子犬のマーチが邪魔をする
頭の中に勝手に曲が流れること、ありませんか?
ということで、今日はいつからか悩まされているこの件について書いてみることにしよう。
頭の中で曲が流れ始める「ワタシが考える人口に対して勝手に曲が流れる人の割合」は、「本屋さんへ行くとトイレに行きたくなる」よりは少し多めぐらいだと予測しているけど、実際のところはどんなもんなんだろう?
ちなみに、本屋へ行くとトイレに行きたくなる現象は「青木まりこ現象」というらしい。今初めて知った。
と、それはさておき。
『頭の中で曲が流れ始める』という文字だけ見れば、『あぁ、鼻歌をつい歌っちゃう感じね』と読み取ってしまうかもしれない。一緒といえば一緒。違うといえば違う。そんな感じなのである。
って、何を言いたいかわからないとおもうけど、ついてきてもらえると、とても嬉しい。
鼻歌をつい歌ってしまう状況というのは、気分が上がっている、かつ、ほぼ無意識に出てしまっている歌にハタと気が付く。そんな状況。ワタシの中ではそういう認識。
それに対して、頭の中で曲が流れる状況とは、何かに集中したいと思っている、かつ、集中しなくてはならない状況にも関わらずその意識に覆いかぶさるかのように流れてくる曲の存在に意識を持っていかれる。頭の中の思考が強制的に分けられる状況。そんなかんじ。
思考に向いている意識と、曲に向けられる意識。
頭の中では、二つの意識が同時に頭の中を走り始める。
しかもこの2つは入れ子構造ならいざ知らず、並走している。同時進行。もちろんワタシの頭は一つ。二つのことは同時に考えられないはず。なので、頭の中で頭がふたつに分かれているようなそんな奇妙な感覚に陥っていく。
じっくりとその状況を思い返してみると、『集中している自分』をメインとすると、『曲である自分』がどこからか同じくらいの存在感で現れ、ちょっかいをかけ始める。お互いがお互いの存在を認識している。
そして、それを見ている第三者的立ち位置のワタシもいるけれど、こちらのワタシはそんなに主張してこない。
『多分いるんだろうなぁ』
それくらいの存在感。でも、そこにいることはわかる。主導権は握れないし、『集中』と『曲』の間をそれぞれに同化しながら、ゆらゆらと漂っている。取り巻きのような存在。でも、この取り巻きは強い方につくとは限らないので、多分『あの子、何考えてるかよくわからないよね』と言われていると思う。
話を戻して。
そんな感じで、目で文字を追っている時や、考え事をしようとしている時。そういう時にほぼほぼ100%に近い確率でワタシの頭の中に流れてくる曲。
それは「子犬のマーチ」だ。
♪~
みーどーみーどーみーそっそー
ふぁーれっれー
みーどっどー
~♪
そう。アレである。
なんでこの曲がチョイスされたのかはわからないけど、かなり昔からこの曲に悩まされている。
推理小説を読んでいる時
『飾り棚や箪笥などの(みーどー)家具(みーどー)がいくつか並んでいる。どれも立派(みーそっそー)な造りの品だ(ふぁー)が、表面(れっ)の塗(れー)装は例(みー)によって皆、黒い(どっどー)。』
うるさいわ
考えごとをしている時
『あー。困(みーどー)った(みー)なぁ。(どー)ていうか、どうしたら(みーそっ)いいんや(そー)ろ』
やかましいわ
頼むから静かにして。
そう頭の中で正体のわからない何か(ワタシ)に話しかけてみても
『頼(みーどー)むか(みーどー)ら静(みーそっ)かにし(そー)て』
ちょっとは人の話聞けや
とまぁ、そんなかんじなのである。外の人より、中の人の方が確実に人の話を聞かないことはもうわかった。でも、もう少し。ほんの少しでもいいから耳を傾けてくれんかね?耳があるかどうかは知らんけど。
それにしても、なぜこの曲がチョイスされたのだろう?確かに、昔ピアノを習っていた。そして、この曲も弾いた。でも、そこまで好きな曲でもないし、何なら『魔王』の方が好き。
と書いてみたものの、でも、同じように魔王が流れたら……
推理小説を読んでいる時
『飾り棚や箪笥などの(おーとー)家具(さん)がいくつか並んでいる。どれも立派(おとうさんー)な造りの品だ(そーれー)が、表面(そーこにー)の塗(まおうーのー)装は例(むすーめー)によって皆、黒い(がー)。』
ますますうるさいわ
考えごとをしている時
『あー。困(おーとー)った(さん)なぁ。(おとうさんー)ていうか、どうしたら(そーれー)いいんや(そーこにー)ろ』
ほんきでやかましいわ
頼むから静かにして。
そう頭の中で正体のわからない何か(ワタシ)に話しかけてみても
『頼(おーとー)むか(さん)ら静(おとうさんー)かにし(そーれー)て』
お父さん、いい加減きちんと話を聞いてあげて!
子犬のほうがマシ……なのか……?
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