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追放前夜

 明日、僕たちのクラス6年1組の大山直美が追放されることに決まった。


「もう無理だ。我慢できないよ」

 昨日の放課後、担任の菊池先生と大山直美が出て行った後のざわついた教室。ミコトが小さな声でそう呟いた瞬間、教室の時間が止まった。
 皆の動きが一斉にピタリと止まり、囁き声ひとつ無いシンと静まり返った教室の中。僕たちは廊下を遠ざかって行った足音がまた戻ってこないかとひやひやしながら、二人が出て行った教室のドアを固唾をのんで見守った。

「おいミコト、お前本気で言ってるのか?」

 しばらくして教室の前のドアから廊下を確認し、そっと扉を閉めたユキトがミコトの前まで一気に近寄るとそう言った。

「だって、おかしいじゃないか。どうして皆平気な顔してるのさ?おかしいのは菊池先生と大山直美の方だろ?なあ?教えてくれよ。おかしいのは僕の方なのか?」

 ミコトは一気にそう口にすると、ユキトをまっすぐに見つめる。見つめられたユキトはミコトから目をそらすと、机をじっと見たまま動かなくなってしまった。


 6年1組において大山直美に対する反応は様々だ。

 僕のように『それなりに合わせておけばいいんでしょ?』という軽いスタンスの人間から、ミコトのように『どうして自分たちだけがこんなに我慢しないといけないんだ」と不満をため込む者まで。

 不満があるなら直接言えばいいじゃないかって?

 そんなことをしたら大変なことになる。なぜなら菊池先生は「差別」や「いじめ」にとても厳しい。だから、批判をぶつけたり、存在を無かったことにしている現場を見られたりしたらとんでもないことになる。
 これは想像なんかじゃなく、実際に僕たちは一部の人間の軽はずみな行動で、連帯責任としてクラス全員信じられないような罰を受けた。だから僕たちは、もう二度と誰もそんなことをしない。
 自分一人だけならともかく、クラス全員を巻き込んでまでそんな挑戦をするほど僕たちは皆子供ではないのだ。

 そんな不文律を破ったミコトを取り囲むように、クラスメイトたちがゆっくりと移動し始める。

「ねえ。どうしてそんなことを言い出したの?このクラスもあと1ヵ月もすれば終わりじゃない。そうすれば卒業して、大山直美と円満に縁が切れるって言うのに」

 学級委員長のサトコがユキトの隣に立ち、ミコトに向かって静かにそう言うと、何人かが「そうだそうだ」「あと少しじゃないか」とサトコを後押しするように声をあげた。

「あと少しなのはわかってる。でも、もう無理なんだよ。このままだと僕は、明日にでも大山直美を教室の窓から突き落としてしまうかもしれない」

 ミコトはサトコを見ながら苦しそうにそう吐き出す。すると、いつも率先して大山直美に関わっている、ある意味優等生・・・・・・・のハルヤがミコトに詰め寄った。

「お前、そんなことしたらどうなるのかわかってんのか?菊池先生はお前が大山直美にやったみたいに、絶対にお前を教室の窓から突き落とすぞ?それに俺たちも連帯責任で全員窓から突き落とされるかもしれないってそこまで考えてんのかよ?」

「そうだそうだ。連帯責任で『確実に』窓から突き落とされるよ。菊池先生がそんなことを許すはずがないもん」

 ハルヤのグループのナツも、ハルヤの傍に出てきてそう付け加える。

 クラスのほぼ全員がミコトに同意しない限り、ミコトは生贄として菊池先生に差し出されるだろう。下手な動きをする可能性があるヤツは、先手を打っておかないと火の粉が飛んでくるのだから仕方がない。

 このクラスの中でミコトと心中してやろうなんて献身的な奴は、僕が知る限り1人もいない。
 皆我が身が一番可愛いのだ。

 そんな中でミコトはよく声を上げる気になったもんだ。もしかして僕が知らない何か。勝算があるのか?

