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「高校生クイズの大改革」は吉と出るか凶と出るか?

 正直なところ「甲子園方式を廃止し、”努力”を重視してガチで勝負させる」のは一見良さそうに見えるが、疑問もある。同じ高校から複数チームが出場している点だ。そこは「1校につき何チームまで」と制限をかけるべきではなかったか?

 確かに出題ジャンルを予告しておけば対策は打てる。にもかかわらず「50チーム中、9チームを栄東、5チームを灘、3チームを浦和、2チームを開成、洛南、東大寺学園が占める」という偏りが生じている。これで本当に「地域性の運・不運などにとらわれず、“努力”で勝ち抜くことができ、強豪クイズ部にも対抗でき」ているのだろうか? どうも腑に落ちない。


 自分なんぞは特に名門でもないところで学生時代を過ごし、努力どころか実に偏った知識でクイズを嗜んできた。そうであっても、自分なりの「ガチさ」は間違いなく持っている。普段はまったり楽しんでいても、ひとたび大会に出て早押しボタンを前にすれば話は別。「一問でも多く答えたい」という想いは、クイズプレイヤーであれば誰しもが持っているはずだろう。自分もそうだ。
 しかしクイズというのは経験を積めば積むほど、自分の実力や他の方々の強さを段々と悟ってくるものである。かつて自分はそこで迷った。
「どうあるべきか? 大会に参加して、自分は何を目指すのか?」

 確かに、対策すれば正解数は稼げるだろう。でもクイズのために勉強したら、それはもうクイズではなく「勉強」になっている。
 自分にとってクイズは「趣味」の延長線上にある。しかしそれが「勉強」の延長線上に移ったら、それはもう「趣味」ではなくなってしまう。

 ある時に「それは違う」と気が付いた。そして決意した。
 徹底して「趣味」や「好き」にこだわり、あわよくば勝ち残って上位を目指せればいいのだ、と。もしそれで上手く行かなかった場合、それは自分のこだわりがまだまだ足らないせいで「もっと精進しなさい」というお告げなのだろう、と……
 結果として自分は決して博識などと呼べないだろうが、そういう人間でもクイズは楽しめるというのを、自分自身で証明したいと思っている。


 だから今回の「高校生クイズ大改革」は「ワンチャンあるように見えて結果がこれ」という点だけ見てしまうと、自分におけるクイズ感覚との相性は少々合わないように思える。「アカデミー賞」ならなんとか行けそうだが……

 とはいえ、純粋な早押しガチバトルを観戦するのは大好きだ。いや、むしろそれを観たい。「地頭力」とか「知力の甲子園」ではそんな要素がほとんど無かったのだから。
 そもそもクイズが好きになったきっかけは、第13回アメリカ横断ウルトラクイズの準決勝・ボルチモアの大激闘だ。

 矢継ぎ早に出題される問題を、個性的な参加者がボタン勝負で争い、鮮やかに答えていく。その格好良さに憧れた。自分の持っている知識でこんなことが出来たら、どれほどの爽快感を得られるだろうか……その願望から全てが始まった気がする。

 高校生たちの「努力」をテーマにしてその「憧れてしまうような」戦いをどこまで描き出せるだろうか? クイズに対し、一人でも多くの人が「憧れ」を持ってくれるような、そんな番組であって欲しい。

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