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あらゆる歴史を取り扱うことはできないが…:抽象化、情報の取捨選択、語りえないこと、空白──「社会心理学者は歴史といかに向き合ってきたか?」イベント事後レポート

 楽しくて、豊かな生活のためになる心理学を考え、実践していく。
 その一環として、ほんのちょっとかもしれないけど、とっても大事な変化のきっかけになるようなイベントを企画する。
 記念すべき第1回イベントは2023年3月29日(水)19時から「社会心理学者は歴史といかに向き合ってきたか?」と題して開催されました。
 本記事では、荒川出版会メンバーがイベントの事後レポートを公開します。レポーターは、荒川出版会副会長の北本遼太です。

皆さん、こんにちは。荒川出版会の北本です。

新進気鋭の社会心理学者3名による、「社会心理学者は歴史といかに向き合ってきたか?」と題した熱いイベントが2023年3月29日に行われました。この記事では、3時間にわたる白熱した議論の様子をダイジェストでお伝えします。

ともにクルト・レヴィンを祖とするグループ・ダイナミクスの第五世代(?)にあたる秋保亮太氏(大阪大学)と宮前良平氏(福山市立大学)。両者と司会の仲嶺真氏(荒川出版会)の主張の重なりや対比のダイナミズムをぜひお楽しみください。

同イベントのオンデマンド配信購入は、こちら

導入:50年たった今でも

仲嶺氏からイベントの導入として、ケネス・J・ガーゲン(Kenneth J. Gergen)が1973年に発表した論文 「Social psychology as history」(歴史としての社会心理学)の内容が紹介されました。

仲嶺真氏(荒川出版会)

今から50年前に発表されたこの論文は、「社会心理学で明らかになったことには、普遍性がない。」ということを主張しています。その理由は極めて明確です。

①研究によって明らかになった知見が社会に発信されることで社会自体が変わってしまうため。
②心理学の理論は“時代”によって左右されるため。

では、知見の普遍性がない社会心理学は何を目指せばいいのか?

ガーゲンは、社会心理学にとって歴史を通して変わる心理と変わらない心理を整理し、それらをどう調査できるのかを精緻に考えることが重要であると指摘しています。そして、その時代に存在する社会課題の解決を目指すことに資するものとして調査を行うことが社会心理学の目指す先だと主張しています。

仲嶺氏は、近著「恋の悩みの科学──データに基づく身近な心理の分析」のあとがきに触れながら、50年前のガーゲンの提案が現在の社会心理学でも重要な意味を持っていると述べます。そして、「いかに私たち社会心理学者は歴史の問題と向き合ってきたのだろうか?」という本イベントの問いへとつなげます。

研究における抽象化をいかにとらえるべきか?:秋保氏の発表から

続く、秋保氏の発表では、「社会心理学・再入門──ブレークスルーを生んだ12の研究」に基づき、古典的な社会心理学研究を歴史という観点から丁寧に読み解く作業が行われます。

秋保亮太氏(大阪大学)

アッシュの同調実験、ラタネとダーリーの傍観者効果実験、ミルグラムの服従実験など、心理学をかじったことのある人ならだれもが知っている研究を再訪問しながら、社会心理学研究においては3つの歴史(研究の歴史、社会の歴史、研究者の歴史)があったことを指摘します。

そのうえで、研究対象者の歴史という4つ目の歴史が抜けているのではないかと秋保氏は問題提起します。この4つ目の歴史から見れば、上記の3つの古典的研究は、いずれも白人の男子大学生や成人男性に研究対象者が限られていたことが浮かび上がります。そしてまた、現代の社会心理学研究でも、多少の改善が見られるものの、研究対象者の歴史を考慮することは限定的であるという問題点が指摘されます(例えばWEIRD問題)。

では、社会心理学は研究対象者の歴史といかに向き合ってきたのか?

