あらまああ

あらまああ

最近の記事

能楽の空白(という濃密)

 能を見る時間の80%は退屈な時間だ。幕があがって囃子方が登場し、切戸口から地謡が出てきて、それぞれの位置に着座する。ワキが登場してなんだかやり取りがあって、それでもなんだか始まったのか始まってないのかわからない。  そして、そうしたあいまいな空間を突然笛の音が引き裂く。そこではじめてシテが登場する。しかしそのシテもまたひとさし舞っただけで十分に盛り上がる前に去って行く。  アイが物語る話は多くは主人公の不在であり、いまさっきのシテの存在そのものが実は大きな空白の存在だという

    • 推しが負ける

      *これはフィクションです。  ある日推しが負ける。推しは将棋という100%純粋に個人競技のプロだから、野球のようにチームのだれかの力がもう少しとか、ゴルフのように風や運のせいにはできない。 (でも、人間だから。負けることも当たり前)  だが次の対局も推しが負ける。 (相手の準備がさすがだったものね)  そして一局勝っても次は負ける。 (対局続きで忙しいものね)  さらに、また推しは負ける。 (ちょっと調子がおちているのかしらね)  次も推しが負ける。 (大丈夫。次は

      • 彼女は恋に落ちるのか?Does She Fall in Love?|

        恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化(結)として  もう誰も<恋に落ちる>なんてことは無いのだと思っていた。互いに傷つけあわないで慎重に距離感を測りながらしか近づけ合えない恋の感情は簡単にfall inしないはずだ、と。  しかし、それまでずっと暗い感情を歌い続けていた欅坂46の、アンダーグループであるけやき坂46は、2019年、日向坂46として「キュン」を発表し、欅坂46を追い抜いてしまう。この歌の「僕」は「ほんの一瞬」で「君のその仕草に萌えちゃって」「こうやって

        • 恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(番外)

           きょうふとつけたテレビで星屑スキャットが「北酒場」(1982年 作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士)を歌っているのを見て心を撃たれてしまった。YouTubeの細川たかしが歌うのとまた違うのはアレンジの時代性なのか歌い手の感性なのか。  昭和の爛熟の手前の軽妙な感じがいい。時代劇のなかでみる清冽な潔さみたいな古めかしいお洒落感。  「北」とは北海道の意ではない。ここでは非日常の比喩だ。「酒場」という非日常をさらに修飾している、そういう世界。  男女の恋はここではフェイク。

        能楽の空白(という濃密)

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(5)恋の距離感、愛の時間軸

           21世紀初めの停滞の時代、愛は勝ち組のものであり、負け組は得られない愛に飢え苦しむ。そしてこの時代、若者はだれもが愛に傷ついている。  KYだとか、コミュ障だとか、オタクだとかでワーキングプアならもう勝ち目はない。社会は過酷な人間関係を強要する。  未来の明るい希望を信用できない若い人に浜崎あゆみの歌は癒しとなっていった。「愛すべき人」がいて、その人こそが(たぶん)「孤独」と「深い傷」を負った原因であるのに、またその人こそがなにもかも満たし癒してくれる。(「M」作詞:ay

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(5)恋の距離感、愛の時間軸

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(4)恋は現実、愛は勝利

           BOOWYが解散した翌年、B'zがデビューする。この両者を比べるとなんだか時代がすっかり変わった感じがする。BOOWYはステージから「ここは東京だろ?」などといって甘いファンタジーを演じたが、B’zときたら汗と体臭をふりまいて雨の中ステージを疾走する。  「LOVE PHANTOM」(1995年 作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘)は失恋の歌なのだろうか。去ってしまった彼女に「がまんできない 僕を全部あげよう」なんていうのは危なくないのか。「いらない何も捨ててしまおう」という

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(4)恋は現実、愛は勝利

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(3)去る彼女、見守る彼

           何だか舌足らずすぎる考察だと思われるだろうが先を急がせてほしい。今回は80年代について。  この時代はTVのCMソングが話題になった。大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」(1984年 作詞:銀色夏生 作曲:大沢誉志幸)もそのひとつ。この曲では、彼女は「輝いた季節」の想い出を残し、彼のもとを去っていくらしいが、その理由は説明されない。あとに残された僕は途方に暮れながらも「君が選んだことだからきっと大丈夫さ」と彼女の意思を受け入れる。  1975年財津和夫がかいた「サボテ

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(3)去る彼女、見守る彼

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(2)閉じる恋、逃げる恋

           60年代から70年代初期は日本には高度経済成長という大きな熱がうずまいていた。それは人々に安定と豊かさをもたらすとともに、社会の大きな矛盾抱え込んでいった時代だ。  米国ではベトナム戦争に反対するフォークソングが、少しあとに英国ではビートルズが若者の心をつかみ、日本でも学園紛争の吹き荒れるなか学生たちはギターを抱えて反戦歌のコードを熱心に覚えて、それを女の子にモテるためにかき鳴らしたのだ。  吉田拓郎はその頃、「イメージの詩」で社会に対しての批判と抵抗を、強固な内省の檻

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(2)閉じる恋、逃げる恋

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(1)拾う恋、捨てられる恋

           20世紀の恋の歌謡曲のかなり多くは、捨てられた女がまだ捨てきれぬ恋心を歌う唄である。そして戦後しばらくは、その捨てられる女は主に「酒場のおんな」であるとか「波止場のおんな」であるとかで場末の底辺の女性であった。  1956年コロムビア・ローズの歌った「どうせ拾った恋だもの」(1956年 作詞: 野村俊夫  作曲:船村徹)もはっきりとは書かれていないがそういう境遇にある女性の唄だとおもわれる。しかし彼女は、「やっぱりあんたも」他の男とおんなじの不実な「きまぐれ夜風」だと冷め

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(1)拾う恋、捨てられる恋

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(序)「リンゴの唄」から「りんごのうた」へ

            戦後最初の流行歌といえば、サトウハチロー作詞万城目正作曲の「リンゴの唄」である。最初にこの歌は「明るい軍歌」とする意図で詞がかかれたそうだ。しかしもちろん、戦う気持ちを鼓舞するよりは、「敗北を抱きしめ」ながら、ぼんやりとした未来を恐る恐る夢みようとしている歌詞ではある。  この歌が林檎という果実に仮託しているものは、物言わずまだ形もあらわさない明日へのほのかな希望である。彼らはまだ愛や幸せへの激しい渇望をはっきりとは言い出せないでいる。林檎は色のない世界でのひとつの鮮

          恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(序)「リンゴの唄」から「りんごのうた」へ

          ピエタの闇

           イタリア旅行は、アクセスの状況からミラノを最初の都市とすることが多い。そしてルネッサンス美術に多少なりとも興味があれば、スフォルツァ城博物館を訪れ、ロンダニー二のピエタと対面することになる。ミケランジェロの作品なら見ておこうという気になるはずだ。  ロンダニーニのピエタはミケランジェロの遺作である。そして、あなたが熟知しているヴァチカンのサンピエトロ寺院にあるピエタとの落差にはきっと衝撃を受けるだろう。  名前のついた作品として展示されるにはあまりにもみすぼらしい。完成

          ピエタの闇