ショーペンハウアーから学んだこと
先日Kindle Unlimitedの無料体験に加入したので、さっそく予てより気になっていたショーペンハウアーの著書『幸福について』『読書について』の2冊を読んだ。
本当に圧倒された。いつも曖昧に感じていた疑念について全て書かれていたような気がした。
この2冊はKindle Unlimited特典で読めるので是非おすすめしたい。
ということで、以下は僕が特に感銘を受けた『幸福について』の感想となる。
ショーペンハウアーは『幸福について』の「第一章 根本規定」でアリストテレスの3つの財宝に倣い、人間の運命における基礎を3つ挙げている。
すなわち、
1.「その人は何を持っているか」
2.「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」
3.「その人は何者であるか」
の3つである。
3つの内のどれが重要か、それは様々な見方や主張があることだろう。
ショーペンハウアーは端的に3.「その人は何者であるか」が一番重要だと述べている。
1.「その人は何を持っているか」に関しては、いくらお金を持っていても使うのは自分自身だし、旅行に行くにしてもまず体験するのは自分自身の風流心なのだから、3.「その人は何者であるか」が前提としてある。
2.「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」
これが取るに足らぬことであるのは以下に示される通りである。
名誉に関して、ショーペンハウアーは「騎士の名誉」を長々と徹底して弾劾している。
「騎士の名誉」とは、面子の問題で、「自分は自分の権利を何がなんでも守る気でいるのだから、恐れられてしかるべきだ」という当人の思惑を本質とする。
これに従い、罵られたり殴られたりするだけで、すぐに名乗りをあげ、血なまぐさい決闘に発展する。
着目すべきは、現代人の感覚ではこんなものは古の因襲でしかなく、本当に話が長いので積極的に読み飛ばしたくなる部分だが、当時は切実な思いであったということだ。
僕は、この切実さは現代にも当てはまるのではないかと思った。他人に流されるままに生きていても、「不合理な顧みるに値しない」ものを押しつけられるだけなのである。加えて言えば、押しつけた側は無責任(応答しない)だ。
実際、僕は幼稚園ではキリスト教、小学校では将来の夢、中学では奴隷道徳、高校では労働、等を半ば押しつけられたが、どれも役に立っていないし、今さら押しつけた側が応答してくれるとも思えない。
日曜日ともなると、街は人で賑わう。駅前広場の催しは子供向けの取るに足らぬものばかり。しかし、みんな楽しそうである。
ショーペンハウアーは幸福について「人間生来の迷妄を基盤としている」と言った。
真に取るに足る高尚なこともあるかもしれないが、そんなものは滅多にない。
まずは「偽の厳粛さ」を弾劾しつつ、楽しく生きるのが大切だと思った。