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かみとものがたり
あと一歩だというところまできたその時、歩調を合わせ、ここまで一緒に歩いてきた彼女の足が止まった。
僕もその場で立ち止まり、彼女の方を振り返る。そして彼女に向かって優しく笑いかけながらこう言った。
「どうしたの?もしかして、怖くなっちゃった?」
彼女の肩にそっと手を乗せて覗き込むと、青白い顔をした彼女は固く口を閉じ、焦点の合わない目でこれから行く先をじっと見つめていた。ぎゅっと握りしめすぎて真っ白になった両手。ガチガチに硬直している身体とは裏腹にガタガタと膝は激しく震えている。
そんな彼女の振動を添えた手で受け止めながら、僕は心の中でため息をひとつ、そっと吐き出した。
もちろん僕のこのような気持ちを彼女には絶対に知られてはいけない。しかし、極限状態にある彼女は自分自身のことで精いっぱいだろうから、僕の小さな変化には気がつくことはないだろう。
僕は彼女を安心させるために、笑顔のままなるべくゆっくり落ち着いたトーンで彼女に語り掛ける。
「わかるよ。これを見ちゃったら足がすくんじゃうよね。でも大丈夫だよ。ここに来る前にたくさんの説明を聞いたでしょ?大丈夫。大丈夫だよ」
こんな状態でどれだけ大丈夫という言葉を聞いたとしても、安心する人間なんて誰一人としていないだろう。
そんなことは僕にだってわかってる。わかってはいるけれど、彼女がこの先に進んでくれないとすべてが停滞してしまう。それだけは勘弁だ。
このまま彼女が動かなければ、何度も繰り返したあの手段をとらなくてはいけなくなってしまう。でもなるべくならそんな事なく穏便に済ませたいなあ。そんなことを考えながら、僕は彼女に語り掛ける。
「あと一歩踏み出せばキミには新しい人生が待っているんだよ。新しい、まっさらな状態からキミの物語が始まるんだ。今までの記憶が無くなってしまったとしても、その物語を進めるのは紛れもないキミ。だから恐れることなんて何もないんだ。さあ」
彼女の肩に乗せていた手をそっと離し、僕は彼女の横に並んで立つと彼女の腰にゆっくりと手を回した。
「こわがらないで。さあ。いこう」
そう彼女に囁きかけながら僕は、彼女の腰に回した手に少し力を込める。
「かみになるんだ。みんな、みんな、死んでかみになるんだよ」
僕が贈った最後の言葉に彼女が頷いたその瞬間、僕は彼女の腰をそっと前に押し出した。
足元にある大きな穴の中に落ちていった彼女は、ひらひらと洋服をなびかせながら小さくなっていく。面倒なことにならなくて良かった。僕はホッと息を吐き出した。
そして、一緒に落ちると思っていた僕が隣にいないことに気付いて彼女は今頃絶望しているだろうか。なんてことを考える。
いや、彼女は落ちていく感覚を感じるのに精一杯で、隣にいるはずの僕がいないことになんて気がつくわけもないだろう。それにそんなことはどうだっていい。
その時、ベルトコンベアに叩きつけられた彼女の音が僕の耳に届いた。ゴウンゴウンと鳴り響く機械音の中に僕は彼女のうめき声を探したが、その声は聞こえない。
「ぐしゃり」
という彼女がかみになったという音が届いたのを確認した僕は穴に背を向け、2人で歩いて来た道を1人で戻り始めた。
ーー
「お疲れ~」
彼女を送り出した後、僕が屋上に設置されたベンチに腰掛けていると、背後からアイツの声が聞こえてきた。しかし僕は聞こえなかったふりをしながら、赤くなったり暗くなったりしない、ずっとずっと青い空を見上げ続ける。
「おっつかれ~」
しかし、わざわざ僕の目の前で手をひらひらと振りながら、アイツが僕の視界に入り込んできた。ここまでされて無視できるわけがない。僕はしぶしぶアイツの方に顔を向けた。
「ああ、お疲れ」
「あれ?なんか元気ない?」
「そんなことないよ」
「ああ、そうだよな。そんなわけないよな」
そんなわけないと思っているなら別にわざわざ言わなくてもいいのに。何百回と繰り返したこのやり取りにはもう飽き飽きだ。なんでアイツは飽きないんだろう?って、アイツはそんなことなんて考えた事ないんだろうな。
「でも、お前も俺も難儀なもんだよな」
いつもならここで今日書き込んだ話の内容は傑作だとか、でもそろそろネタ切れだとか、そういう話に持ってくるはずなのに今日はどうしたんだろう。何か嫌なことでもあったんだろうか。
「難儀って?なに?どうかした?」
僕は思わずアイツの顔をしげしげと眺める。別に疲れた様子は見られないし、悩んでいるような感じでもない。いつものアイツ。でも、言ってることが何かおかしい。らしくない。
「ん-。お前はどう思ってる?」
「どう思ってるって?何が?」
「ここでの役割だよ」
「役割って……。でもまあ、ここでの役割は僕にしかできない事。キミにしかできない事。そうなってる。そう決まっている。僕たちがやらなくちゃいけないってことなんだから、仕方がないことなんじゃないの?それに、僕たちにしかできないんだから、やらないわけにはいかないでしょ。何を今さら?」
もしかすると、さっきかみになった彼女はアイツと関りのある誰かさんだったんだろうか?でも、それは僕には知る由もない。いや、知りたくもない。知ったところで何がどうなるわけでもないことだから。
でも、この状況では聞かないわけにはいかないだろう。僕は仕方なくアイツに聞いてみることにした。
「っていうかさ。さっきの彼女と知り合いだったりするかんじ?」
僕の質問にアイツは鼻で笑って答えた。
「いや。全然」
「なんだ。気を使って損した」
彼女が関係ないとすると、どうして急に役割について考え始めたんだ?僕に悟られないようにしていたけど、本当はずっと考えていたとか?でもどうして?