 その時、ミコトを囲む円の一番外側から声が上がった。

「私ももう無理。だっておかしいよ。大山直美だよ?あんな子、クラスメイトって認められる?」

 皆が一斉に注目した先には、いつも大人しいカナが両手を握りしめ、肩を震わせながら立っていた。


 意外だな。

 僕はそんなカナを見て、心からそう思った。

 カナは菊池先生のお気に入りだし、カナもいつも菊池先生に従順に従っていたのに。その証拠に、カナはいつも移動教室などの時は大山直美と一緒に行動していた。
 だから僕は大山直美に対するカナの気持ちは僕と同じで「ああ、はいはい。そうですね。そうなんですよね」と軽いスタンスだと思っていたのに、心の底ではやっぱり納得いってなかったんだ。へえ。面白い。

 大山直美のお陰で、僕の知らない同級生たちの別の顔が見えるだなんて。

 思わずニヤリと笑いそうになるのを僕は必死に食い止めた。こんな空気の中でニヤニヤしていたら、菊池先生の手下だと思われてこの場でフルボッコにされても文句は言えない。
 意外なカナの発言に引きずられるように、そこからぽつぽつと「無理かもしれない」「後一ヵ月って言うけど、まだ一ヵ月もあるんだよ」などという、大山直美に対する否定的な声が上がり始めた。

 そしてその声は次第に大きくなり、教室の外にまでざわつきが聞こえそうになり始めた時、学級委員長のサトコが声をあげた。

「ちょっと皆静かに!菊池先生に聞かれたらどうするの」

 その一言で、教室は水を打ったようにシンと静まり返る。そして誰も動こうとはしない中、廊下に一番近い場所にいたナオキがそろりそろりとドアを開け、廊下を覗き込んだ。

「大丈夫だ」

 ナオキのその言葉にクラス全員が、ほっと胸をなでおろす。

「でもさ、我慢できないって言ったってどうするつもり?下手に大山直美に手を出すと、菊池先生黙っちゃいないよ絶対に」

 ハルヤはクラスの半数以上が大山直美に否定的な意見を口にするようになっても、まだ大山直美の方に付くようだ。ハルヤはいつも一番権力を持っている人間について行くから、まあ想定内。

 ハルヤの意見を聞いて、さっきまで大山直美に否定的だった人間のうち何人かが「そうだよね」「やっぱり無理かも」なんてことを言い出しはじめる。

 そうだよね。そうだよね。
 やっぱりそうなるよね。

 僕は思わず笑いそうになるのをまた必死にこらえる。


 さあミコトはどうするのかな?
 そんなことを考えているとミコトが口を開いた。

「だからさ。皆の協力が必要なんだよ。少人数で立ち向かったって、菊池先生にかないっこないのは、頭の悪い僕にだってわかってるよ。だから、クラス全員、一致団結することが必要なんだ。皆、一緒に大山直美をクラスから追放するのに手を貸してくれないか?というか、皆で大山直美を、いや、この歪んだクラスを元に戻さないか?」

「クラス全員一致団結って、一体どうするつもりなの?中途半端なことすると、全員酷い目に合うんだけど?」

 サトコが少し迷惑そうな顔をしながらミコトに尋ねると、ミコトは少し強い口調でこう言った。

「大山直美のことは僕に任せて欲しいんだ。その後、菊池先生が大山直美のことを聞いてきた時に、全員で『大山直美さんなんて子はいません・・・・・・・・・・・・・・・』と強く主張するんだよ」

 皆はその言葉を聞くと、隣にいる人間と顔を合わせながらひそひそと口々にこう言いはじめる。

「え?そんなことしたら、菊池先生めちゃくちゃキレたりしない?殴られるのとか絶対に嫌なんですけど」

「また一日酷い目にあわされるの?嫌だなあ」

「もうあんな目に二度とあいたくないんだけど」

「まさか殺されたりなんかしないよね?」

「前は数人が大山直美について否定しただけで、全員が否定したわけじゃなかったけど、今回は全員で大山直美を否定するんだよ。だから菊池先生だって諦めるんじゃないかな」

「もし諦めなかったら?」

 ナオキが真剣な顔でミコトに問いかける。

「もし諦めなかったら……その時菊池先生は、手が付けられないくらい怒り狂ってるんじゃないかな。そうなったら全員で隣のクラスに助けを求めに行けばいい。菊池先生が正気じゃないことに隣のクラスの先生が気付いたら、そこでなんとかしてくれるはずだ。自分のクラスの生徒じゃなくても、大人に傷つけられそうになっている子供が助けを求めてきているのを無視できる先生なんていないはずだ」

