから永遠を誓いたいのに、それが叶わないことも予期している。それなのに「永遠の愛」への憧れと絶望が同時に歌われる。

 もはや、恋は史上かってない困難を抱えている。それは生き方の困難さとシンクロしている。

 「あなたに恋をしてみました」(作詞:chay/いしわたり淳治 作曲:多保孝一)は、ぶ厚い契約書をマニュアルがわりに恋を学ぼうとするふたりのドラマの主題歌だ。恋には学習が必要なのにまだ十分でないうちから運命の人に会ってしまった、という。人間は幸せな恋には知恵が必要らしい。

 1年半後、恋する「方法」がわからない人物については「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがあった。主題歌「恋」では「愛が生まれるのはひとりから」だが、この世にいるだれも「ふたりから」であって「夫婦」を超え「ふたり」を超え「ひとり」を超えよという。そうすれば新しい愛のカタチが見えるのだろう。だれもがそれを見たいと思っている。しかし歌はその未来を示さない。ドラマのなかでは「愛の搾取」であるとか新しい概念に気づかせてくれたのに。

 こうなったらもうファンタジーに逃げるしかない。「こわいものなんてない 僕らはもうひとりじゃない」というのは「RPG」(2013年 作詞:Saori・Fukase 作曲:Fukase)というバーチャルな世界のなかでだからか。「君の前前前世から僕は 君を探し始めたよ」(「前前前世」作詞・作曲:野田洋次郎)というくらい時空をこえなければ愛にめぐりあえないのか。

  確かにそうなのだ。幸せな恋を見つけることは漆黒の闇の宇宙で星をみつけることに等しい。その星の熱を感じる距離まで近づくには、ファンタジーの英雄となってイゼルローン回廊さえ突破しなければならない。

 このファンタジーは甘く切ない恋という過去への回帰ではないだろう。知ってしまった痛みや喜びはもう消せない。恋は夢ではなく、その存在を尊いと思う誰かをいとしく思い、自分もいとしく思ってもらいたいという、こころの現実だ。

 しかし、こころの現実こそが外の現実を変える力だ。美しいものを欲する心が美しいものを生み出す。新しい恋を望めばそれは。

 そしてまた勇者は新しい恋の歌を歌い始めるだろう。

(完)

 

 

 

 



 

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