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陰謀論はそうそう辞められない。

 「なぜ陰謀論者はバカなのか」というド直球のスレが立っていた。
 ただ「バカなのか」はいささか語弊がありますね。真面目な人でも陰謀論にはハマってしまう可能性は十分あるわけで。

 陰謀論といえば「と学会」で頻繁にネタにされてましたが、それも10年以上前の話。陰謀論やトンデモな科学は尽きる気配もなく、むしろ新ネタが出てくるほど。特に最近ですと、参院選で議席を獲得した参政党の公約なんかも一昔前なら「トンデモ」扱いだったでしょうが、それでも結果はああなった。政党名標数だけ見れば崖っぷちだった社民党より取ってます。

 こうなると、陰謀論やトンデモにも一定の需要があるのでは? と思えてなりません。スレの中ではこんな一言もありますが、

自分に何も無い
けど努力もしたくないヤツが手っ取り早く自分のポジション確保したい時は
陰謀論唱えるのが一番てっとり早い
人と同じ様になれないヤツでも
陰謀論信じた瞬間「特別な秘密を知っている特別な一人」になれる

上記スレより

 「特別な秘密を知っている特別な一人」つまり「世の中の真実を知った気になれる快感」てのはあるでしょう。でもそれだけでは足らない。
 むしろその一定の需要に引っかかる……例えば100人いるうちの、ほんの数名でもその話を聴いてくれればそれでいい。そして、その数名の間でもいいから陰謀論やトンデモを共有できれば、彼等を「心強い仲間」として尊重し合えるのですね。
 こうなると、もう辞められなくなるわけです。自分の意見を認めてくれる居場所が出来ちゃったわけですから。これは昨日の白饅頭氏による暗黒メモでも「回答の結論」として出てきましたね。

 だからスレにあった「なぜ陰謀論者はバカなのか」てのは不正確で、陰謀論者にバカも真面目も無いんですね。同じ考えを共有できるならウェルカムなんだと思います。

 と学会の本にはこうあります。もともと人間というのは、かくも複雑な世界をどうにか把握できるように、心に「遊びしろ」と呼べる部分を持っている。そして理性や論理から多少逸脱したモノをその中に置くことで「心の余裕」を作ってきた、と。だから不正確であっても「興味深く、面白い」と娯楽のように受け止めてこれた。だから陰謀論やオカルトてのがしばしば流行してたんですね。超能力ブームや矢追純一UFOスペシャルといった番組が人気を博したのもそれです。
 ですが、陰謀論やオカルトを丸々信じ込んでる人や、それとは逆に科学や情報を絶対主義だと思っている人にはどちらも「遊びしろ」が無い。つまり両者とも大差ないのだ、と。

 昨今の状況を見てると、どうもそんな「遊びしろ」や「心の余裕」を無くしている人が多いように思えます。これはよろしくありません。陰謀論やトンデモを丸々信じてる人は、データや科学を受け入れる「心の余裕」が無いと思える一方で、陰謀論者をバカと言い切ってしまっては話が進まず、やはり余裕が無いように見えてしまうのですよね……

 だから「辞めさせる」よりは、お互いに「もっと心の余裕を持たせ」て、ガチガチな部分を取り払っていくのが良いような気もしますが、どうなんでしょうねぇ。

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