多くの量的な研究においては行動/心理特性間の影響関係を知ることに主眼があるため、研究対象者の歴史は、その影響関係をうまく説明するための副次的な要因として抽象化され、関心・優先度が低くなっていると秋保氏は指摘します。それに対して、文化心理学や臨床心理学、社会学のように、文化や既往歴、親の背景などの研究対象者の歴史を積極的に取り入れようとする研究領域があることも紹介されます。

ここで仲嶺氏から、文化心理学もまた別の抽象化が行われているのではないかと問いかけられます。つまり、文化という研究対象者の歴史も、研究のための変数として抽象化されているのではないか。実はそれは人間の具体的な生の実践を捉えることとは別の、研究者同士で(のみ)理解可能な概念を作り出す、いわば抽象化のゲームとなってはいないだろうか?、と。
 

これに対して秋保氏は、あらゆるデータを細かく取ることは現実的に不可能であり、何かしらの形での情報をそぎ落とす抽象化は必要だと返します。そして、研究としてそこにフォーカスする妥当な理由があれば抽象化は問題ないのではないかと応答します。

また宮前氏からも「現実的にあらゆる歴史は把握できないのではないか?」というコメントがなされます。質的研究者として、フィールドの中でとにかく現場の人の話を聞きながら、自分が面白いと思ったもの/取り出したいものを見つけ、煮詰めていく、“結晶化”を、宮前氏自身は行なっており、現実的にすべては聞けないのであれば聞いたことから出発するという態度もあり得るのではないかと指摘がなされます。

この対話の中で、量的研究と質的研究の1つの対比が発見されます。つまり、あらゆる歴史を把握できないことへの対応として、研究設問に照らして最初から取るデータを限定し調査を進める量的研究と、すべては聞くことが出来ないかもしれないけれどフィールドで見聞した限られた事例の考察を深める質的研究という対比です。

語りえないこと/空白をいかに歴史に残すことができるか?:宮前氏の発表から

休憩明け、宮前氏の発表に入る前に、荒川出版会初イベント記念として、ワイン、日本酒、緑茶が登壇者と来場者に振る舞われ、乾杯しました。少しアルコールも入り、リラックスした雰囲気の中で後半戦が始まりました。

荒川出版会の初イベントにみんなで乾杯!

宮前氏からは、自身の写真返却活動のフィールドワークの事例をもとに、データに残る物に対して、データ(歴史)に残らないものを扱うとはどういうことか、それに伴って歴史とはそもそもあるのだろうかと問いかける、チャレンジングな発表が行われました。 

宮前良平氏(福山市立大学)

東日本大震災の復興支援としての写真返却活動(詳しくは、映画「浅田家!」や宮前氏の単著『復興のための記憶論──野田村被災写真返却お茶会のエスノグラフィー』を参照)の中で出会った事例から、宮前氏は質的なフィールド研究における歴史について考察します。例えば、写真について「秘密だ」と調査対象者に言われた経験から、「歴史の中でいかに「秘密」は取り扱われるのか。調査として踏み込めない、語りえないもの/空白に何があったかは分からないが、何かがあったことを察する。このような形で語り得ないことの余白を残したまま歴史を紡ぐことは可能か?」こうした問いが紡がれていきます。

このような問いは、トラウマとは歴史の空白を描き出すことではないか? そして、ときにはトラウマを抱えているかもしれない人へインタビューするにあたっては、あけすけにすべてを聞き出すこともまた危険であり、むしろ“すべてを差し出さないこと”のために「秘密だ。」という語りが重要だったのではないか、という結論に至ります。そして、この空白を描き出すことで=分からない部分を知ることで、他者の心を推し量ることができるような研究態度が必要なのではないかと宮前氏は主張します。

このような語られない/データとして残らないモノへの対応は、量的研究でも重要なテーマになります。仲嶺氏は自身の過去の研究から、知り合いも参加する調査の中でセンシティブな内容の質問が空欄であったことを例に挙げ、こうした通常では欠損値として扱われてしまうデータの取り扱いに悩んだ経験を話します。答えないことで彼/彼女は自分に何かを伝えたかったのではないか? それを欠損値として扱ってしまってよいものなのだろうか? と。

この記事で触れた議論はイベント全体のほんの一部分です。

あらゆることを聞き出そう(調査しよう)とする研究とは迷惑なものなのか? ICTの発展でより簡便になったウェブ調査をいかに使うべきか? 具体的なものと抽象的なものはいかに関係するのか? そもそも心理学研究は再現可能なものなのか? 個人ではなく規範や集団を扱う社会心理学は個人をいかに位置付けるべきなのか? 歴史を扱うために、どこまで聞けばよいのか、またそれは誰が決めるのか? などなど。

心を考えるにあたって多くの重要な議論の種がイベントの中では蒔かれました。

ぜひ議論の詳細をアーカイブ動画にてご覧いただき、皆さんの考えるきっかけにしていただければ嬉しいです。

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