僕が不思議に思っていると、アイツが口を開いた。
「あのさ、お前はこの役割から離れたいって思うことない?」
「離れる?」
「うん。そう」
何を急に。それにこの質問には何か隠された意味でもあるのだろうか。
「んー。正直そんなことを考えたことはない。まあ、考えたって何がどう変わるわけでもないんじゃないの?」
僕の答えを聞いたアイツはしばらく考え込むような仕草をした後、普段見せないような真面目な顔で僕に向き合った。
「あのさ。お前の役割は『かみにする』事だよな」
「うん。そんなのわざわざ聞かなくたってキミだって知ってることだろ」
僕の仕事はここにやってきた人間を潰してぺしゃんこにして『かみ』にすること。もちろん、問答無用でするわけじゃない。ここに辿り着くのは自分の意志で『かみ』になることを選択した人間だけ。だから、ここに来た時点ですべて承諾済みなのだ。
「じゃあさ、どうして今お前はこの役割についているんだと思う?」
「どうしてって……。そういうことだからじゃないのか?」
そう答えた僕にアイツはこう言った。
「あのさ。俺の役割、お前も知ってるだろ?」
「ああ、知ってるよ。キミの役割は『物語を紡ぐこと』だろ」
僕によって『かみ』に変えられた魂は、アイツの手で新たな物語を書きこまれ、現世へと帰っていく。そして、その書き込まれた物語こそが『運命』。かみに書かれた物語からは決して逃れられない。生まれ落ちたその時には既にその魂が辿るべき道筋はすべて決められているのだ。
そんなこととは知らず、祈り、もがいている人間とはなんて哀れな生き物なのだろう。僕はいつもそう考えずにはいられない。
「で、俺、気がついちゃったんだよ」
「気がついたって、何に?」
今さら気がつくようなことなんて何かあるんだろうか?そう思いながら、僕はアイツの話の続きを待った。
「あのさ。お前もお前も、本当はここを通過していく人間と一緒なんじゃないかってことに」
「え?」
想定外の言葉に僕は思わず固まる。
「同じ?僕も?キミも?え?どういうこと?」
そんなこと、僕は今までこれっぽっちも考えたことなんて無かった。
「僕やキミもここでかみになって運命を決められてたってこと?」
「ああ、お前にしかできないあの役割も、俺にしか出来ないこの役割も。誰かが俺たちが『かみ』になった時に書き込んだ物なんじゃないかって」
「僕たちがアイツらと同じだって?」
何を突拍子もないことを言い出すんだ。と思う僕と、ああ、そうなんだよ。とアイツの言葉に納得する僕と。アイツのいうことは本当の事なんだろうか。
僕たちは残念な人間とは別のモノだからこそ、この役割についているんじゃなかったのか。
「ああ。それに、こうやって俺が今思いついたことすらも、誰かによって書き記されたことなんだと思うんだ」
「でもどうして?それが本当だとしたら、思いつかないようにしておくのが普通じゃないの?そうすれば、なにも問題なくすべてが上手く回っていくんだから」
疑問をぶつけた僕にアイツはこう言った。
「この役割を長い間続けることは可愛そうだと思ったんじゃないかな?そして最後に全て教えてやろうって」
「誰が?」
思わず僕は口を挟む。アイツはそんな僕の反応を知っていたかのように何事も無かったかのように話を進めた。
「誰かが。俺たちが想像できない場所にいる誰かが」
「じゃあ僕たちは、僕たちが想像出来る範囲をはるかに超えたところにいる誰かが創り上げたシステムの上に乗せられているってこと?」
「たぶん。そう。ハッキリとはわからないけど、そんな気がする」
「僕たちもここを通過するはずだったってこと?」
「はずだった。というか、通過したんだと思うよ。そして書き込まれた物語が今のこの状況」
「まさか……」
そう口ごもる僕にアイツはこう呟いた。
「自分たちだけが特別だって事の方がおかしいとは思わない?」
「え……?」