 ミコトは皆を説得するかのようにゆっくりと話しながら、クラスメイトの顔を順番に見回した。クラス全員と目を合わせたあと、ミコトは誰に対してでもなく深く頷いた。


”キーンコーン カーンコーン ……”

 沈黙が支配する教室にチャイムの音が響き渡る。

 チャイムの余韻が残る中、はっきりとした口調で「やる」とカナが口にした。

「カナ?本気で言ってるの?」

 サトコがカナの顔を見ながら問いかけると、カナも深く頷いた。それを合図にしたかのように、またみんなが口々に「そうだよな」「皆でやれば大丈夫だよな」「菊池先生がおかしいってわかったら大人だって助けてくれるよな」などと言い始め、クラスの過半数がミコトの意見に賛同したようだ。

「ハルヤとナツは?手伝ってくれる?」

 ミコトが顔を見合わせているハルヤとナツに向かって声をかけると、クラス中が一斉に二人に注目する。
 皆の視線を受けた二人は居心地が悪そうな顔をしながら、また二人で顔を見合わせた後「やるよ」としぶしぶ口にした。

「よし。じゃあまた明日。今日は皆いいって言ってくれたけど、明日になったら意見が変わっている人もいるかもしれない。裏切者がいると、この作戦は成功できないのは皆わかるよね。だからまだ決行はしない。でもみんな、忘れないで。菊池先生は『連帯責任』でみんなに罰を与える人間だから、裏切ったとしても自分だけ安全であるとは限らないんだよ」

 ミコトのその言葉を聞いた皆は、神妙な顔をしながらお互いに頷き合った。
 そして今日の放課後。菊池先生と大山直美が教室から出て行った後、僕たちは昨日の放課後と同じようにまた、ミコトを中心として教室の真ん中に集まった。

「皆、心は決めた?」

 ミコトの言葉にクラス全員が頷いた。

「じゃあ、明日1時間目が終わった時点で僕が大山直美をクラスから追放する。皆は昨日も言ったとおり、菊池先生に大山直美のことを聞かれても、そんな子はクラスにいないって突っぱねるんだ。絶対に怯んじゃだめだよ。もし裏切って自分だけ助かろうとしても、菊池先生は絶対に全員を許してくれないと思う。だから決して裏切ろうなんて考えちゃだめだよ」

 明日、クラスの団結力が試される。

ーー
 大山直美。

 それは一学期が始まった時、菊池先生が一番前の席に座らせた薄汚れた汚い人形の女の子。大山直美を”いないもの”として扱ったり、大山直美に関する否定的な意見を言ったりすることを菊池先生は決して許さない。
 だって菊池先生は「差別」や「いじめ」を決して見逃さない人だから。

 移動教室では誰かが大山直美と一緒に移動する必要があるし、給食の時は大山直美の分も配膳しなくてはいけない。
 しかも大山直美は給食を食べることが出来ないので、同じ給食班になると大山直美の分の給食も食べなくてはいけないのだけど、菊池先生に大山直美の分の給食を食べているのを見つかると「給食を取るのは窃盗だ。犯罪だ」とお説教が始まるので、絶対に食べている所は見つからないように。
 なので給食の時間は特に教室中がピリピリとしていた。

 そんな生活も明日で終わり。


 しかし僕は大山直美は”そんなもの”だと思っているので、ミコトのように耐えられなくなったり、ハルヤやナツみたいに大げさに迎合したり、サトコのように波風を立てないように気を使ったりすることは無い。だから大山直美がいようがいまいがどっちでもあまり変わらない。

 でも、大山直美が追放される明日が本当に楽しみだ。

 もしも追放された大山直美がクラスにこっそり戻ったきたら?
 菊池先生が正直者だけ許してあげると言い出したら?
 ミコトが2時間目に教室に戻ってこなかったら?

 風見鶏のようにコロコロと意見を変える大多数のクラスメイト達がどんな顔をするのか。そしてどういった動きをするのか。

 それに大山直美が消えてしまったあとの菊池先生。一体どんなふうになるのかな?

 そんなことを考えるだけで勝手に顔がニヤけてしまう。

 ああ、早く明日にならないかな。

 久しぶりに楽しい日になりそうだ。

 
<終>

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