見出し画像

ピエタの闇

 イタリア旅行は、アクセスの状況からミラノを最初の都市とすることが多い。そしてルネッサンス美術に多少なりとも興味があれば、スフォルツァ城博物館を訪れ、ロンダニー二のピエタと対面することになる。ミケランジェロの作品なら見ておこうという気になるはずだ。

 ロンダニーニのピエタはミケランジェロの遺作である。そして、あなたが熟知しているヴァチカンのサンピエトロ寺院にあるピエタとの落差にはきっと衝撃を受けるだろう。

 名前のついた作品として展示されるにはあまりにもみすぼらしい。完成したらどうだったか想像しても、その石のボリュームも少なすぎるし創作の意図は見えてこない。ただ、刻まれた鑿の跡や石塊からは、見えない目と病に侵された体で懸命に創作を続けようとしたミケランジェロの姿が、突如幻影となって襲ってくる。

 そこに残された作者の痕跡があまりにもリアルなので、遥かな時を超え、彼があなたに直接語りかけてくるようだ。そして確かに、彼の呻きが耳にきこえるのだ。そしてとうとう、彼の表現することが叶わなかった情念が闇となってあなたを打ちのめすことになる。

 これが見たかったものか?いや違う。もっと明るいルネッサンスの、ミケランジェロの光に会いたいと思う。

 そして次に訪れたフィレンツェでドゥオーモの華やかさにひかれ、再びミケランジェロのピエタと遭遇することになる。しかしミラノで見たロンダニー二のピエタの闇があなたの頭から消えてはいない。ドゥオーモのピエタはロンダニー二ほどではないが未完であることに変わりはない。上部の男の体は全体とのバランスを欠いているし人物の表情もはっきりしない。感動を受けるより先にミラノのあの幻影の闇がまたあなたに蘇る。

 ここでも、ミケランジェロの未成就の魂があなたを包む。何を彼は創ろうとしたのか、生み出したかったものは何だったのか。ピエタ像には死が必然の要素。出口の見えない死の表現‥それは光へと昇華せずに闇となって沈殿する。

 やっとローマについてヴァチカンに足を運ぶ。長い行列に並んだあと、多くの人の背中の後ろから背伸びして、ガラス越しに、あの何度も出会いを想像したサンピエトロのピエタを眺める。

 そこにあるのは死を描きながらも青春の輝きを感じさせるピエタだ。優しく、悲しく、愛おしく、光に包まれた栄光のピエタだ。そうであったはずだ。そうでなければ‥。

しかしあなたはもう知っている。このピエタの作者が同じテーマに挑みながらどれほど苦悩し闇を抱えながら格闘したのかを。ヴァチカンのピエタにも光の影に大きな闇が広がっていることをもう見ずにはいられないのだ。




 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?