確かにアイツの言う通り、この世界の中で自分たちだけがそのシステムから外れた存在だと考えることの方がおかしいのかもしれない。
僕はずっとここに辿り着く人間を哀れな、可愛そうなヤツだと思っていたけれど、僕だって本当は同じ哀れで可哀そうな人間の一人だったのか。
「でさ、俺は俺の物語をこれで終わってここから離れようと思うんだけど。お前、どうする?」
アイツは『かみ』になり新しい人生を歩み始めるつもりらしい。
「僕……僕は……」
僕はどうしたいのだろう。そもそも僕は本当に今日かみになった彼女や、今までかみになった人間達と同じなのだろうか。
「答えが出てないってことは、お前はまだその時じゃないんだろうな。あ、ちょっとここで待っててもらってもいい?」
僕が答える間もなく、アイツはまた建物の中へと入って行ってしまった。
ーー
数分後、晴れ晴れとした顔でアイツが姿を現した。
「お待たせ!さあ、行こうぜ」
「行こうってどこへ?」
行き先は分かっていたけれど、僕はわざとそう尋ねる。
「どこって、お前、もう分かってるだろ?お前がいないと俺は『かみ』になれないんだよ。ほらほら、さあ、行くぞ」
嬉しそうに僕を立ち上がらせると、アイツはウキウキとした様子で僕と並んで歩きはじめた。
「でもさ、僕はお前にまだどこにも行ってほしくないんだけど」
そういう僕の顔を見て、アイツはにっこりと微笑んだ。
「まあ、そう言うなって。な。俺はこうする事がもう決まってるんだよ」
「誰かに書かれた物語によって?」
「ああ、たぶん。まあ、そう言う事」
「でも誰がそんなことを……」
「そんなの考えたって無駄じゃない?もう決まってるんだよ。みんな。みんな」
そうこうしているうちに、あの場所までやってきた。
僕が今日、ついさっき彼女を落としたあの場所に。
「じゃあ、そろそろ行くわ。またどこかで会ったらよろしく」
「いやいや、こんな特殊な役割として出会わなかったら、お前となんて仲良くしないとおもうよ?」
「最後にそんな冷たいこというなよ。いやあ、でもこの場所に立つとひゅって感じするなあ」
わざとらしく身震いするアイツを見ていると、ふいに何か思い出しそうな感覚が僕を襲った。
なんだろう。思い出せそうで思い出せない。もやもやとしたものが頭を覆っていく。なんだなんだ。その感覚に気をとられている僕の耳にドサリという落下音が聞こえた。
アイツが立っていた場所には誰もいない。ああ、行ってしまったのか。しかし僕は、いつもこれでもかというくらい大きな音で聞こえてくるベルトコンベアの音がなぜか聞こえていないことに気がついた。もしかして動いていない?
アイツの言っていたことは間違いだったんじゃ?
やっぱり、僕たちは人間なんかとは違うんだよ。アイツはかみにはなれない。引き上げてやらなくちゃ。
そう思った僕は、アイツの姿を探そうと暗闇を覗き込んだ。
その瞬間
ぐしゃ
とアイツがかみになったというその音が聞こえてきた。
悲しみや喪失感などは不思議と全く感じない。
僕はきた道を引き返し、いつもアイツがいた部屋へと急ぐ。
この後、僕はアイツであった紙にアイツの運命を書き込むのだ。そして僕は物語を紡ぐものになる。
誰にそう言われたわけでもないけれど、そうするモノだと僕にはわかっていた。
僕の行動も誰かによって決められたものだった。僕もアイツも哀れだと見下していた残念な人間と同じものだったのだ。
頭がその事実を認めようとしないままに、僕はかみに物語を書き込んでいく。
僕の手で書き込まれていくアイツの物語を見ながら、僕はふと考えた。
この物語は僕が考えたもの。
でも本当に?
ここに書き込むことすら既に決められていたことだとしたら?
僕の思考すらも全て決められている?
僕?
僕は誰?
僕は?
<終>
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