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彼女は恋に落ちるのか?Does She Fall in Love?|

恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化(結)として


 もう誰も<恋に落ちる>なんてことは無いのだと思っていた。互いに傷つけあわないで慎重に距離感を測りながらしか近づけ合えない恋の感情は簡単にfall inしないはずだ、と。

 しかし、それまでずっと暗い感情を歌い続けていた欅坂46の、アンダーグループであるけやき坂46は、2019年、日向坂46として「キュン」を発表し、欅坂46を追い抜いてしまう。この歌の「僕」は「ほんの一瞬」で「君のその仕草に萌えちゃって」「こうやって人は恋に落ちるのか」と、ひたすら胸をキュンキュンさせるのだ。まるでバブル以前の歌かと思う。

 ほんとうに彼らは恋に落ちるのか?陰鬱な時代の行き詰まりのなかで、ヒットメーカーの単なる反射神経が書いた歌詞なのではないのか。

 アイドルが歌う恋の喜びと切なさに昔の若者もキュンキュンした。単純なときめきの感情だ。しかし1984年松田聖子は「ハートのイアリング」で単純ではない振られる女子の嫉妬と未練を正しく歌いきった。気をひくための「嘘のつぶやき」を「優しく叱って」ほしいのに「妬いてもくれない」彼。この時代、もてない女子の心の問題はまだ個人的な痛みだった。

 しかし格差社会のなかで、恋愛も<モテる><モテない>は階級的問題と認識されていく。モテるためには能力だか魅力だかとにかく力が必要だ。モテない心の痛みは社会的階級的問題として共有される。
  「ルックスがアドバンテージ」だから冴えない容姿は最初から差をつけられる。「まわりをみれば大勢の可愛いコ」たちのなかで気づいてもらえるためには努力を惜しまず才覚を磨く。その努力を惜しむ子を世間は容赦しない。恋も努力の成果。うまくいかない子は、これも自己責任、と内向し耐える。

 そうだ、恋は一方的でつらく悲しいものだとわかっている。自分にはふさわしくないものかもしれない。しかし、それでも。

 恋が能力の問題として感情から離れていくのは、個人の不幸だ。痛みや苦さや複雑な甘さをひとりで抱えざるを得ないことが愛や恋のはじまりではあるから。しかし今、社会的距離のなかで、ふと目をとめたことに「キュン」とするのはただひとりの個人的問題として発展していく。それが自分以外を求めることにつながれば恋になるのか。

 仕草に萌えて一瞬でキュンとする陽気さは無いが、「どこか儚い空気を纏う君」に「初めて会った日から僕の心のすべてを奪」われることもある。「ありきたりな喜びきっとふたりなら見つけられる」と希望を抱いて、この夜が「明けない夜」だとしてもふたり手をつないで「夜に駆け出していく」のだ。
 つらさを分かち合える相手。望むものはありきたりなささやかな喜び。それが貧しく苦しい時代の恋を生きる若者の姿。

 そう「人生は紙飛行機」のように頼りない。毎朝空を見上げて「きょうという一日が笑顔でいられ」ることを願う。「風の中を力の限り」飛んで、その距離よりもどこをどう飛んだかで心の満足を図る。もはや<浪漫飛行>のような自由な旅は望まない。「推進力」は「希望」。どこまでもエコで持続可能。SDGsな人生。
 一瞬の激しい愛の記憶は人生のアイデンティティ。でも、緩い持続的な愛こそ人生の主食。

 つまり恋は大きなエネルギーを消費する。未来社会では人工細胞により老化から逃れた人類はいつまでも生きるから、生殖の必要も感じないしなぜか子どもも生まれない。若者が少ない、みな老人の社会。そんな社会に恋愛は合理的活動とは見做されないのではないか。未来社会の恋はどうなるのか。
 そこでは、儚い空気を纏う君も、モンシロチョウを逃がす君の仕草もただの風景のアルゴリズムになってしまうのか。
 一心不乱に没頭する君も、一刀両断の批判力を持つ君も処理能力の優劣の判断材料でしかないのか。

 辛い時代だからこそ触れ合いたい。ところがどうだ。今は非接触の時代。モテない階級はコロナまではおおっぴらに接触を望む勇気がなかった。ところがいまこそ触れ合う願望を素直にモテる人間とも共有できる。自分の枠を外してしまえば自分の本当の気持ちも見える。また振られるとわかっていても「ドルチェ アンド ガッバーナの香水」の香りせいでよみがえるくらいの接触への願望はあるのだ。それに正直になる時なのか、今は。

 「恋なんてしなきゃよかった」と何度も思ってきたけれど、また「今、わたし恋をしている」というのが正直な「裸の心」のわたし。「この恋の行先なんてわからない」けれど「この恋が実りますように」という切実な想いを抱えて、不安のなかで「伝えに行くから」「受け止めて」と願う。今度も最後はどうなるかわからない。たとえ最後がどうなっても、わたしなら大丈夫。きっと君も大丈夫。苦しい時代をお互いいきているから、この恋の価値をわかりあえるだろう。どんな終わりでも、その始まりに踏み出して行こうと、きっと思えるはずだ。

 今こそ君は恋に落ちるのか。


【参考/引用】

「キュン」 作詞 秋元康 / 作曲 野村陽一郎
「夜に駆ける」 作詞・作曲 Ayase
「恋するフォーチュンクッキー」 作詞  秋元康 / 作曲  伊藤心太郎
「ハートのイアリング」作詞 松本隆 / 作曲 Holland Rose
「365日の紙飛行機」作詞  秋元康 / 作曲  角野寿和・青葉紘季
「浪漫飛行」 作詞・作曲 米米CLUB
「香水」 作詞・作曲 8s
「裸の心」 作詞・作曲 あいみょん
「彼女は一人で歩くのか」他 Wシリーズ(講談社タイガ)  森博嗣
「一心不乱」「一刀両断」豊島将之竜王 揮毫扇子





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